« 運転開始50周年を迎えた特急「草津」号 | トップページ | 祝 羽田空港国際線ビル駅開業! 東京モノレールで運転「フラワートレイン」 »

2010.10.17

旅立ち!「さよなら中央線201系H7編成 ラストラン山梨 そして信州へ」 ~さよなら中央快速線201系~

本日の運転をもって、運行を終了した車両があります。中央快速線で30年以上にわたり活躍した201系の最後の編成、H7編成です。この編成のさよなら運転が団体列車扱いで7月から運転されていましたが、ついにラストランとなり「さよなら中央線201系H7編成 ラストラン山梨 そして信州へ」ということで、豊田から松本まで片道運転の団体列車として運転されました。今日はラストランとなった最後の中央快速線201系を見届けに行ってきました。

Img_6673
ついにラストランとなった中央快速線201系H7編成 2010年10月17日 塩山で筆者撮影

1979年に試作車が登場して以来、30年以上にわたり中央快速線で活躍してきた201系、最後の編成となったH7編成、本日の運行をもって引退ということになりました。今日の運転は豊田から松本へ団体列車としての片道運行になります。

ラストランとなった201系を撮影に、出発駅である豊田駅には発車の2時間以上前からホームに多くの人が詰め掛け、沿線でも多くの人がラストランとなった201系を2時間以上前から待っている状況でした。この列車は通勤型車による豊田→松本と長丁場になることから途中で停車時間がある駅があり、今回も6月のH4編成の時と同様に特急待避を兼ねて停車時間がある塩山で撮影し、最後の姿を見届けることにしました。

やがて到着が近づき駅員さんがロープで規制をしはじめた中、201系がやってきました。

Img_6652
塩山に到着した201系H7編成 2010年10月17日 筆者撮影

塩山でも多くの人が集まり、ラストランとなった201系を撮影していました。この画像にも映っている撮影者の姿がそれを物語っていると思います。
ラストランとなった201系H7編成は、ヘッドマークが付けられていたとともに、前面の方向幕もオリジナルのものが表示されていました。

Img_6650
付けられたヘッドマーク

Img_6651
前面の方向幕

これまで実施されたH7編成のさよなら運転では、まだ通常の運用にも就くことから特に装飾はなされていませんでしたが、今日はラストランということでこのように前面の「特別快速」表示器にヘッドマークが、方向幕は「さよなら中央線201系 豊田→松本」となっていました。

塩山では約20分停車時間がありましたので、反対側にも行ってみました。

Img_6662
こちらは東京方の様子 2010年10月17日 塩山で筆者撮影

Img_6664
東京方のヘッドマーク

Img_6658
東京方の方向幕

反対側東京方も同じデザインのヘッドマークがついていましたが、方向幕とともに文字が「ありがとう」になっていました。

このあとは再び松本方に戻って撮影しました。そして、ラストランとなった201系H7編成の塩山発車時刻となりました。
201系H7編成は出発時汽笛を鳴らして、まるで塩山にラストランを見届けに来た人に別れを告げるように出発していきました。

Img_6674
2010年10月17日 塩山で筆者撮影

この画像を撮影後、走り去っていた201系H7編成を姿が見えなくなるまで見届けました。そして、姿が見えなくなったあと、なにか熱いものがこみ上げてきました。それは私が中央線沿線界隈で生まれ育ち、学生時代は通学で、社会人になってからも通勤で利用した、身近でなじみあった車両が引退を迎えたということで、感慨深いものがありました。

本日片道運転となった201系H7編成は、松本到着後は回送となって篠ノ井線経由で長野に向かい、長野総合車両センターに取り込まれることになっています。しばらくしますと廃車・解体作業が始まることでしょう。本日の運行はラストランであるとともに、もう戻ることのないまさに旅立ちという運転になります。また同時に中央快速線における201系の活躍にピリオドが打たれたことも意味します。

30年にもわたり中央快速線で親しまれた201系、ついに終焉の日が来てしまいました。登場時は「省エネ電車」として脚光を浴び、オレンジの車体とブラックフェイスのスタイルは、この路線で長きにわたり親しまれた顔でした。この車両が活躍した間で国鉄はJRに、時代は昭和から平成に、そして20世紀から21世紀へ移り変わり、沿線風景も三鷹~立川の高架化など大きく変わり、それだけ長い間活躍してきました。最後の編成が旅立ったということで、中央快速線の一つの時代が終わり、この車両が活躍した日々は思い出になりました。中央快速線で親しまれた201系、その姿は多くの人々の記憶に残ったと思います。この車両の活躍をのちの世代まで、しっかりと語り継いでいこうではないでしょうか。

関連記事
旅立ち!「さよなら中央線201系H4編成 ラストラン 山梨そして信州」(2010年6月20日)
フィナーレに向かって「さよなら中央線201系H7編成甲府」号(2010年7月25日)

|

« 運転開始50周年を迎えた特急「草津」号 | トップページ | 祝 羽田空港国際線ビル駅開業! 東京モノレールで運転「フラワートレイン」 »

セレクトE電」カテゴリの記事

臨時列車」カテゴリの記事

引退・終焉」カテゴリの記事

セレクト中央快速線系統201系」カテゴリの記事

コメント

はじめましてこんばんは。
さよなら201系、美しく撮影できていますね。羨ましいです。途中駅でも大勢の撮影者がいたようで、この車両の人気を示していますね。
私は残念ながらさよなら運転は見ることができませんでしたが、この記事で雰囲気を味わうことができました。ありがとうございました。

