京王高尾線開業40周年イベント実施
京王電鉄オフィシャルサイトのリリースによりますと、高尾線開業40周年を迎えるにあたって各種イベントが行なわれるそうです。
京王高尾線は京王線北野から分岐して高尾山口を結ぶ路線で、その終点の駅が示すように東京都内の身近なハイキングコースである高尾山を結ぶ路線です。1967年10月1日に開業して、今年で40周年を迎えます。
さて、このイベントの内容は、秋の紅葉シーズンに突入していくとあって高尾山スタンプハイクや、記念グッズの配布、さらには髙尾山薬王院の住職により書かれた「書」の展示などが行なわれます。
そして、鉄道ファン向けとしましては、高尾線各駅でパネル展が行われる他注目すべき点としまして、10月1日より「高尾線開業時の『高尾号』のヘッドマークを複製し、8000系、9000系各一編成に掲出します。」という企画が行なわれるとのことです。かつて、ハイキングシーズンの休日に運転されていた高尾山口行きのハイキング特急に掲げられていたヘッドマークが、この企画で再現されます。
ハイキング特急「高尾号」のヘッドマークを掲げた高尾線開業当時の京王線の主力車両であった5000系 2004年11月14日 若葉台車両基地「メモリアル5000系撮影会」会場で筆者撮影
ハイキング特急「高尾号」は6000系に引き継がれた。後年ヘッドマークのデザインも変更された 1992年5月24日 明大前で筆者撮影
高尾線開業時の京王線の主力として優等列車で活躍していた5000系、そしてこの跡を継いでハイキング特急として活躍した6000系に掲げられた「高尾号」のヘッドマークが、現在の主力車両である8000系・9000系に掲げられます。ハイキング特急「高尾号」は1992年5月、相模原線橋本行きの特急が設定されたダイヤ改正でその姿を消しました。それから早くも15年の歳月が流れてしまいました。
15年前ですと、ちょうど8000系が登場したころになります。今では5000系は引退し、6000系も数を減らしてこの画像に写っているような「前パンタ」の車両による特急運用はほぼ皆無であるとともに、残っている6000系も塗装が変更になっています。
また、「高尾号」が廃止されたダイヤ改正で登場した「特急橋本」行きも今では過去のものになったばかりでなく、休日ダイヤの高幡不動での特急分割併合もなくなり、いつの間にか2001年3月のダイヤ改正で登場した「準特急」が台頭して、「特急」自体が平日ダイヤの昼間と土・休日ダイヤの朝にしか見ることができなくなってしまいました。
ハイキング特急廃止から15年という歳月で、京王線系統のダイヤは大きく変わりました。この歳月を思いつつ、10月1日から現在の主力車両である8000系・9000系に取り付けられる「高尾号」のヘッドマーク、それこそ土・休日ダイヤの昼間にこのヘッドマークをつけた高尾山口方面へ行く優等列車は「準特急北野」行き(北野から各停高尾山口行き)ということになってしまいますが、京王の一大観光地といえる高尾山へいざなう高尾線の開業40周年を祝おうと思います。
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コメント
こんばんは。隠れ京王ファンの私が来ましたよ(爆)
…冗談はさておき、ハイキング特急が廃止されたのが15年も前だったのですね。このころは8000系が出始めたころで、6000系が主力でしたが、やはり6000系はこの前パン&オリジナル塗装が一番かっこいいですね。
それが今では、高尾号どころか分割特急すらなくなってしまい、観光色がなくなってしまったような気がします。それだけ高尾山や陣馬高原に向かうハイカーが減っているのでしょうか? そうであればなおさら、このヘッドマークを復活させて、高尾山口行きの「区間準特急」(私は北野以遠各駅停車になる準特急をこう呼んでいます)をアピールしても良いのでは、と思います。
投稿: さすらいの8143 | 2007.09.13 22:44
どうやら私が幼稚園通園時に使った高尾線は開業直後だったようです。
開業日、実は親父に沿線へ連れて行ってもらったことがありました。
