都営フェスタ'06in浅草線 イベントに行ってきました
今日は、都営地下鉄浅草線の馬込車両基地で「都営フェスタ'06in浅草線」というイベントが開催されました。このイベントに行ってきました。
会場入口付近で、現在検査中の浅草線5300形 2006年10月28日 筆者撮影
今日は、都営地下鉄浅草線の馬込車両基地で「都営フェスタ'06in浅草線」というイベントが開催されました。このイベントに行ってきました。
会場入口付近で、現在検査中の浅草線5300形 2006年10月28日 筆者撮影
先日、弊ブログからリンクをしておりますred star's Blogさんの記事で、衝撃的な内容がアップされていました。それは、待ち合わせ場所としてあまりにも有名なJR渋谷駅ハチ公前広場に、東急の先代の5000系の車体が鎮座したということで、その後公開も始まったようでしたので今日は昨日の夜勤明けでしたが、その帰りに渋谷に寄ってどんな風になっているのか、この目で見てきました。
渋谷駅ハチ公前広場に設置された東急旧5000系の車体 2006年10月27日 筆者撮影(携帯電話使用)
現在、田園都市線・東横線・目黒線に投入されている5000系は2代目で、先代の5000系がこの車両になります。1954年に東横線の急行でデビューした当時の最先端の車両で、緑の車体に湘南型の前面と軽量化を図る為張殻構造の車体を持ち、カルダンドライブを採用した高性能車でした。その風貌から「青がえる」というニックネームで親しまれた名車でした。
東急では1980年代ですべて引退しましたが、その後は各地の地方私鉄に譲渡され活躍してきました。しかし、やはり寄る年波には勝てず現在ではほとんどの車両が引退しました。
今回、渋谷駅ハチ公前広場に置かれた5000系はトップナンバーの5001号車で、設置スペースの関係から2/3にカットされました。この場所にこの車両が置かれた理由として、渋谷区の青少年育成のためのモニュメントとして設置したとのことで、車内には渋谷駅の過去の写真が展示されており今後は相談所のような活用方が予定されているようです。なお昼間には車内も公開されるようですが、この画像を撮影したときはまだ朝の時間であったことから見ることはできませんでした。また場所柄からでしょうか、警備員さんがついて監視している状況でした。
車体が置かれた位置関係 画面左の銅像はこの広場の主でここで主人を待ち続けた忠犬「ハチ公」 車体のすぐ後ろは東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線渋谷駅の入口、背後はJR渋谷駅ハチ公口改札 2006年10月27日 筆者撮影(携帯電話使用)
待ち合わせ場所の定番といえるJR渋谷駅ハチ公前広場に突如出現した東急旧5000系の車体、この場所は大変多くの人が待ち合わせ場所として利用するため、多くの人がやってきます。
ハチ公前の新しいモニュメントとなるのか、突如設置された東急旧5000系「青がえる」の車体、これからこの場所で親しまれることに期待したいと思います。
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10月の鉄道の日イベント、今日も開催されたイベントがあります。
今回は少々遠征になりましたが、中央線の大月から出発する富士急行の終点、河口湖駅で「富士急電車まつり2006」というイベントが開催されました。このイベントに行ってきました。
今回、「フジサン特急」(左)で河口湖に向かいました。 2006年10月22日 大月で筆者撮影
10月も中盤に入った本日は、このイベントも毎年恒例となった小田急海老名車両基地で開催される「小田急ファミリー鉄道展」に、今年も行ってきました。
今年も公開された小田急ロマンスカー 初代SE車3000形 2006年10月15日 筆者撮影
