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2007.01.09

熊本で活躍する元地下鉄の車両

熊本電鉄乗車記の続きです。上熊本から北熊本まで、今も残る「青ガエル」に乗車した後は北熊本から実質上の本線とも言うべき藤崎宮前~御代志を運転する列車に乗車しました。

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熊本電鉄の実質上の本線で活躍している6000系 2007年1月6日 北熊本で筆者撮影

熊本電鉄は、正式には上熊本~御代志までが菊池線・藤崎宮前~北熊本が藤崎線となっているようですが、運転系統では上熊本~北熊本は折返し運転で、藤崎宮前~御代志が本線という状況になっています。この区間で活躍している車両は6000系という車両で、元は都営三田線で活躍していた車両です。熊本入りの際に2両編成になりワンマン運転対応になり、前面にスカートが付きました。また前面の東京都のイチョウマークが熊本電鉄の社紋になったほか、一部外装が変更されている車両もあります。冒頭の車両はほぼ都営時代と変わりませんが、車庫にはこんな外装になった車両が留置していました。

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赤帯に変更された6000系 2007年1月6日 北熊本で筆者撮影

北熊本からはまず御代志まで乗車してみます。沿線は熊本の郊外といった趣で、新興の住宅地や学校などの施設を見ながら進みます。また住宅地建設にあわせて近年新設された駅もあるようです。北熊本からは約20分で終点の御代志に着きます。

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御代志に到着した6000系 この車両は前面窓周囲に黄色が追加された 2007年1月6日 筆者撮影

御代志駅は1線1ホームの駅ですが、ここで菊池に向かうバスに接続します。熊本電鉄はかつてここから菊池まで路線がありましたが、利用客減少などによる不採算で廃線になっています。このバスは廃線となった鉄道の代行バスということになります。末端区間は廃止になってしまいましたが、残った区間は沿線の開発などで利用が多いようです。

さて、御代志からは今度は藤崎宮前までこの電車で戻ります。そして、藤崎宮前に着きました。

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藤崎宮前に到着した6000系 2007年1月6日 筆者撮影

藤崎宮前駅は、熊本市街地に近く駅もビルの中にある構造ですが、その位置は中心市街から離れたところにあり、中心市街地からはバスでアクセスするようなルートになります。このため、ここから道路上に出て中心市街地に向かい、そこから市電に直通するLRT化の構想があるようです。

藤崎宮前からは、また5000系「青ガエル」に乗車するために北熊本に戻ることになりますが、ここからは乗車せず1駅先の黒髪町まで歩くことにしました。その途中で熊本電鉄で活躍している元都営三田線6000系の走行シーンを撮影してみました。

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2枚とも2007年1月6日 藤崎宮前~黒髪町で筆者撮影

乗車中に気になったところで撮影しましたが、ここは併用軌道とも言うべき民家・商店の軒先を電車が走行します。東京では都心ビジネス街の三田から日比谷・大手町・神保町を通り高島平団地を結んでいた地下鉄車両が、この地では路上まがいのところを走行するという、どこかミスマッチな光景です。

黒髪町まで歩いてここから乗車、次の北熊本で下車して撮影しました。

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行き違いで並んだ6000系 2007年1月6日 北熊本で筆者撮影

都営三田線開業当初から活躍した6000系は、2000年の三田~目黒延伸を前にホームドア設置によるワンマン化により都営線からは引退しました。秩父鉄道や海を渡りインドネシアで第2の活躍をしている仲間もいる都営6000系、熊本でも地域の足として活躍しています。
この車両の熊本でのこれからの活躍を祈念したいと思います。

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コメント

私ももう二十歳ですが、子供の頃は南北線が無かったので移動手段は三田線がメインでした。
当然ながらこの6000系しか走っておらず、祖母にこの車両に乗っていろいろなところに連れて行ってもらいました。
構内アナウンスやモーターの音などが懐かしいです。
本当に感慨深いですね。

投稿: らんぼー | 2007.01.10 01:47

熊本まで出かけられたのですね。スーパー熊電(笑)は気になる存在なんですが、いかんせん熊本は遠すぎます;_;。

熊本電気鉄道の6000ですが、主回路は1,500v仕様のまま、SIVを600v対応にして、安上がりに仕上げています。つまり40%定格で運転しているのですが、それで十分な運転曲線なんですね^_^;。

藤崎宮前から水道町まで伸ばして市電と直通するという構想もあるだけに、それまでのつなぎと割り切れば、悪くないチョイスです。

投稿: 走ルンです | 2007.01.10 17:47

元々三田線の6000形は赤帯で登場したんですよ。
昭和43年の開業時から昭和45年までは赤帯だったのですが、
昭和45年にラインカラーが青になったときに、青帯に変更になりました。

投稿: もそもそ | 2007.01.10 22:10

コメントいただきまして、ありがとうございます。

らんぼーさん>
都営三田線の6000系に思い出があるようですね。この車両は秩父鉄道のほか、この熊本電鉄にも譲渡されました。外観は一部変わってしまいましたが、雰囲気はそのままです。機会がありましたときは、訪れてみてはいかがでしょうか?

