カテゴリー「思い出話」の8件の記事

2005.08.06

東急目黒線が遠い未来に思えた在りし日

今年の東急は、例年になく暑い夏になっています。

7月で運行終了しましたが「伊豆のなつ号」や8000系のリバイバル仕様、さらには「きかんしゃトーマス60周年記念電車」といったイベントが盛りだくさんで、まさに熱い夏になっています。

さて、東急では今を遡ること5年前の2000年8月も、それは大変暑い夏でした。
2000年8月6日に、長い年月をかけて工事が進められた東横線の複々線化が一部完成し、これにあわせましてそれまで、目黒から蒲田を結んでいた“目蒲線”が多摩川(同日多摩川園から駅名変更)で分断となり、目黒口は”目黒線”となり多摩川からは複々線になった東横線に入って武蔵小杉へ行くようになって、この年の9月に目黒まで延伸してきた地下鉄南北線・三田線と相互直通運転を始め、混雑が激しかった東横線のバイパスルートになりました。残された蒲田口は”多摩川線”として再出発しました。
目黒線では、当時の新型車3000系6両編成が投入されてホームドアや都市型ワンマン運転を実施するなど最先端の設備が設けられ、多摩川線でも池上線で導入されていたホームセンサーにより、ワンマン運転が開始されました。

大変身を遂げた目蒲線でしたが本日話題としますのは、今日の姿が遠い未来の事に思えた今から16年前の1989年3月頃のお話です。

この時も目蒲線は変革の時を迎えていました。
それは、この時期にダイヤ改正が実施されることになって、輸送力増強により3両編成から4両編成に増結するというのが主な内容でしたが、その方法は目蒲線へ主に7700系を投入して、それまでの旧型車を置き換えるというものでした。

ここで、その当時のダイヤ改正直前の目蒲線の写真をご覧下さい。

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デハ3518 1989年3月 大岡山で筆者撮影 この当時の目蒲線といえばこの旧型車でした

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デハ3517と旧塗装になったデハ3452 1989年3月 田園調布で筆者撮影

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旧塗装になっていたクハ3662 1989年3月 田園調布で筆者撮影

かつての目蒲線と池上線は、昭和の終わり・平成の始めまでご覧のような旧型車がまだまだ闊歩していました。
この当時の目蒲線ダイヤ改正に対応させる為、目蒲線に当時走っていたステンレスカーの7200系は池上線に集められ、変わって目蒲線には旧型車が集結して最期の活躍をしていました。旧型車の塗装は緑色でしたがこの時期、一部の車両は往年の紺と黄色のツートン塗装になって活躍していたものありました。

これら旧型車の置き換えに使われたのは、7000系からの改造車である7700系が充当されたのですが、この置き換えも玉突きで捻出されたもので、その方法はまず東横線に当時5M3T編成で加速が劣りまた横浜付近の地下線化構想(これは昨年みなとみらい線として陽の目を見ました)により非貫通前面の8090系10編成について、まずMc車で貫通路がついた8590系先頭車を10両導入し、8090系を組み替え東横線に8590系6M2T編成として5編成を組成し、発生した8090系は5両編成10編成として大井町線に転属させ同線をこれで20m車5両編成に統一し、これで捻出された18m車6両編成の7700系を4両編成に組み替え、目蒲線に投入して旧型車を置き換えました。
この当時、目蒲線・池上線といえば誰もが思い浮かべたであろう旧型車が、ステンレス車に置き換えられたというのはそれだけでも画期的なことでした。しかし、それからわずか10年ほどで20m車6両編成になり、地下鉄と直通運転を実施し、ホームドアなどの最先端の設備が施された線区になるとは全く持って考えられず、それこそ当時に構想でこの件を耳にしたときは「遠い未来の夢物語」にしか思えませんでした。

現在では、東横線のバイパスとして機能している目黒線ですが、あと数年で不動前~洗足間の地下化と、東横線の複々線が日吉まで延びることになっていて、すべて完成した暁には急行の運転も行なわれるとのことです。
また、先ほどの写真を撮影した大岡山や田園調布は東横線の複々線化事業によって改良工事が行なわれ、現在では地下駅になっており沿線風景は変わりました。

平成の始め、まだ旧型車が闊歩していた目黒線(旧目蒲線)は、未来に向かってさらに変身しようとしています。それは、これら旧型車が活躍していた時代からの変化が、あまりにも急速であったことの裏返しなのではないかと思います。

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2005.06.22

JR九州 豊肥本線の名優 SL「あそBOY」号 終焉へ

全国各地で復活し、好評を博している蒸気機関車ですが、JR九州・豊肥本線の熊本~宮地を結ぶSL列車「あそBOY」号が、今年の夏の運転を最後に引退することとなりました。

JR九州・熊本支社ウェブサイトによりますと、あそBOY牽引の8620型蒸気機関車58654号機は、1922年の製造から83年、1988年の復活から17年が過ぎ、機関車の老朽化により、蒸気機関車単独での運転が困難になったためだそうです。そのためか、今年のSLあそBOY号は運転日が少なく、ディーゼル機関車牽引で代走したこともあったようです。