今回の関西旅行記も大詰めになりました。
阪神を訪れたあとは、京阪電鉄に行ってみました。
京阪電鉄では、7月より先々代の特急車であった1900系の一部の車両が誕生して50周年を迎えるということで、現在5両編成2編成が残っている1900系の1編成に往年の特急色を再現するとともに、2編成ともヘッドマークをつけて運転中とのことです。今年3月から徐々に運用を離脱していった1900系ですが、2003年の春に続いて今回も往年の特急色が再現されているとならばこれも見に行かなければと思い、梅田から地下鉄御堂筋線に乗り1つ目の淀屋橋で京阪に乗り換えました。目指すのは今年4月に訪れたときと同じ交野線です。淀屋橋から現在の京阪の看板列車、8000系特急のダブルデッカー車に乗り、交野線の始発駅である枚方市まで乗車するつもりでしたが、2つ目の駅天満橋で、まさかと思う光景に出くわしました。
区間急行萱島行きで出発を待つ1900系 1920 2006年10月9日 天満橋で筆者撮影
今年4月より中之島新線に乗り入れるため配線変更が実施された天満橋駅に、同駅始発の区間急行萱島行きとして一般車色の1919-1920編成が停車中でした。交野線で運転されていると思っていた1900系が、休日ダイヤの昼間に本線の運用に就いていました。
迷わず特急はここで降りて、1900系の区間急行に乗車してみました。区間急行は天満橋を出ると京橋・守口市に停車して以降は各駅停車になります。また終点の萱島は寝屋川市の手前の駅で、天満橋から続く複々線区間の末端になります。ということで、京橋から守口市の間は複々線の内側・急行線を走行します。
まもなく誕生50周年になろうかという車両も含まれている1919‐1920編成の、複々線区間での走行を堪能してみました。まさか本線の優等で1900系に乗車できるとは思ってもみませんでしたが、その走りはまもなく50周年を迎えるとは思えない堂々とした走りっぷりで、その昔は看板列車特急として淀川の対岸を走る国鉄・阪急と真っ向勝負をした名車、その栄光の走りを十分に堪能できました。このあと交野線に向かうため守口市で下車しました。
2006年10月9日 守口市で筆者撮影
1900系誕生50周年のヘッドマーク
守口市からは急行で枚方市に向かい、交野線に乗ってみましたが1運用ある5両編成列車はこの日は2600系でした。その後枚方市で1900系誕生50周年を記念した記念K Cardを購入後念のため、中書島へ向かい宇治線も調べてみましたがいずれも4両編成で、そのまま大阪へ引き返すため乗車した特急の車内から、もう1編成の特急色が再現された1900系は寝屋川車庫に留置していたのを確認しました。残念ながら特急色編成に乗車することができませんでした。
しかし、もう1編成の1900系が本線の区間急行とはいえ複々線区間の急行線を走行しているとなれば、この姿をぜひ撮影してみようと思いまして、京橋から再び京都方面行きの普通列車で戻り、森小路という駅で撮影してみることにしました。そして、大阪方面行き急行線を1900系がやって来ました。
複々線の急行線を走行している1900系1920を先頭にした区間急行天満橋行き 2006年10月9日 森小路で筆者撮影
自分が使用しているカメラは、400万画素のコンパクトデジカメでシャッター速度優先などの撮影機能もありますが、基本的にはスナップ向けのものです。あちらこちらに出向くもので必然的に小型で簡単な機種を使用しています。この撮影は「よせば良いのに」というある意味無謀な撮影でしたが、撮影後ブログアップ用に画像処理を実施した結果、ご覧のような写真となりました。自分の機材の性能と腕を考えますとこれ以上の写真は望めません。我ながら会心の出来であると一人思っております。複々線の森小路駅を通過する1900系、それはかつての栄光を感じさせる姿ではないかと思いました。
