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2007.10.30

秋の阪急レールウェイフェスティバル2007に行ってきました

好天に恵まれた10月28日日曜日は、阪急京都線の正雀にある阪急電鉄正雀工場で「秋の阪急レールウェイフェスティバル」が開催されました。このイベントに行ってきました。

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イベントで展示された保存車両P-6・116(左)と900(右) 2007年10月28日 正雀車庫「秋の阪急レールウェイフェスティバル2007」会場で筆者撮影

鉄道の日シーズンにあたる10月は全国的に鉄道イベントが開催されますが、阪急電鉄でも例外ではなくこの時期に工場もある正雀で一般公開のイベントが開催されます。このイベントは事前に往復はがきで参加申し込み制のイベントでしたので、とりあえず応募したところ見事当選しましたことから、今回の関西遠征が決定しました。

さて、9時30分頃に会場に着いて、まず向かったところは車庫線で、ここでは「Photo倶楽部2007」ということで撮影会が開催されていました。

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Photo倶楽部2007で展示された保存車両

今回の撮影会は、かつて阪急で活躍した保存車両が並んで展示されました。そこで、まずはこれら車両を撮影してみました。

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神戸線で活躍した900形 900

この車両は900形と呼ばれる車両で、1930年に神戸線にデビューした車両です。当時大阪梅田~神戸三宮を25分で走破した特急列車として活躍し神戸線のクイーンとして君臨した車両で、今日の阪急スタイルの原型となった車両とのことです。

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京都線で活躍した通称P-6 100形 116

この車両は、現在の阪急京都線を開業させた新京阪鉄道が1927年から導入した車両で、通称P-6と呼ばれた当時の最先端の車両でした。重厚な車体と強力なモーターを装備し高速運転を行ない、当時の最速列車であった特急「燕」を追い抜いたという逸話が残る伝説の名車です。

さて、Photo倶楽部会場からは、他にも遠くに停まっていた車両を撮影することができました。

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洗浄線に停車していた5300系

そして、その奥にはこんな車両が停まっているのが見えました。

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今も残る2301

おととしの10月、嵐山線の運行で勇退した2301Fが停まっていました。今日の阪急スタイルを確立した車両であり、その当時のスタイルが残されていることからでしょうか?保存されているようです。
(2301Fについて、勇退記念のヘッドマークをつけて運転している姿を過去記事で取り上げています。こちらからどうぞ。)

このPhoto倶楽部は9時45分と早い時間で終了になりました。せっかくの保存車両ということではあったのですが、このあとに更なるイベントがこの保存車で実施されました。それは10時30分から「P-6・900形運転会」というものです。この保存車のうち116号車は今でも車庫線内であれば自走可能となっていて、900形と連結して構内を2往復し実際に乗車することができるという企画です。貴重な保存車が走行し、乗車できるという事ならばぜひ体験してみようと思いまして、列に並びました。待っている間に116号車は入換を行い900形と連結ののち、構内をまずは試運転で往復していました。

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構内を試運転で走行している900+116

こうして時間になり900形に案内されました。1930年に製造された車両、車内は転換クロスシートが並んでいるまさに神戸線の一時代を飾った車両であることを実感できました。構内を2往復しましたが、900は自走は不可能で116の力を借りて走行することになります。P-6の力強い吊り掛けの音を感じながら戦前の神戸線の特急として活躍した900形を堪能できました。その後、乗車体験列車を降りてP-6を撮影してみました。

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走行体験会になりますので116側しか撮影できませんが、特急サボも凛々しく王者の風格さえ漂うP-6と、気品あふれる900形の姿を堪能することができました。

さて、走行会の会場付近では各種部品などの販売コーナーになっていたのですが、ここにはかつて阪急電車に掲げられていたサボが展示されていました。

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展示されたサボ各種

この後、今度は工場内に入ってみました。工場内ではクレーンの実演や入場中の車両の方向幕を使ったビンゴゲームなど各種イベントが行なわれていました。そんな中、この工場内で「座席収納車両見学会」という企画がありました。

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座席収納車両見学会で展示された8200系

「座席収納車両」とは、朝のラッシュ時間帯に神戸線西宮北口→梅田で通勤急行の梅田方に連結される8200系のことです。(弊ブログで過去記事があります。こちらからどうぞ。)この車両、朝のラッシュ時間帯でしか見ることが出来ないことから、このようにイベントで展示されたようです。見学会ということで車内も公開していました。

