さよなら相鉄5000系ヘッドマーク
今日も昨日に続きまして相鉄を訪れました。その理由は、引退を迎えることになった5000系が、本日よりヘッドマークを付けて走行するということで、まずは横浜に向かいました。そしてヘッドマークをつけた5000系がやってきました。
ヘッドマークをつけた5000系 2009年2月8日 横浜で筆者撮影
今年度で引退を迎える相鉄5000系、昨日は相模大塚駅で5両づつに分割されて撮影会が実施され、今日から最後のお別れ運転会が行われる2月11日までヘッドマークを付けて運転されます。まずは横浜で、横浜方先頭車である5053のヘッドマークを撮影してみました。
「ありがとう 5000系」のヘッドマークをつけた5053 2009年2月8日 横浜で筆者撮影
5053に付けられたヘッドマーク
横浜方先頭車になる5053には「ありがとう」のヘッドマークが付けられました。そのデザインは、この車両の元になった旧5000系の車体色をイメージしたものでした。
これらを撮影後は、急行海老名行きになった5000系に乗車しました。
この車両は時代に合わせて改造が繰り返され、現在ではVVVFになっています。相鉄の車両特有の直角カルダンの独特な音と共に堪能しながら、これで最後になるであろう5000系の乗り心地を味わっているうちに終点の海老名に到着しました。
海老名に到着した5000系 こちらは海老名方先頭の5554 2009年2月8日 筆者撮影
5554に付けられたヘッドマーク
海老名方先頭車になる5554には「さよなら」のヘッドマークが付けられ、現在の5000系の外観をイメージした赤いデザインでした。
海老名到着後、今度は走行している5000系を撮影しようと各所を回ってみたのですが、今日も相鉄には多くの方が引退を迎える5000系を撮影しようと集まっており、良く撮影することはできずまともに撮影できたのは、上下ともさがみ野で出発時の後追いになります。
2009年2月8日 さがみ野で筆者撮影
2009年2月8日 さがみ野で筆者撮影
こうして、走行している姿を撮影を満足に撮影できなかった点に不満はありましたが、引退を迎える相鉄5000系の姿を見てきました。
相鉄5000系は、1955年に登場した相鉄初の新造電車でかつ初の高性能車である旧5000系を端に発します。当時は最先端の技術であったカルダンドライブや電気ブレーキを搭載し、車体の張殻構造を採用して床下機器も車体床下におさめられたボディーマウント構造であったという画期的な車両でした。車両メーカーのテスト車両という位置づけでもあったようでしたが、いずれにしましても、戦後の混乱が終わり発展を迎える時代に登場したこの車両は、大変好評であったかと思います。
しかしその後沿線開発が進み輸送需要がさらに伸び、またサービス向上の観点から1972年から更新が行われ、台車や電装品などは再利用され、車体は今のアルミボディーになった5100系に生まれ変わり、旧5000系の車体はすべて処分されてしまったとのことです。5100系は冷房装置が付いたほか、その後9000系までの相鉄の車両の標準装備となった油圧式の自動開閉窓が我が国で初めて装備されたとのことです。その後1988年に電装品をVVVFに換装して、再び5000系となりました。その後も活躍してきましたが、当初は数年前で全廃になるところ、事故に遭った車両があった関係で車両が不足して10両編成1編成が今日まで残されときおり運用に就いていましたが、ついに引退を迎えます。
この車両が活躍してきた間で相鉄は、沿線の開発が進み二俣川からいずみ野線が延伸して湘南台まで開通し、大手私鉄に数えられる企業に大きく発展しました。それに合わせて姿形を変えてきた5000系、私が生まれたころにはもう更新が行われて5100系になっていたとのことですので、旧5000系は今となっては伝説の車両になってしまいましたが、この車両の経歴は戦後の相鉄の発展を物語る歴史の証人であるようにも思えます。
まもなく引退を迎える相鉄5000系、相鉄の発展と共に歩んだこの車両の生涯と、その活躍した姿を語り継いでいこうではないかと思います。
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コメント
相鉄5000系も引退なんですね!
先々週、大井埠頭の埋め立て地の環状7号をトレーラーに運搬されて、青海方面に向かうのを見ました!
20mを越えるトレーラーなので、後ろを大型トラックが青い回転灯を回しながら守っていました。
海老名意外から道路から搬出されることもあるんですね!
投稿: 準急豊島園 | 2009.02.12 13:01
準急豊島園さん、コメントありがとうございます。
大井ふ頭付近で目撃された車両はおそらく7000系であるかと思いますが、相鉄でもこの春に11000系という新型車が登場することになっており、それに合わせて置き換えが行われていて、この5000系も引退を迎えました。軽量高性能車として登場してから54年、今のアルミ製20m車体になってから37年、VVVFに換装されてからも21年が経過しました。それだけ姿形を変えながら活躍してきました。
相鉄の廃車車両はおそらくは厚木駅付近で搬出されると思われ、そのトレーラーが進み先は最終解体場であるかと思います。その場所はどこかは不明ですが、これまでの活躍を労いたいと思います。
投稿: Kaz-T | 2009.02.12 23:35
こんばんは。僕が物心ついた頃には、薄緑色の6000系と、このステンレス車の姿を、小田急線海老名駅のホームからよく眺めていたのを思い出します。決して利用頻度の多い路線ではありませんが、見慣れた車両がまたひとつ過去の思い出になってしまうのは寂しいですね。お疲れ様でした。
投稿: 試運転スー | 2009.02.19 00:53
試運転スーさん、コメントとトラックバックをありがとうございます。
相鉄は私も何かしら無ければ、まず乗る機会はない路線になります。この車両も数が少なかったことから出会った際は注目していた車両になります。
引退を迎えてしまいましたが、5000系は相鉄の歴史の中で姿形を変えてきた車両ですので、その功績は大変大きいものがあるかと思います。
投稿: Kaz-T | 2009.02.19 22:57