6歳の1月から3月ですから1968年1月から3月の間聖蹟桜ヶ丘から高尾山口まで通園しました。長い距離ゆえ半分も通えず休んでばかりの幼稚園でしたが、それでも親切にしてもらった経験があります。京王ファンになった原点かもしれません。
当時は通勤快速が高幡不動で終ってしまい、そのあと特急が走っていたように記憶しています。高幡不動で必ず降りて乗り換えていたものですし、各停は北野ー高尾山口折り返しだったような気がします。
ただ、平成4年までは高尾線の通勤快速も今の特急と同じ停車駅でしたからひょっとしたら後続の通勤快速だったかもしれませんが、長沼は通過していたよなぁ・・ やっぱ特急だったと思います。
帰宅時は特急でした。
投稿: SATO | 2007.09.14 20:47
コメントいただきまして、ありがとうございます。
さすらいの8143さん>
早いもので、ハイキング特急「高尾号」が廃止されてから、15年も過ぎてしまいました。ちょうど8000系の登場の時期に姿を消したことになります。
6000系前パンタのデハ6450を先頭にした特急はかなり迫力があり、まさに自分が幼いころに親しんだ京王線の姿であると感じています。この画像に写っている6451はすでに廃車になっています。
15年の間で京王線は車両のラインナップもダイヤも変わってしまいました。今では陣馬高原に行くバスも高尾駅から出ているようで、往年のハイキングシーズンの「陣馬号」「高尾号」の続行は、もはやありえなくなりました。また、レジャーの多様化でやはり高尾山方面へのハイキングに行かれる方は減少しているようです。(特に春シーズンで減少している理由の一つとして花粉アレルギーが言われており、高尾山は「スギ花粉」の発生源の一つで、敏感な人は中央線や京王線で八王子方面へ進むと明らかに花粉の濃度が濃くなってきたことを感じるといいます。)
今のダイヤは土・休日ダイヤの昼間は「準特急」となり高尾線方面にむかう列車も北野から先高尾線内各駅停車となることから新宿で「準特急北野」行きという列車になります。また8000系・9000系が主力になっていますので、今の運用に「高尾号」のヘッドマークはミスマッチ以外何者でもありませんが、15年の歳月で変わった京王線の今の姿を改めて実感することができるのではないかと思います。
SATOさん>
高尾線開業時に、高尾山口まで通園していたのですか。あの頃とはどう変わったのでしょうか?
高尾線開業時のダイヤは、やはり特急・急行が主力であったことは今のダイヤから見ますと、想像がつきません。やはり当時は京王線沿線最大の観光地として宣伝を行なっていたのでしょう。今でも誘致にむけての宣伝は行なっていますが、やはりかつての賑わいからは寂れてきているようにも思います。
40周年を迎えた京王高尾線で高尾山へ、あのころの思い出をたどりにお出かけになってみてはいかがかと思います。
投稿: Kaz-T | 2007.09.14 23:53
スタンプハイクは秋もやっていたのですね。ユーブはゴールデンウィークに高尾山に登り、そこからさらに小仏城山という山に行きさらに1つの山と4つの峠を通過しその先の奈良子峠という峠まで行き、さらにそこから下山し藤野駅まで歩いてゆくという経路で毎年登山をしています。
ユーブは、15年前は生まれてもいなかったので分かりませんが、高尾号という名称の特急電車が運転されていたのですね。初めて知りました。でも、今は準特急が特に運転されているので、特急に乗る機会が少なくなりました。登山のときは、2006年のゴールデンウィーク(ダイヤ改正前)の時は、家を朝7時代に出て京王線の特急を利用していましたが、今年は明大前駅を出るのが10時を過ぎてしまいました。なので準特急を利用してみました。
今のところ、受験で時間が無いのですので京王線まで出かける暇すらありません。でも、この京王高尾線40周年をユーブも、心の中から祝いたいと思います。
投稿: ユーブ | 2007.09.15 09:45
ユーブさん、コメントありがとうございます。