走ルンですさん>
都営から移籍の改造は、必要最小限というわけですね。確かに、これで十分に走行できますのでいい物件だったのではないかと思います。果たしてLRT化は進むのか、気になります。

もそもそさん>
都営三田線のラインカラーは青であることから、青い帯というのが当然と思っていたのですが、開業時には赤の帯であったとならば、北熊本に停車していた赤帯車はある意味リバイバルカラーということになります。
熊本電鉄はこれを狙ったのか、真意はどうなのでしょうか?気になりました。

投稿: Kaz-T | 2007.01.11 00:48

こんばんは。

電鉄電車はこちらも2回ほど乗車した事があり、本線で遭遇したのは南海譲渡車の稼働率が低い事もあって、2回共この都営6000系譲渡車両でしたが、ガタガタの軌道をゆっくりと走る様は都営時代とは大違いで、独特な感じですね。

また御代志駅で接続する電鉄バスについてですが、これは熊本駅や交通センターから御代志駅より北に位置する辻久保や菊池へ至る路線で、運賃は電車とほぼ同レベルで、路線も藤崎宮前や北熊本などを通る経路で電車と概ね平行していますので、バス~電車の乗り継ぎは意外に少ない様です。

ただこちらも御代志から市内へ引き上げる際に電鉄バスを使用しましたが、こちらは北熊本辺りで道路混雑に遭遇し、結構な時間がかかりましたので、鉄道~バス乗継割引を本格的に導入(同じ事業者ですのでさほど困難ではないと思います)するなどして電車並行路線を整理し、定時制に優れた電車へのシフトが必要な気がします。
(輸送力的には、持て余す程の大型車両がラッシュ時15分毎なら問題ない気がします。ただ御代志方だけではなく、藤崎宮前が中途半端な立地という事も問題ですが…)

投稿: MAKIKYU | 2007.01.11 17:55

MAKIKYUさん、コメントありがとうございます。

御代志では確かにバスとは連絡していても、ここで乗り継いだ人はあまり見なかった様に思います。電車・バスの乗り継ぎ割り引きは検討の余地はあるかと思いますが、いかんせん始発の藤崎宮前が市街地に近くても不便なところにあり、どうしても市街地の中心まで乗り入れるバスに部があるのは、やむを得ないのかもしれません。やはり藤崎宮前からのLRTによる市内乗り入れを真剣に検討しなければ、この路線に明日はない、ということなのでしょうか?

投稿: Kaz-T | 2007.01.12 00:36

6000型の赤帯はリバイバルですね。
1枚だけ赤帯と青帯の混合編成の写真もっていますが
前面の帯はないころなので、ちょっと雰囲気は違うと思います。
その他、6000型初期車両には、東上線との乗り入りが想定されていたため、「川越市」「大和町」(現和光市)「志木」(「大手町」これはレア)などの行き先方向幕が搭載されていました。
中学生の頃、車掌さんに無理言って、方向幕を出してもらった思い出があります。
もちろん全部写真に残してあります。

投稿: 赤帯6000型 | 2007.02.01 23:09

赤帯6000型さん、コメントありがとうございます。

確かに都営6000系に前面の帯は、後に入れられたものでしたね。しかし、赤帯から青帯に変更していたときは混色編成が存在していたのですか、これはまた貴重なお写真をお持ちですね。また当初は東武東上線との乗り入れも考えられていたことから、すでにそんな幕も用意されていたということならば、幻の幕ともいうべき貴重なお写真になりますね。

いろいろとご教示いただきまして、ありがとうございました。

投稿: Kaz-T | 2007.02.03 21:01

管理人さん こんばんは。
【予告】
都営6000型の秘蔵写真を公開することに決めました。
実家に埋もれているのももったいないと思い、是非みなさんにも見てもらいたいと思い、公開することに決めました。
自慢じゃないですが、昔は地下区間で音を聞いただけでどこを走っているかわかるくらいでしたね。
もともと実家は三田線沿線で、中高時代は三田線好きだったので、主に
地上線区間の写真を撮っていました。昭和54から58ぐらいの写真が多いですが、当時は、全然地味な路線で写真撮影している人はいなかったような気がします。他にいろんな方にゆずってもらった写真もあり、幻の行き先(川越市・大和町・志木・大手町・水道橋)表示(自力撮影)他白黒写真の「志村」行き・赤青混合編成巣鴨行き(1枚のみ)・4両編成時代・昭和45年頃の志村検車区・記念乗車券(昭和58年ぐらいまでの都営・営団地下鉄中心)・都営新宿線新宿開業時のでかいポスター(本物:掲載期間が過ぎてから駅員さんに譲ってもらったもの)を予定しています。
これからHP作成に着手する予定なので、完成したら、URL貼り付けますので、是非寄ってください。結構驚く写真が多いかと思います。

投稿: 赤電6000系 | 2007.03.06 23:17

赤電6000系 さん、コメントありがとうございます。

なにやら楽しみなサイトになりそうですね。公開される日を心待ちにしております。

投稿: Kaz-T | 2007.03.07 23:02

ご無沙汰です。
HP作成滞っています。
交通局HPに6000型落成当時の写真が掲載されています。
熊本電鉄とのちょっとイメージが違います。

投稿: 赤帯6000型 | 2007.05.04 08:13

赤帯6000型さん、コメントありがとうございます。

ご紹介のサイトを拝見しました。確かに都営三田線の6000系は登場時は前面には帯はありませんでしたね。

HP完成を楽しみにしています。

投稿: Kaz-T | 2007.05.05 00:45

6300型の赤帯は、6000型の遺産なんでしょうかね。

投稿: 散歩 | 2008.01.04 09:13

散歩さん、コメントありがとうございます。

都営6300形にある赤のラインですが、果たして登場時巻いていたとされる6000形の赤帯の遺産かどうかは定かではありません。外観上のアクセントとして入れられた可能性もなきにしもあらずではないかと思います。

投稿: Kaz-T | 2008.01.04 21:30

この記事へのコメントは終了しました。

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