廃線間近のくりはら田園鉄道を訪ねて
今回の仙台遠征は、主にこのエリアから姿を消す旧国鉄型車両を撮影してきましたが、その後仙台から一ノ関行きの普通列車に乗りました。仙台から701系のロングシートに揺られること約70分、景色は次第に田園風景になり残雪も目に付く宮城県北部の石越に着きました。ここから「くりはら田園鉄道」という路線が出ています。この線に乗車してきました。
JR石越駅前にあるくりはら田園鉄道の石越駅 駅舎 2007年3月15日 筆者撮影
石越駅に停車中のくりはら田園鉄道KD951 2007年3月15日 筆者撮影
くりはら田園鉄道は、もとは栗原軌道として細倉鉱山で産出された鉛や亜鉛などの金属を輸送する目的で1918年に開通しました。開通後は産出される金属の輸送力増強などのため電化・軌間変更(762mm→1067mm)を行い社名も何度か変更され栗原電鉄となりましたが、1987年に細倉鉱山閉山により貨物列車が廃止となると経営が悪化、1990に細倉鉱山跡がテーマパークとして整備され観光客輸送に活路を見出そうとしましたが、それでも沿線の過疎化などで1993年に沿線自治体に経営を移管し第三セクター化、その後1995年に社名を「くりはら田園鉄道」と変更してそれまでの電車から気動車による運転になりました。
第三セクター化後は「サポーターズクラブ」を発足させ、沿線活性化などの取り組みも行ってきましたが、この鉄道もついに命運が尽き、今月31日の運行をもって廃線となることになりました。
今回、仙台に来たことからあわせてくりはら田園鉄道も訪れることとしました。初めて訪れることになったくりはら田園鉄道、自分にとって最初で最後の訪問となってしまいました。
さて、始発駅の石越にはすでに細倉マインパーク前行きの列車が停車中でした。
2枚とも2007年3月15日 石越で筆者撮影
くりはら田園鉄道の現在の主力車両であるKD95です。各地の第三セクター路線で見ることができる気動車ですが、鉱山へ向かう鉄道をイメージした外観になっています。
さて、廃線を間近に控え、平日のこの日も多くの人がこの列車に乗車していました。鉄道ファンだけではなく、おそらくは宮城県内の方もこれで最後ということで訪れていました。皮肉にも廃線間近になって多くの人が乗車している状況、いつもこれだけの人が乗車していれば命運は尽きることは無かったと思いました。
その後列車が出発しました。石越を出ると細倉マインパーク前まで、残雪残る田園風景の中を走ります。おそらくは日本各地で見ることができた風景であるかと思います。その後山が近づいてきますと一面が白くなってきました。石越から約40分で終点の細倉マインパーク前に着きました。
細倉マインパーク前に到着したKD951 2007年3月15日 筆者撮影
細倉マインパーク前駅舎 2007年3月15日 筆者撮影
細倉鉱山全盛の時代は、現在の駅の手前200mのところに細倉駅があったのですが、マインパーク開設にあたり路線を200延伸して現在の場所に細倉マインパーク前駅に移設となりました。
この駅前に展示されていた車両がありました。
細倉マインパーク前駅前に展示されていたED202 2007年3月15日 筆者撮影
細倉鉱山全盛の時代に、産出された鉱石を積んだ貨物の先頭に立っていた機関車ED202が貨車を連結した状態で展示されていました。
2007年3月15日 細倉マインパーク前で筆者撮影
ここから再び石越に戻りますが、途中駅で車庫がある若柳で下車しました。
2007年3月15日 若柳で筆者撮影
若柳駅駅舎 2007年3月15日 筆者撮影
若柳駅構内にある車両基地に停車していた車両を撮影してみました。
車両基地で憩う現在の主力車両 KD95 2007年3月15日 若柳で筆者撮影
栗原電鉄時代に活躍した電車 M153 2枚とも2007年3月15日 若柳で筆者撮影
栗原電鉄時代にイベントカーとして活躍した電車M181 2007年3月15日 若柳で筆者撮影
車内が自転車置き場として使われていた栗原電鉄時代に活躍した電車M182 2007年3月15日 若柳で筆者撮影
名古屋鉄道から移籍してきたKD11・KD12 2007年3月15日 若柳で筆者撮影
若柳駅には、栗原電鉄時代に活躍した電車が半ば放置された状態で止まっていました。すでにくりはら田園鉄道は気動車で運転していることから、電車が運転できる架線などの設備は撤去されていますので、もう走ることはありません。また、この車両基地内にとまっていたKD11・KD12気動車は、名古屋鉄道からやってきた気動車で、名鉄時代は八百津線・三河線の末端区間(吉良吉田~碧南・猿投~西中金)で使用されていた車両でしたが、新型気動車導入により廃車となりくりでんにやってきました。すでに名鉄時代に活躍した線区は現在ではすべて廃線になっています。
若柳駅は、数少ない有人駅(ちなみに石越及び細倉マインパーク前も無人駅)ですので、ここで過去に発売された85周年と、さよならの記念キップを購入しました。
これで若柳をあとにして石越に向かうのですが、乗車する列車が多客のため遅れているとのことでした。このまま行くと石越での東北本線の接続がギリギリの状況でした。混雑して到着した石越行きに乗車して、終点の石越で撮影しました。
石越に到着したKD952「バンデス号」 2007年3月15日 筆者撮影
若柳から石越まで乗車した車両は「バンデス号」という列車で、地元テレビ局の番組とタイアップしたイベント列車になります。車内には沿線の子供たちが描いたくりでんの絵が飾られていました。
石越でこの車両をもっと撮影したかったのですが、もう仙台方面の東北本線の列車が到着する時刻でしたので、名残惜しかったのですがこの場を退散しました。
今から89年前に開通し、細倉鉱山から産出された鉱石を運ぶ目的で開通した栗原電鉄、その経営を引き継いだくりはら田園鉄道も、あと2週間ほどで終焉を迎えようとしています。沿線風景はのどかな田園風景を進むこの鉄道の廃止はやはり惜しい気がしますが、見方を変えますと細倉鉱山が閉山となった時点で役目を終えていたのかもしれません。いずれにしましても、廃線直前で訪れることができたくりはら田園鉄道、どうか最後の日まで無事に走りぬけて有終の美を飾ってほしいことを切に望みます。
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コメント
こんばんは。今年の1月にお別れ乗車をしてきました。栗原電鉄から現在のくりでんに転換した'95年に両方乗ってきましたが、概ね沿線の風景がほとんど変わってなかったのが印象的でしたね。変わってたといえば、起点の石越駅が無人化されたくらいでしょうか。それ以外は12年前とほとんど変わってない気がします。
運転終了まで残すところ10日あまり。とにもかくにも事故なく無事に運転して欲しいところです。
投稿: mattoh | 2007.03.19 22:39
mattohさん、コメントとトラックバックをありがとうございます。
私も廃止直前になって、くりでんを訪れました。のどかな風景はやはりそれほど変わっていないのでしょう。ただ、最終日が近づくにつれ大変な混雑になっているようです。
私も最後の日まで、無事に運転してほしいと思います。
投稿: Kaz-T | 2007.03.19 23:36