さて、特急色の1900系は撮影することが出来ませんでしたが、この日も1900系の後を受けて、特急車として今も1編成が残っている3000系も運用に就いていました。時間帯の関係から、森小路から1駅京都方に進んだ千林駅で、京都方面行き特急の3000系を後追いで撮影してみました。
この日も運用に就いていた、今も1編成が残っている3000系が出町柳行きの特急で通過していった。 2006年10月9日 千林で筆者撮影(後追いで撮影)
この画像は、光線や時間帯による影を避けた結果、光学ズーム域では足りずデジタルズーム域最大まで拡大して撮影したという、先の森小路の1900系以上に無理な撮影をしました。画像処理を実施しましたが、デジカメの性能上画像が荒くなってしまっているのやむを得ません。今も特急として孤軍奮闘している3000系の走行シーンも撮影することが出来ました。
こうして京阪を後にしましたが、今年で誕生50周年を迎えた1900系は今では2編成しか残っていませんが、今でもその足は健在です。車体は変わり外装も変わってしまいましたが、かつての栄光の姿を偲ぶに十分な区間急行運用でした。特急色が再現された編成には出会うことはできませんでしたが、本線優等で走行していた1900系に出会えたことを考えますとこれは贅沢というものでしょう。
今残っている京阪1900系の余命はあとどのくらいかは分かりませんが、誕生50周年を迎えてもなお衰えることなくこのように本線の区間急行運用にも就いていたこの姿を自分の記憶にしっかりと刻むことができました。京阪1900系の栄光をここに称えようと思います。
先の記事では、阪神電鉄の優等系車両を記事としましたが、今度は普通列車用車両を記事とします。
阪神電鉄は、大阪から神戸の間に多くの駅があり、並行するJR神戸線・阪急神戸線と比較しても倍以上の駅数があります。その分平均駅間距離は短いことになります。その一方で特急列車が高速で運転されている阪神電鉄では、普通列車に高加速・高減速の車両が必須となります。阪神の普通列車用の車両は、我が国の電車における最高加速性能を持つ車両として、「ジェットカー」という愛称が付いています。まるでジェットエンジンで加速するような高い加速性能をもつことから名づけられたという阪神電鉄の普通列車も今回撮影してみました。
阪神普通列車の新型車 5500系 2006年10月9日 今津で筆者撮影
この車両は、阪神・淡路大震災後に登場した車両です。性能的にはこれまでの「ジェットカー」と同等ながらも、加速時の伸びが長くなるなど乗り心地と言った点で改善されています。
以前から活躍している5000系も健在 2006年10月9日 今津で筆者撮影
優等系で、かつての阪神スタイルの車両はラッシュ時間帯及び支線系統でしか見ることはできないようですが、普通列車「ジェットカー」では、このスタイルの車両がまだ走っています。
5000系には「サボ」を使用した編成もまだ存在していた。なお方向幕は「普通」と表示している 2006年10月9日 梅田で筆者撮影
この編成は、帰りがけに野田から梅田まで乗車した普通列車でしたが、いまだにサボを使用しており方向幕は付いていても「普通」としか表示されていません。表示機の不良なのでしょうか?
5000系では、阪神ジェットカーの強烈な加速を体験することができます。とくに立っている場合、つり革や手すりにしっかり捕まっていないと転倒する恐れもあります。
優等系とは違う、阪神普通列車「ジェットカー」は沿線の街並みをぬって活躍しています。各駅を丹念に停車しながら待避駅まで逃げ込み、後から追ってくる優等列車に道を譲るといった地味ながらも阪神電車の魅力の一つになっている「ジェットカー」、ぜひその走りを体験してみてはいかがでしょうか?