さて、私は1993年の夏にSL「あそBOY」号に乗車しています。
青春18きっぷを手に京都から「ムーンライト九州」で初めて九州入りし、目指した先がこのSL「あそBOY」でした。
熊本の市街地を、杉並木を抜け、立野のスイッチバックで阿蘇の外輪山を越えると、阿蘇山のカルデラの中の雄大な風景に感動しました。
また、この時は運転開始5周年ということで「スズムシ」が車内で配られた他、途中停車駅の阿蘇でイベントも実施され、印象に残っている列車であります。

そういう意味において、思い出あるSL「あそBOY」号の引退は、大変残念なことです。
しかし、製造されてから83年、一度は廃車となったものの復活してから17年、阿蘇の外輪山の急勾配に挑んだ「あそBOY」58654号機の活躍を大いに称えようではないでしょうか。

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1993年8月28日 熊本で筆者撮影 この当時、「あそBOY」58654号機はダークグリーンの塗装でアメリカ西部仕様の外観でした。

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1993年8月28日 阿蘇で筆者撮影 停車時間があったこの駅ではこの日、「あそBOY]到着に合わせてイベントが実施された。


関連記事
mattohさん SLあそBOY今年で終了(2005年6月21日)
新津田沼駅さん SLあそBOY 運行終了へ…(2005年6月21日)


参考
JR九州・熊本支社ウェブサイト
Yahoo! News 九州最後のSL廃止へ JRで最古の現役機関車 (共同通信・2005年6月21日)

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2005.06.19

JR西日本 京阪神アーバンネットワークの思い出 ~福知山線運転再開に際して~

本日より、あの忌まわしい脱線事故により不通となっていた、JR宝塚線(福知山線)尼崎~宝塚間の運転を再開します。犠牲となった方のご遺族や負傷された方々の傷が癒える状況ではないのは確かですが、この不通により迂回乗車などで不便を強いられた方々にとっては、ようやくの運転再開なのではないかと思います。

そこで運転再開にあたりまして、私自身のJR西日本アーバンネットワークの思い出をここに綴りたいと思います。

私が初めて関西に足を踏み入れたのは、今からもう10年以上前になります。「青春18きっぷ」を手に、この当時は165系の「普通大垣行き」に乗車し、大垣から113系の普通網干ゆきで関が原を越え、米原についてここからJR西日本の「アーバンネットワーク」に入り、混雑していた網干行きを降り、この駅始発の「新快速」という列車を待つこととしました。そして入線してきた列車が、この当時のアーバンネットワークの顔であった221系でした。

221-1
新快速で運用されていたころの221系 1993年3月25日 山陽本線姫路で筆者撮影

関西の電車は本でしか見たことがなかった自分にとって、この221系を初めてこの目で見たときはある意味、衝撃的でした。
それはJR離れした気品ある外観、大きな窓、そして転換クロスシートの高い居住性、いずれも関東ではお目にかかれないすばらしい車両だと感じました。そして、大阪まで乗車したのですが、これがまた速く特に京都を過ぎてからのスピードは圧巻の一言でした。

それ以来、何度か青春18きっぷでさらに西を目指したときは、この221系によく乗りました。というよりもこの車両を見ることで「もう大阪だ」という思いを持ったとともに、「これで姫路まで一気に突き抜けられる」という思い、また関西を去るときも「また乗ろう」と思ったものでした。

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青春18きっぷ愛用時代には良くお世話になった221系新快速
1993年3月26日 東海道本線 京都で筆者撮影

さて、その後「新快速」は進化を遂げていきます。増発・スピードアップにより221系に代わり223系が登場し、221系は徐々に新快速からは離れ、快速にさらにJR宝塚線の「丹波路快速」や奈良線の「みやこ路快速」阪和線の快速に転用され、主役の座から追われる立場になってしまいました。

新快速の増発やスピードアップ、接続の改善などは利便性の向上となり、利用客の増加という形になって現れ、それはダイヤ改正を重ねるたびに顕著になってきました。このことは、私自身も感心することで「もっと速くなるのでは」という期待を抱いたものでした。

しかし、それが余裕のないダイヤにつながり、運転士さんを始め車掌さんなど現場で働いている方々の負担を重くする結果となってしまいました。
これが、先日発生した脱線事故の背後要因の1つとなってしまったことは大変残念なことであり、感心していた自分もこれは反省すべきことではないか、と思う次第です。

本日より運転を再開するJR宝塚線、ここで改めまして、この事故で亡くなられた方々の冥福をお祈りするとともに、負傷された方々の1日も早い回復、さらにはすべての交通機関において安全な運行と、今回の事故原因の究明と対策を切望いたします。