高尾山周辺で行なわれるスタンプハイクは、以前から春と秋に行なわれており、陣馬山から高尾山・高尾山口駅を縦走するコースを基本に、途中の城山から相模湖へ降りるルートなど、各種コースがあり現在も行なわれています。
そのスタンプハイクが行なわれる時期の休日に運転されたのが、本記事の画像に登場しているハイキング特急です。朝の時間帯、新宿から京王八王子行き「陣馬号」と高尾山口行き「高尾号」が続行で運転されていました。
ユーブさんはこのハイキング特急が運転されていた当時は、まだ生まれていなかったのですか!確かにハイキング特急が姿を消したのは15年前のことですので、今の中学生・高校生にしてみれば見た記憶がないという状況なのですね。それだけに15年という歳月を思い知らされました。
今は土休日ダイヤは準特急が基本になってしまい、ダイヤは大きく変わりました。おっしゃるとおりで高尾線開業40周年を、同じく祝おうではないでしょうか。
投稿: Kaz-T | 2007.09.15 22:01
Kaz-Tさん。
記事の最後にある参照リンク、クリックしてもページが開けません。
アドレスが間違っているようですので、訂正を・・・。
さて、高尾山へは最近まで行ったことがありませんでした。
昨年2月になって初めて高尾線乗りとおしを兼ねて向かいましたが、普段運動していない体にはきつかったです。
#それだけでなく蕎麦を食いすぎたというのもありますが・・・w
そういえばシーズンダイヤってもうなくなったんでしたっけ?
投稿: ひろっぴ | 2007.09.16 22:07
ひろっぴさん、コメントとトラックバックをありがとうございます。
記事中のリンク先について、訂正いましました。ご確認ください。
高尾山は東京都内における身近な山でこれからのシーズン、特に紅葉を迎えますと多くの人が訪れます。その高尾山の入口といえる高尾山口へ行くのが京王高尾線になります。今年で40周年を迎えます。
かつては、ハイキングシーズンにはこの記事の画像のような「高尾号」のヘッドマークをつけた特急が走りましたが、今ではシーズンダイヤはなくなり、土・休日ダイヤでは朝時間帯に高尾山口行きの特急があるだけで、それ以外は準特急北野行・北野から各停高尾山口行となります。高尾線開業から40周年、それだけ時代が流れた、ということかと思います。
投稿: Kaz-T | 2007.09.17 13:57
こんにちは、京王線沿線在住のみゃあみゃあです。
懐かしいヘッドマークですね。京王八王子ゆき「陣馬」号に、高尾山口ゆき「高尾」号。確かに昔は、ヘッドマーク付けて続行運転していましたね。大晦日には正月特急「迎光」号なんていうのもありました。
かって野猿峠がハイキングコースだったころは、特急「野猿峠」号や「秋川」号なんていうのもあり、当時としては最新鋭だった5000系や、アイボリーに赤帯に塗られた2700系が使用されていました。
当時は、何と「平山城址公園」駅が特急停車駅だったのです。(ここからバスで野猿峠等へ連絡していた)
もちろん「高尾」号も、高尾線開通以前は東八王子(現在の京王八王子)発着で、そこからバスの連絡でした。
今や通勤通学路線となった京王線。高尾線も、観光路線から通勤・通学路線に役目を変えましたね。
投稿: みゃあみゃあ | 2007.09.18 18:01
みゃあみゃあさん、コメントありがとうございます。
ハイキング特急「高尾号」、お楽しみいただけましたでしょうか?京王八王子行き「陣馬号」と続行運転だったハイキング特急も過去のものになりました。
平山城址公園に特急が停車していたというのは、今からもってみれば「えっ」と思われますが、その当時おそらく5000系が登場する前後で、まだ特急が春・秋の行楽シーズンのみの運転だった時代の話かと思われます。その当時は、平山城址公園や野猿峠はハイキングコースだったのですね。今ではニュータウンになり道路もできて風景は一変、まさに戦後の東京郊外の変貌を物語る話であるかと思います。
高尾線は開業当時から高尾山への観光路線であったとともに、途中のめじろ台で分譲も行なわれました。それだけこの路線も発展したのでしょう。
高尾線開業40周年を、祝おうかと思います。
投稿: Kaz-T | 2007.09.18 22:23