関西旅行記はまだ続きます。
さて、今回の関西旅行は「阪急阪神ホールディングス」誕生で新しい時代が始まった阪急電鉄をまず訪れてみましたが、やはり同じく阪急阪神ホールディングス傘下に入った阪神電鉄も訪れない訳にはいきません。そこで、阪急神戸線を撮影後西宮北口から阪急今津線に乗り換えて終点の今津から阪神電鉄に乗車してみることにしました。
阪神電鉄は社名が示すとおり、大阪梅田から神戸三宮・元町を結ぶ大手私鉄であり、甲子園球場をホームグラウンドとするプロ野球セ・リーグの「阪神タイガース」のオーナー企業として、その知名度は全国的な私鉄であります。今回、紆余曲折があったものの阪急との経営統合により持ち株会社「阪急阪神ホールディングス」の傘下に入り、新たな出発となりました。
さて、今津で乗車前に阪神の車両を撮影してみました。この日は蒼天(そうてん)翔ける日輪の青春の覇気麗しい大変良い天候で、高架線の今津駅神戸方は直線上のベストな光線状態でこの場所で撮影していた方が数名いらっしゃいました。
まず本記事では、優等系車両を撮影してみました。
現在の阪神電鉄の最新車 9300系 2006年10月9日 今津で筆者撮影
「阪急阪神ホールディングス」誕生ヘッドマークに描かれている阪神の電車はこの9300系になります。中間車が転換クロスシートになったまさに優等系の車両で、大阪梅田から山陽電鉄の姫路を結ぶ直通特急ややはり山陽電鉄の須磨浦公園までの特急に使用されています。
まだまだ阪神電鉄優等列車の主力 8000系 2006年10月9日 今津で筆者撮影
8000系の中にはリニューアルが実施され9300系と同じ外装になった車両もある 2006年10月9日 今津で筆者撮影
阪神電鉄の優等系の主力である8000系です。この車両も9300系に混じって山陽電鉄に直通する直通特急や急行に充当されています。なお、近年リニューアルが実施されたものが出現し、9300系と同じ塗装で車内も中間車が転換クロスシートに改造されました。なお、8000系は製造年次により外観、主に側窓が単独になっているかユニット窓になっているかというバリエーションが存在しています。
ステンレス車体の9000系 2006年10月9日 今津で筆者撮影
関西の私鉄車両で珍しいステンレス車体をもつ9000系ですが、この車両は阪神電鉄の歴史でも忘れることができない、まだ記憶に新しい1995年に発生した阪神・淡路大震災によって、車両基地で被災し修復不可能になってしまった優等系車両の代替として、復興後の車両数を確保しなければならないという時代に導入された車両です。その後は増備されておらず、阪神電鉄において「震災復興車両」という位置づけになっています。今では8000系や9300系に混じって優等列車の運用に付いています。
今津で撮影後高速神戸まで乗車ののち阪神梅田まで戻りましたが、現在の阪神電鉄における本線優等列車は昼間及び土・休日は8000系以降に製造された新しい車両で運用されており、それ以前の車両は片開きの車両が尼崎から分岐して西九条を結ぶ西大阪線の運用についていたのを確認しましたが、それ以外は車両基地に留置でした。やはり時代の流れなのでしょう。
さて、「阪急阪神ホールディングス」誕生ヘッドマークは、阪神電鉄にも本線優等系の車両ほぼ全編成に取り付けられており、車掌台側に吊り下げ式のものが付いていました。
阪神電鉄の車両に付けられた「阪急阪神ホールディングス」誕生ヘッドマーク 運転台に吊り下げる形で付けられた
昼間に運転されている8000系以降の新型車ではこのようなヘッドマークでしたが、ラッシュ時間帯に運転される旧型車には丸型のヘッドマークが付いていたようです。
阪急との経営統合で新たな時代の到来を迎えた阪神電鉄ですが、まもなく2009年春に予定されている西大阪線難波延伸・近鉄乗り入れに対応した1000系というステンレス車体の新型車が導入されるようで、今回の阪神訪問時の各駅券売機で発売していた「鉄道の日記念ラクヤンカード」にもそのイメージイラストがデザインされたものが発売されていました。また尼崎の車庫にはすでに1000系が入線していて、まだ調整の段階なのかもしれませんが、やがて試運転が始まるものと思われ、また楽しみができました。