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2005.02.28

鉄道事業法の適用を初めて受けたリニアモーターカー

「愛・地球博」開催・東部丘陵線「Linimo」開業記念 特別連載企画 第4回

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画像出展 HSST5号機のパンフレット

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2005.02.26

続・博覧会に登場したHSST

「愛・地球博」開催・東部丘陵線「Linimo」開業記念 特別連載企画 第3回

HSST-04
画像出典 HSST4号機パンフレット

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2005.02.23

博覧会に登場したHSST

「愛・地球博」開催・東部丘陵線「Linimo」開業記念 特別連載企画 第2回

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画像出典 HSST3号機パンフレットの表紙

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2005.02.01

あれから1年

早いもので、あれから1年が過ぎました。
横浜高速鉄道みなとみらい線が今日で開業1周年を迎えました。

みなとみらい線の開業に伴い、相互直通運転行う東急東横線では、開業の2日前の1月30日で横浜~桜木町が廃止となりました。この時期、東横線沿線には「桜木町」ゆきの電車を撮ろうと多くの方が訪れていました。

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今では見られない「急行 桜木町」ゆき 2004年1月10日 菊名で筆者撮影

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この光景もすでに1年以上前のもの 2004年1月10日 桜木町で筆者撮影

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この光景も同じく1年以上前 2004年1月10日 高島町で筆者撮影

東急東横線の横浜~桜木町は2004年1月30日の終電をもって廃止となり、「高島町」「桜木町」の両駅は廃止となりました。この夜、東白楽~横浜はみなとみらい線とつながる地下線に切り替えとなりました。そして翌2004年1月31日、東横線は全列車横浜折り返しで運行されました。

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この日は全列車横浜折り返しで運行された東横線 2004年1月31日 渋谷で筆者撮影

その翌日の2月1日、華々しく「みなとみらい線」が開業しました。開業当日は日曜日で、みなとみらいや元町・中華街へと横浜の観光スポットに直結するとあって千客万来の大盛況となり、この混雑のため定時運行もままならない状態となりました。

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この日より営業運転を開始した横浜高速鉄道Y500系 2004年2月1日 東急東横線菊名で筆者撮影

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みなとみらい線開業を告知したステッカーを貼った東急9000系 2004年2月1日 渋谷で筆者撮影

こうして開業したみなとみらい線ですが、その後は横浜の観光スポットを巡る路線として特に休日は大変多く利用されており、東急線と乗り入れている地下鉄各線からの臨時直通列車も走るなど話題も多いのですが、平日の通勤利用はそれほど伸びてはいないとのことです。

横浜の夢をかけて開業したみなとみらい線、これからこの沿線では開発が進むという情報もあります。これからも横浜の観光と発展にむけて千客万来を期待したいところです。

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2004.10.30

新潟の思い出

 10月23日に発生した新潟県中越地震において、亡くなられた方へのご冥福と、被害に遭われました皆様にお見舞い申し上げます。

 さて、自分の父は新潟県出身であります。磐越西線沿いの山間部の出で今回の地震で被害を受けた地域ではなく、また自分の親戚関係は皆さん無事でしたが、自分にとって所縁のある県で発生した地震であるだけに非常に驚いたところであります。

 と、いうことで父の実家には何度か行ったことがあります。初めて行ったのはまだ新幹線が開通する前のことです。その後は何度か行ったとともに、さらに東北方面・北陸方面へ当時「青春18きっぷ」で通過した箇所でもあります。

 そこで今回は、自分の手元にある新潟県内の鉄道の画像について、アルバムなどから紹介したいと思います。

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 まずは開業時、新潟運転所に勢ぞろいした新幹線200系車両です。今から20年以上前、当時国鉄に勤めていらした自分の親戚から頂いた写真です。なお、この写真は大きな写真で、今でも自分の部屋に額縁に入れて飾っているものです。

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 1993年3月に「青春18きっぷ」で東北を目指した時に乗車した快速「ムーンライト」号で、到着した羽越本線村上駅で撮影しました。到着したムーンライト号に付着している雪から経路上が豪雪地帯であることを物語っています。また余談ながら、このムーンライトから接続した酒田行き普通列車はEF81が牽引した客車列車でした。

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 1994年秋、父の実家近くを走る磐越西線で1往復残っていた客車列車です。この当時、まさか今日のように「ばんえつ物語号」というSLが走るとは思ってもみませんでした。

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 撮影は1998年ごろだったかと思うのですが、現在では廃止されてしまった蒲原鉄道の村松駅です。実は、自分が小学6年のころ、父の実家へ行ったとき自分1人だけ新幹線で長岡で降り在来線経由で加茂へ行き当時は、ここから出ていた蒲原鉄道に乗って五泉へ出てそこから磐越西線で父の実家に向かった思い出があります。画像は村松~加茂が廃止になって随分と時が過ぎ、残っていた五泉~村松の廃止1年くらい前だった時期のものです。

 と、いうことで、自分のアルバムなどから新潟に関する思い出の写真を紹介しました。


 最後に、今回の地震で被害を受けた方々の生活と、被災地の1日も早い復興をお祈りいたします。

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