投稿: 急行こまがね3号 | 2010.10.17 23:40

Kaz-T様
「さよなら201系H7編成」塩山までの取材お疲れ様でした。そして、ありがとうございます。
私も見に行けませんでしたが、Kaz-T様の記事で実感しました。
これで本当に中央線の201系が全て引退してしまったのですね・・・
これからは、私達が写真やDVDで残した思い出の中でしか走っている姿を見ることができなくなってしまいました。
さようなら中央線201系!!いつまでも忘れません。
今後は、この中央線201系のページがどうなってしまうのかも気になってしまいます。
どうか思い出を残すべく、このページもこのままいつまでも残してくれたら嬉しいです。

投稿: COLT | 2010.10.18 00:02

最後の1編成となった後も長いこと定期運用をこなし、昨日無事ラストランを終え、立派に中央線201系の最後を締めくくることができたH7編成。解体される運命ではあっても、本当に幸せだったと思います。きっと悲しい運命を背負い、廃車となってしまった黄色い201系(クハ201-3?)の分までも、精一杯走り抜けたのでしょう。
今日も豊田車両センターで留置されている1両の201系を車窓から見ました。勤務先は中央線沿線なので、時には201系を思い出す時もありそうです。色々ありましたが、今はただ労いたいと思います。

投稿: 通勤急行 | 2010.10.18 20:10

こんばんは。
昨日は予定通りファイナルラン、でも朝から信州入りしていたので「ふるさと&なごみ」のハシゴ撮影してから2回のみで終了しました。前回撮影しなかった姨捨に行ってみましたが下っていくシーンが撮影できる場所も満員、除草しての場所確保になってしまいました。でも長年撮影してきたオレンジ色の201系が引退はちょっと寂しいものですね。

投稿: nagasou | 2010.10.18 22:10

昨日のこの運転をもってラストランとなった中央快速線の201系、反響が大きく多くの皆様に弊ブログをご覧いただき、コメントもいただきました。誠にありがとうございます。

急行こまがね3号さん>
こちらこそ、はじめまして。弊ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。
ついにラストランとなった中央快速線の201系、出発駅の豊田に始まって停車駅や、沿線の有名な場所では早い時間から多くの方が集まり、ラストランとなった201系を待っていた状況でした。私は、比較的楽であろうと思われた塩山で見送ることにしましたが、ここも多くの人が訪れました。それだけ親しまれた車両であったことを物語っているのではないかと思います。
これからも、弊ブログをよろしくお願いいたします。

COLTさん>
この日の運転をもって、中央快速線から201系は運転を終了しました。30年近くにわたり活躍し親しまれた車両なだけに、運転を終了したことが信じられないのですが、すでにこの編成も長野総合車両センターに取り込まれ、廃車待ちといった状況になっているものと思われます。
201系が活躍した日々は、すべて思い出になりました。弊ブログにおきましては、中央快速線201系でカテゴリーを形成しており、関連する記事は当面このまま公開しますので、つたない画像ではありますが、弊ブログにてありし日の201系の姿を堪能していただければ幸いです。

通勤急行さん>
中央快速線で最後の1編成になったH7編成、こうしてラストランを迎えました。多くの人が沿線で出迎え見送ったとなれば、それは十分に幸せな生涯であったかと思います。それだけ沿線の方だけにとどまらず、多くの人に親しまれた車両であったかと思います。
豊田車両センターには今も201系の先頭車が1両保管されていますね。この車両がどうなるのか、やがてどこかでお目にかかれる日が来るのか、それは期待してみてもよいのかもしれません。

nagasouさん>
トラックバックもいただきまして、ありがとうございます。
松本までの最後の営業運転を終えて、篠ノ井線を長野へ回送される姿を撮影されたのですね。それは最後の大仕事をやってのけた誇りと、残された行路を終点まで走り抜けようとしている、どこかさびしげな姿にも見えます。いずれにしましても30年以上にわたり中央快速線で活躍した201系はこれで、運転を終了してしまいました。特に私のように、この車両が走行していた沿線界隈で生まれ育った者にとっては、なおさら感慨深いものがあります。それだけ寂しさを覚える感じです。

投稿: Kaz-T | 2010.10.18 23:26

中央線の201系はいなくなりましたが、 京葉線、関西の大阪環状線や関西線などではまだまだ現役です。
ただ、201系といえば中央線という時代も消えてしまうと思います。
H7編成は、中央線に初めて乗った車両で、なおかつ、ラストランという大舞台をつとめて、本当に幸せだったのでしょう。
「お疲れ様。」中央線の201系。

投稿: take | 2010.10.24 23:10

takeさん、コメントをありがとうございます。

201系自体はまだ京葉線や、関西の大阪環状線などでも残りますが、おっしゃるとおりで中央快速線がこの形式の発祥の路線であり、30年近くにわたり活躍した路線ですので、最後の編成となったH7編成の引退は大変惜しいものがあります。この編成は最後まで残り幸せな編成であったかと思います。

ラストランから1週間が過ぎましたが、まだ待っているとオレンジ色の201系がやってくるような気がするのが、今の自分の思いでもあります。

投稿: Kaz-T | 2010.10.24 23:50

この記事へのコメントは終了しました。

« 運転開始50周年を迎えた特急「草津」号 | トップページ | 祝 羽田空港国際線ビル駅開業! 東京モノレールで運転「フラワートレイン」 »