これからは持ち株会社「阪急阪神ホールディングス」の下で地域の足として、輝く我が名ぞ阪神電鉄のこれからの発展に期待したいところです。
今回の阪急訪問は主に神戸線を中心に乗車しました。「阪急阪神ホールディングス」誕生ヘッドマークを撮影することと、もうひとつお目当てがありました。それは、今回の「阪急阪神ホールディングス」誕生ヘッドマークにも描かれている神戸線に登場した新型車、9000系に乗車することです。
神戸から大阪へ阪急神戸線で移動していた際、ちょうどすれ違いましたので梅田で各種撮影ののち、到着した9000系をまずは撮影してみました。
神戸線にデビューした新型車9000系 大阪方先頭車は前パンタ車 9000 2006年10月9日 梅田で筆者撮影
神戸方先頭は9100 2006年10月9日 梅田で筆者撮影
神戸線にも登場した新型車9000系は、すでに京都線で活躍してる9300系をベースにした車両ですが、神戸線仕様となることから車内はロングシートになり、あわせて側窓の大きさも変わりました。車内ドア上には液晶モニターによる案内装置が設けられ、前面・側面の行き先表示はフルカラーLEDになっています。最新の技術を取り入れた新型車ですが、外観は阪急らしい気品あるデザインで、車内も木目調の内装にオリーブグリーンの座席といった、これまでの阪急の伝統的なデザインを継承したものになっています。走り始めますと、乗り心地は十分で期待通りの車両であると思います。
9000系の特急で岡本で下車、ここで折り返して梅田行きとなった9000系を撮影してみました。
2006年10月9日 岡本で筆者撮影
2006年10月9日 岡本で筆者撮影
京都線の9300系に続いて阪急電鉄の新しい時代の到来を告げる車両となりました。
神戸線に登場した9000系は、自身の姿があしらわれた「阪急阪神ホールディングス」誕生ヘッドマークをつけて活躍を始めています。まだ1編成のみですが、今後の増備が期待されます。阪急阪神の経営統合という時代の到来を告げた神戸線の9000系、これからの活躍にぜひ期待してみようではないでしょうか。
さて今回は阪急電鉄を訪れましたが、神戸から乗車して一旦十三で下車して、京都線を撮影していたときのことです。
「阪急阪神ホールディングス」誕生ヘッドマークをつけた京都線の特急車6300系を撮影しようと京都・河原町行きを大阪方から撮影しました。そして、目論見どおりヘッドマークをつけた6300系が到着しましたが、この編成の大阪方先頭車が妙な外観でしたので、この車両は今回別件記事としてみました。
十三で河原町行き快速特急としてやってきたのは6300系でも、1編成しか存在していない6330形という車両でした。まずは、この車両のビジュアルをご覧下さい。
京都線特急車6300系の異端車 6330形 2006年10月9日 十三で筆者撮影
この車両は、1984年に入線しました。この当時、京都線では茨木市・高槻市で高架化工事が行なわれていて、これに伴う徐行により特急の運用本数が増えたことによります。1編成製造された6330形は、他の6300系が抵抗制御であるのに対して界磁チョッパ制御になっており、この当時入線していた通勤車7300系を特急仕様にした車両です。車内も若干の違いがあるようです。外観上も6300系と全く同じ車体で、識別できる点は大阪方先頭車がパンタグラフを2基搭載した前パンタ仕様になっているところに違いがあります。
6300系の前に京都線で特急として活躍していた2800系はパンタグラフを振りかざして京都~大阪間を疾走していたそうですが、その姿を思い起こさせる6330形、気品ある車体に前パンタという独特なスタイルが大阪方先頭車で見ることができます。
おりしも「阪急阪神ホールディングス」誕生のヘッドマークを付け、朝時間帯に運転される「快速特急」の表示の6330形です。
