« 旧信越本線開業120周年! しなの鉄道「リバイバル信州」号運転 | トップページ | あたらしい日々 上田電鉄1000系 »

2008.09.14

(旧)軽井沢駅舎記念館に行ってきました

しなの鉄道に今も残る169系に、かつての湘南色を再現し「リバイバル信州」号が運転されましたが、長野から乗車して到着した軽井沢には、新幹線開業前までの駅舎を復元した資料館として「(旧)軽井沢駅舎記念館」があります。ここから新幹線で上田に向かう前に立ち寄ってみました。

Img_1242
軽井沢駅に隣接している「(旧)軽井沢駅舎記念館」 2008年9月13日 筆者撮影

軽井沢駅は、今から120年前の1888年に開業しました。この記念館になった建物はそれから22年後の1910年に改築された駅舎で、避暑地軽井沢の玄関としてとして多くの観光客に親しまれましたが、新幹線開業により橋上の新しい駅舎が新築されたことから、その駅舎は取り壊されました。しかし、別荘地としても知られる軽井沢の人々の想いによって、2000年に再築がなりこのような資料館になりました。

建物は往年の姿ですが、室内は客だまりであったところは玄関ホールに、待合室であったところは展示室として、軽井沢の鉄道ゆかりの品々などの展示がありました。そして、この建物2階旧貴賓室であった部屋は歴史記念室としてソファーなどが置かれ、その当時の様子が再現されています。

さて玄関ホールをとおり、駅務室・改札口を通り抜けますと、軽井沢駅の旧1番線ホームに出ることができます。かつてはここに東京から長野方面を結んだ優等列車が到着し、多くの観光客が乗り降りしたホーム、ここには軽井沢所縁の機関車が2両展示されています。それぞれ見てきました。

Img_1247

Img_1253
信越本線横川~軽井沢の「碓氷峠」で活躍したEF63 2

新幹線が開業するまで信越本線で東京から信州は結ばれていましたが、横川~軽井沢間群馬県と長野県の県境に存在する碓氷峠は、当時の国鉄線最急勾配66.7/1000が存在し、特急列車とはいえども峠の麓の横川で高崎側に機関車を2両連結し、この機関車の力を借りなければ越えることができなかった難所でした。この区間で「峠のシェルパ」として活躍していたのが、このEF63です。群馬県側の横川には「碓氷峠鉄道文化むら」が整備され、数両の同系機が今の自走可能な状態で保存されていますが(横川の「碓氷峠鉄道文化むら」については、弊ブログでも過去に訪れております。こちらからどうぞ。)、長野県側でも軽井沢でこのように保存されています。

Img_1255
碓氷峠で活躍した我が国初の電気機関車 10000 (のちのEC40)

信越本線の碓氷峠区間は軽井沢駅開業から5年後の1893年に開業しました。この区間の急勾配に対処するためアプト式のラックレールを採用して開業しましたが、この区間は急勾配とともにトンネルも多く運転速度も低かったことから、当時の蒸気機関車では乗務員や乗客は煤煙に苦しめられました。この状況を改善するために横川~軽井沢は国鉄としては初めて電化されることになり、1912年に完成しその当時導入された機関車がこの10000形機関車で、我が国初の電気機関車になります。ドイツで製造されたこの機関車はのちにEC40となりその後後継機関車の登場により1936年には全車引退しました。その後は京福電気鉄道に払い下げられていたそうなのですが、やがて国鉄で保存されることになり1964年に鉄道記念物に指定され、軽井沢の地に保存されています。

難所の碓氷峠を越えると広がる軽井沢の高原地域、この地を結んだ列車に連結されて活躍した機関車がこのように展示されています。

(旧)軽井沢駅舎記念館の展示物は以上ですが、この記念館の前にはこんな車両も展示されていました。

Img_1258
かつて軽井沢と草津温泉を結んでいた「草軽電気鉄道」の機関車デキ13

1915年開業し1962年に全線が廃止となった草軽電気鉄道の機関車デキ13が展示されていました。
草軽電気鉄道は軽井沢から草津温泉を結んでいた軽便鉄道で、このような鉱山用の機関車を改良した独特な機関車が小さな客車や貨車を数量連結して山間部の急曲線をゆっくりとした速度で運行されていたそうです。この鉄道の廃線の理由は、台風による橋梁の流失被害が甚大であったことと、道路整備によるモータリーゼーションの発達によるものとされています。歴史に「もし」は禁物かと思いますが、今も残っていれば観光路線として人気を集めていたのかもしれません。

明治以降避暑地として多くの著名人が別荘を構え観光地として発展した軽井沢、1964年の東京オリンピックでは馬術競技の会場、1998年の長野冬季オリンピックではカーリング競技の会場にもなったこの地の玄関として人々に親しまれた(旧)軽井沢駅舎、その歴史の一端を知ることができる施設です。これから秋の観光シーズンで多くの人が訪れる軽井沢、この施設も他の軽井沢の歴史施設とともに訪れてみたい施設ではないかと思います。

|

« 旧信越本線開業120周年! しなの鉄道「リバイバル信州」号運転 | トップページ | あたらしい日々 上田電鉄1000系 »

保存車両」カテゴリの記事

博物館・資料館」カテゴリの記事

コメント

草軽ですが、宮脇先生の本によると
トンネルが掘れずに(技術か資金面かで)
迂回迂回のルートのため輸送機関としては
旧時代のものだそうです。

従って効率優先の今では残すとしても数キロ
の観光鉄道程度となってしまいます。

逆にそれでよいのなら今から資金を募れば
何とかなるようにも思えます。

投稿: SATO | 2008.09.14 21:20

SATOさん、コメントありがとうございます。

草軽電鉄の路線形態は、トンネルが掘れずに迂回ルートを採っていたわけですね。そういう意味では、戦後の道路整備により、急速に廃れていったというのは、この路線に限らずどこにでも見られたことではあったかと思います。

廃線となってから40年以上が経過し、この路線の存在自体が風化しつつあるのではないかと思います。この鉄道でも一部箇所でその遺構が残っていると言われています。もう復活は望み薄と言えるかと思いますが、今残っていればという気にはなります。

投稿: Kaz-T | 2008.09.16 00:29

 こんばんは。長野新幹線が開業した際、すっかり様変わりしてしまった軽井沢駅には正直びっくりしてしまいました。地元の街中の駅と変わらない橋上駅舎には興ざめなところはありますが、やはり軽井沢の駅といえばこの旧駅舎のほうがしっくり来ますね。役目は終えましたが、末永く後世に伝えていってもらいたいものです。

投稿: mattoh | 2008.09.27 22:42

mattohさん、コメントありがとうございます。

新幹線が開業して早10年、これにより軽井沢駅も近代的な橋上駅舎になってしまい、旧駅舎は一旦は解体されたとのことですが、このように再築され記念館としてオープンしたとのことです。

古くからのリゾート地であるだけに、この駅舎は再建とはいえその姿をとどめているという点で、保存されている機関車とともに後世に伝えてほしいと思うのは私も同じです。

投稿: Kaz-T | 2008.09.30 00:25

この記事へのコメントは終了しました。

« 旧信越本線開業120周年! しなの鉄道「リバイバル信州」号運転 | トップページ | あたらしい日々 上田電鉄1000系 »