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8200系車内座席を収納した様子

2両編成のうち1両はこのように座席が収納された状態でしたが、もう1両は座席がセットされていました。そこでこの座席に座ってみましたが、その感想は「これは良くない極悪岩座席!」。8200系が2両編成2本4両しか製造されなかった理由が、座席が無くなるということの不満だけではなかったように思えました。

8200系を降りて更に進みますと、入場中の車両が停まっていました。

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入場中の5122

一見先頭車に見えますが、転落防止ホロが付けられたいることから中間に入っている車両であるかと思いますが、そのためある意味原型の前面を保っているという車両になります。

この後、工場内を廻ってみました。その中で「阪急ミュージアム」ということで、その昔の阪急の車両のカットボディーが展示されていました。

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展示されたカットボディー

これらカットボディーは、かつて宝塚ファミリーランドにあった資料館で展示してあったものだそうですが、この遊園地自体が閉園になり、これらカットボディーは正雀に運ばれてきたようです。この場所で所狭しと並べられていましたので、結構人が集まっていました。

この後廻ってみますと、この工場敷地内に路面電車車両を製造する「アルナ車両」のパネル展示などがありました。そしてその付近にはこんなものもありました。

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5251のカットボディー

これも廃車となった5251の先頭部が置かれていましたが、この前でオリジナルカレンダー製作コーナーとなっていて、この車両の前で記念撮影しますと、来年のカレンダーとして出力されてくると言う企画でした。

これらを一通り見物しまして昼頃に、正雀を退散しました。

阪急のイベントは、往復はがきによる事前申し込み制でしたが、多くの人が訪れており盛況でした。今年で創立100周年を迎えた阪急電鉄が、これからも地域とともに発展していくであろうと思われることを実感できたイベントであったと思います。


画像はすべて2007年10月28日 阪急正雀工場「秋の阪急レールウェイフェスティバル会場」で筆者撮影

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コメント

ご存じの通り、8200系は今、座席を出した状態での営業運転はしていません。
座れるチャンスはこういう機会しかありませんから、貴重な体験でしたね(笑)

投稿: twins | 2007.11.03 11:34

こんばんは。出身が阪急神戸線沿線なので、懐かしさで一杯です。宝塚ファミリーランドの「電車館」、何度も行きましたよ。僕にとっての「遊園地」はなんと言っても、宝塚ファミリーランドでした。それだけに、閉園になった時は悲しかったです。
900系の量産車として広幅貫通路付で登場した920系には、今津線、甲陽線でよく乗りました。当時は「古い電車だなぁ」と思っていましたが、今となっては今はなき西宮北口の「ダイヤモンドクロス(神戸本線と今津線の直角平面交差)」と共に思い出の彼方です。
「P-6」ことデイ100系はリアルの時代を知らないので、何とも言えないのですが、かっての京都線の前身である京阪電鉄新京阪線は、名古屋までの延長計画もありました。そのために高速電車が必要とされ、登場したのがこの「P-6」だったのです。登場当時は、車内に位置表示機もあったそうです。

投稿: みゃあみゃあ | 2007.11.04 18:20

コメントいただきまして、ありがとうございます。

twinsさん>
おっしゃるとおりで、8200系は朝のラッシュ時間帯にしか運転されませんので、こういう場で展示されるのはなるほどとも思います。座る体験はしたものの、座り心地は今一歩といったところでした。

みゃあみゃあさん>
お生まれが阪急神戸線沿線とのこと、また宝塚ファミリーランドに多くの思い出があるようで、今回展示された各種カットボディーには思い入れがあるのでしょう。
西宮北口のダイヤモンドクロス、本でしか見たことがなく今年日比谷やこのイベント会場で発売されていた「ラガールカード」はその当時の様子が図柄になっています。今ではすべてが思い出になってしまったということなのでしょう。
P-6について、その昔は名古屋まで路線を延ばす構想があったのですか、関西私鉄のスケールの大きさとともに、必然的にこれだけの高速電車を登場させたのですね。ご教示をありがとうございました。

投稿: Kaz-T | 2007.11.05 00:16

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