1編成のみの存在で、大阪方先頭車を見てはじめて識別できる6330形、出会うのは難しいと思いますが、見ることができました際は、大阪梅田行きでパンタグラフを振りかざして走行する姿を一度は見てみる価値はあるのではないかと思います。
先日予告しました今回の関西遠征はまず阪急電鉄から始めます。
阪急電鉄と阪神電鉄は今月1日より持ち株会社「阪急阪神ホールディングス」の下、経営統合が実施されました。戦後の鉄道、特に私鉄における業界再編とも言われる今回の経営統合ではありますが、これを記念して阪急電鉄では一部の列車にヘッドマークを付けて運転しているとのことですので、今回まずは歴史的な転換をむかえた阪急電鉄を撮影してみました。
阪急の電車に掲げられた「阪急阪神ホールディングス誕生」ヘッドマーク
さて、私は10月9日にまた関西方面へ旅行をしてきまして、先ほど帰宅しました。今回も関西の私鉄を多く撮影してきまて、これから順次執筆しまして記事としてアップいたします。
関西の私鉄で今ホットな路線を訪れましたので、今後の記事にご期待下さい。
今回の関西旅行で訪れた路線の1つ 阪急電鉄 画像は京都線の新型特急車9300系 2006年10月9日 十三で筆者撮影
東急東横線と大井町線の乗換駅である自由が丘駅が、開業77周年を迎えました。これを記念した装飾電車が、東横線と大井町線で運転されています。
この記念電車を撮影してみました。
東横線の「自由が丘駅77周年記念電車」は9002F 2006年10月8日 学芸大学で筆者撮影
2006年10月8日 祐天寺で筆者撮影
側面の様子
東横線では9000系の9002Fに、「自由が丘駅77周年」のロゴとともに、自由が丘近隣に在住の画家・高橋直伸氏が描いた自由が丘駅周辺の風景画で装飾されました。
さて、自由が丘駅77周年記念電車は東横線とともに大井町線でも運転されているとあります。東急各駅で配布されている「東急からのお知らせHOTほっとTOKYU」に掲載のイラストには9000系に装飾された絵が掲載されていましたので大井町線ではどうなのか、祐天寺で撮影後自由が丘に向かい大井町線を待ってみました。そして、大井町線の自由が丘77周年記念電車がやってきました。
大井町線の「自由が丘77周年記念電車」は同線にも1編成のみ存在している9000系 9007Fが充当された。 2006年10月8日 自由が丘で筆者撮影
2006年10月8日 二子玉川で筆者撮影
大井町線では、この線にもやはり1編成存在している9000系9007Fがこの記念電車になりました。なお、大井町線では今年3月のダイヤ改正で土・休日に中央林間から大井町線へ直通する急行が設定されこれにあわせて同線の8090系・8500系・8590系は、前面の帯が赤と黄色のグラデーションになり「大井町線」のステッカーも貼られていますが、この編成はまだ赤帯のままでさらには東横線の9000系に付けられているスカートが未装着になっています。東急の広報誌どおりの仕様になっています。
さて、自由が丘駅は開業77周年を迎えましたが現在、自由が丘駅限定で記念パスネットが台紙付きで1000円・3000円と発売中で、1000円は新・旧5000系、3000円は高橋直伸氏が描いた自由が丘駅周辺の風景画のデザインになっています。
自由が丘は沿線でも賑やかな街で駅を核に、おしゃれなお店が並んでいる人気の街です。
この記念電車に描かれた風景画の実際を求めて、自由が丘駅周辺を散策してみるのも悪くはないでしょう。
先月25日にダイヤ改正が実施された東急電鉄各線ですが、その中で目黒線では「急行」が設定されました。今日、横浜の鉄道の日イベントなどに出向いた帰りにようやくですが、武蔵小杉から目黒まで乗車してみました。
目黒線の急行はデイタイム時間帯は30分おきの運転で、東京メトロ南北線直通と都営三田線直通が交互に運転されます。今回は南北線直通の急行に乗車しました。
急行が運転された目黒線武蔵小杉駅の発車案内
さて、今回のダイヤ改正で目黒線に登場した急行は、目黒を出ると武蔵小山・大岡山・田園調布・多摩川と停車して武蔵小杉まで走ります。急行の直前に目黒~武蔵小杉と東急線内の各駅停車が運転されます。
急行の前に運転される「各停 目黒」行き(右の東急3000系) 2006年10月7日 武蔵小杉で筆者撮影
各駅停車目黒行きが出発したあとに、急行浦和美園行きが入線してきました。
入線してきた急行浦和美園行き 車両は東京メトロ南北線9000系 2006年10月7日 武蔵小杉で筆者撮影
この急行に乗車しました。夕方の上りのため車内は十分に空いている状況でした。急行で通過する駅はありますがそれほどのスピード感は感じませんでした。なお、上り目黒方面行きの場合は平日ラッシュ時間帯を除いて武蔵小山での緩急接続は行なわれず、先の各駅停車がそのまま目黒まで逃げ切るダイヤになっています。下りでは武蔵小山で緩急接続があります。そして目黒に着きましたが、目黒以降の地下鉄線内及び埼玉高速鉄道線内は各駅停車となることから、目黒からは「急行」表示は消えました。
さて、目黒に到着するとすぐに武蔵小杉行きの急行が到着したので撮影してみました。
到着した急行 武蔵小杉行き 車両は埼玉高速鉄道2000系 2006年10月7日 目黒で筆者撮影
今回のダイヤ改正の目玉と言える目黒線の急行に乗車しましたが、デイタイム時間帯ではそれほど設定意義は薄くその分目黒で折り返す各駅停車を設定しているといった感があり、現時点では果たして必要かと思える急行であると感じましたが、今後目黒線が日吉まで伸び東横線のバイパスとしての機能が強化されるのであれば、もっと積極的な設定がなされるのではないかと感じます。
ダイヤ改正で登場した急行列車、目黒線がさらに進化したことを改めて感じました。
現在中央線では、三鷹~立川の連続立体交差化工事が進んでいます。すでに三鷹~国分寺間では、下り線用の高架橋が姿を見せ始めています。一方、西国分寺~立川間では昨年上り線が仮線に切り替えられましたが、明日10月8日の夜から翌9日の朝までの間で下り線も仮線に切り替えられます。当日は8日深夜から9日朝にかけて、西国分寺~立川間を運休させて線路を切り替える大掛かりな工事となります。
今日は、今回の仮線切り替えでこの区間内にある国立駅を訪れてみました。まずは、現在の下りホームの東京方で中央線の列車を撮影してみました。
現在の下り線を走行しているE257系特急「あずさ」 2006年10月7日 国立で筆者撮影
同じ箇所で中央線の主力 201系 9日からはフェンス向こうの仮線に切り替えとなる 2006年10月7日 国立で筆者撮影
9日に切り替えられますと、国立駅の下りホームは現在すでに仮線に切り替えられた上りホーム反対側になり、島式ホームとなります。
現在の国立駅上りホーム 下り仮線は青のフェンスのある方にあり、切り替え後は島式ホームになる。
さて、国立駅で今回下り線も仮線に切り替えにより、この駅の南口駅舎は使用停止となり隣接して建設中の仮駅舎に移ります。この駅舎も撮影してきました。
使用停止になる国立駅南口駅舎 2006年10月7日 筆者撮影
三角屋根が特徴のこの駅舎は国立駅開業当初からのもので、国立市民をはじめとして周辺に学校が多いこの街で広く親しまれた建物です。関東の駅百選にも選定されたこの駅舎は、学園都市国立のシンボルともいえる建物で、国立の街はこの駅舎を要に放射状に広がった整った町並みになっています。また駅前から延びる通りの両側には桜が植えられ春になるといっせいに花開き華やかな雰囲気になります。国立の町並みの核ともいえるこの駅舎は、高架化工事に際して存続を望む声が大きく紆余曲折がありましたが、結局この駅舎は一旦解体され保管の後高架化完成後に復元することになりました。
復元されるとはいえ一時的に姿を消すこの駅舎を撮影しようと、駅前のロータリーにある「噴水広場」からこの駅舎を撮影していた人を多く見かけました。それだけ利用者・地域住民に親しまれた建物なのでしょう。その広場にはこの駅舎の解体・復元を告知する看板が設置されていました。
噴水広場に設置された、駅舎解体を告知する看板
中央線の連続立体交差化工事は、今回の国立付近の下り仮線を最後に該当区間ですべて仮線に切り替えが完了します。一方で、すでに高架橋が姿を見せている箇所もあり、工事は今が最盛期といったところです。この工事が完成すると、中央線沿線の街並みは大きく変わることでしょう。今回も無事に切り替え工事が完了することと、高架化完成後に復元されるであろう国立駅南口駅舎にはひとまずの別れを告げ、連続立体交差化完成後の中央線と沿線の風景に思いを馳せてみたいと思います。
さて、今日新宿から埼京線に乗車した際、出発した埼京線の車窓から首都圏では普段お目にかかれない車両が停車していました。時刻表で調べて見ますと中央線の「ホリデー快速河口湖1号」であることがわかりましたので、その折り返しで夕方に運転される新宿行き「ホリデー快速河口湖2号」を撮影してみました。
旧あさま色189系で運転された「ホリデー快速河口湖2号」 2006年10月1日 立川で筆者撮影
長野新幹線開業前に上野から長野・直江津を結んでいた特急「あさま」に使用されていた189系で運転された「ホリデー快速河口湖」号、最近この列車では絵入りのマークが登場していますが、この編成にはそのマークが無いようで前面は「快速」で運転されました。
今回は時間帯的に日没直後でしかも悪天候であったことや、その他都合から出向けるところまでと言う点で立川で撮影しました。この場所は青梅線ホームでこの駅折り返しの青梅線列車が停車していることがあるのですが、この列車到着時には青梅線列車は停車していなかったため撮影することができました。また新宿方は撮影できるほど引きがないことから後ろ側からの撮影となりました。
長野新幹線が開業して9年が過ぎました。今でも旧「あさま」色を堅持している189系、あと余命はどのくらいかは分かりませんが、また首都圏に姿を見せてくれることに期待したいところです。
ついに10月に突入しました。
鉄道ファンが1年で最も忙しい?時期になりました。この時期は10月14日の「鉄道の日」を前後して各地で多彩なイベントが開催されます。今日は、そのトップとして毎年恒例、西武秩父線横瀬駅構内で開催される「西武トレインフェスティバル2006in横瀬」に行ってきました。
「西武トレインフェスティバル2006in横瀬」で展示された、かつて西武の貨物輸送を支えた機関車達。 2006年10月1日 筆者撮影
いよいよ10月に入り、秋の行楽シーズンになりました。
小田急では、秋の行楽シーズンに向けて神奈川県内の小田急沿線のPRをかねて臨時列車「秋の神奈川再発見号」が、新宿~小田原で運転されました。
8000形で運転された「秋の神奈川再発見号」 2006年10月1日 新宿で筆者撮影
「秋の神奈川再発見号」ヘッドマーク
新宿から8000形で運転された「秋の神奈川再発見号」、新宿折り返し回送となる列車を臨時列車にした列車だったようで、停車駅は下北沢・登戸・相模大野と利用客の多い乗換駅を通過する一方で、経堂・成城学園前に停車するという列車でした。このため、種別は表示されず、行き先も何も表示されていない状態にで新宿を出発しました。折り返し時間がわずかであったため、新宿方しか撮影できませんでした。小田原方はどうだったのでしょうか?
秋の行楽シーズンを告げる臨時列車「秋の神奈川再発見号」、小田急沿線でも箱根・江ノ島・丹沢と行楽地がありますので、この時期にお出かけになってみてはいかがでしょうか?
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melonpanのつぶやき。さん
小田急日替わり写真館さん
先日、名鉄から平成19年度の車両新造計画というリリースが掲載されました。その内容が、実に驚くべき内容であったため記事としました。
現在の名鉄の看板列車、中部国際空港「セントレア」へのアクセス特急として活躍している2000系「ミュースカイ」(右)と2200系 今回の話題は2200系 2005年1月29日 空港線 中部国際空港で筆者撮影