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2006.05.06

加賀の一の宮へ 北陸鉄道石川線

さて、急行「能登」号で金沢に到着後、まずはこの路線に乗車してみました。金沢市内の野町から加賀一の宮を結ぶ北陸鉄道石川線です。

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北陸鉄道石川線 野町行き7000系が到着 2006年5月3日 新西金沢で筆者撮影

北陸鉄道は、かつては石川県内の私鉄各路線を買収した結果、一時期100キロを越す路線を有していましたが、現在では金沢市から郊外へ伸びる2路線が残っているのみになります。いずれの路線もワンマン化及び大手私鉄からの譲受車によって、近代化が図られています。

さて、北陸鉄道石川線へのアクセスですが、JR金沢駅からですとバスで起点の野町へ行くことができますが、今回はJR北陸本線の普通列車で小松・福井方面へ1つ目の駅、西金沢駅へ行って同駅駅前にある新西金沢駅から野町へまず向かってみました。

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石川線の始発駅 野町駅 2006年5月3日 筆者撮影

石川線の始発駅になっている野町駅は、金沢市内の住宅地の中にあり中心部からは離れていますが、駅前はバスターミナルになっていて、電車の時刻に合わせて市内中心部へ向かうバスに乗り継ぐことができます。
ここから、石川線の終点である加賀一の宮へ行ってみます。途中駅鶴来行きの準急が到着しました。

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到着した鶴来行き準急の7000系 この車両は非冷房車 2006年5月3日 野町で筆者撮影

北陸鉄道石川線では、元東急電鉄の7000系が主力で活躍しています。北陸鉄道移籍時に足回りは交換されたようで、DT21タイプの台車になっているほか1編成を除いて冷房化されています。ただし、バスタイプのクーラーのため外観では区別はつきません。また形態はオリジナルの先頭車と、中間車から改造の車両が存在しています。

石川線は、日中ほぼ鶴来までは30分間隔で運転され、2本に1本は準急となります。準急といっても途中駅での追い抜きはありません。沿線風景は、住宅地から徐々に水田地帯を進む長閑な光景になります。こうして、この列車の終点である鶴来に着きました。

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鶴来駅 駅舎 2006年5月3日 筆者撮影

鶴来駅は、この路線の中核駅であり、車両基地が設けられています。また、ここから分岐していた路線もかつてはあったそうです。その車両基地に停まっていた車両を撮影してみました。

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鶴来の車両基地に停まっていた旧型車 2006年5月3日 筆者撮影

旧型車も残されていますが、この車両が走る機会はあるのでしょうか?

こうしているうちに加賀一の宮行きが到着しましたので再び乗車しました。

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加賀一の宮駅 駅舎 2006年5月3日 筆者撮影

鶴来から先は本数が減り、風景は山間部に入るような感じとなりますが、程なく終点の加賀一の宮駅になります。
この駅は無人駅ですが、地元の方により特産品を販売する臨時窓口ができていました。

線路はここで終わりですが、かつては白山の麓まで延びていたとのこと、さらにこの路線建設時には、はるか名古屋を目指した壮大な構想まであったそうです。しかし、この構想は費え白山の麓までの路線も利用客減と災害などにより廃線となりました。

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加賀一の宮で出発を待つ7000系 普通野町行き この車両は中間車からの改造車 2006年5月3日 筆者撮影

今では、金沢から鶴来を結ぶ路線として活躍している北陸鉄道石川線、加賀一の宮の参拝客の利用もあるこの路線は、地域の足として活躍しています。東急7000系のかの地での活躍の姿を見に訪れてみてはいかがでしょうか?

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コメント

東急7000系、激ナツカシス!
目蒲線とかの電車でしたか?。まだ現役とは驚きです。

しかし、全国で赤字経営のため廃線する私鉄が
多い中、なぜ北陸(富山や石川)は中小電鉄が残ってるんでしょう
かねぇ 不思議です

投稿: ハチミツ二郎 | 2006.05.07 10:43

ハチミツ二郎さん、コメントありがとうございます。

東急7000系は各地の私鉄の譲渡され活躍しています。この北陸鉄道石川線もその1つで、台車や足回りは取り替えられたようですが、現在でも活躍しています。

北陸鉄道はかつては石川県内に数多くの路線を持っていたそうですが、今残っているのはこの石川線と浅野川線の2路線になります。いずれも金沢市近郊の通勤・通学輸送で利用が多いことから、経営はけっして良いとは思いませんが、こうして存続しています。

投稿: Kaz-T | 2006.05.07 14:18

こんにちは。
石川線の旧型車3両ですが、ここ数年は本線上を走っていないようです。
何でもATSが付いていないから、だとか。
7000形が3本運用離脱するという、非常に非常に不幸な事態にならない限り、本線上は走らないと思われます。
何で残しているのやら。。。

投稿: 深夜急行 | 2006.05.08 14:48

深夜急行さん、コメントありがとうございます。

石川線の旧型車、確かに走っている形跡が無く、1両は車番さえ表記がない状態でした。おっしゃるとおり、よほど7000系が不足することがない限り走行することはなさそうですね。
わざわざ残しているのであれば、イベントなどでの走行に期待したいところです。

投稿: Kaz-T | 2006.05.10 00:17

 こんにちは。

 北陸鉄道の石川線7000系には私の母方の郷里が金沢ということもあって、二回ほど乗りにいっています。
 東急7000系は東横線、日比谷線直通。、田園都市線、大井町線、目蒲線と活躍していた形式でしたが、8000系以降の大型冷房車の普及によって、非冷房車であったことから余剰となり、各地の地方私鉄に譲渡されたので、私は全部の鉄道に乗りに行きました。

 北陸鉄道では電圧が600Vであること、そして日本海側の雪質がパイオニアIII台車のディスクブレーキに不適となり、西武701系のFS342に履き替えられました。走行音を聞くと東急らしくありませんね。
 地方私鉄も冷房化の時代ですので、改造費の安いバス型クーラーを床下に設置したのがポイントなのですが、やはり予算削減のために予備車の1本は非冷房のままとされたようですね。

 福島交通でも7000系が走っており、こちらは室内の一角にバス用クーラーを搭載していますが、昼間の運行に必要な3編成のみ改造して、朝夕ラッシュ時には非冷房車3本も登場します。
 平成に入ってからは大手私鉄でも冷房車が廃車となっているので、浅野川線は元京王3000系で冷房化100%を達成していますね。

投稿: とこよっち | 2006.05.13 19:10

とこよっちさん、コメントありがとうございます。

東急7000系は、地方私鉄数社に譲渡され現在でも活躍しています。北陸鉄道7000系の台車は西武のものでしたか、ご教示ありがとうございます。

自分は、東急7000系が譲渡され活躍している路線はすべて乗車していませんので、今後機会がありましたときは訪れてみたいと思っております。

投稿: Kaz-T | 2006.05.14 20:20

トラックバックさせていただきました。

石川線の東急車とは直接関係が無いかもしれませんが、旧型車2両がこのたび、払い下げられることになったそうです。

貰い手が見つかるといいのですが…

廃車にされるまでに、一度ぐらい動いている姿を見てみたかったです・・・

投稿: 深夜急行 | 2006.05.19 11:00

深夜急行さん、コメントとトラックバックをありがとうございます。

北陸鉄道ウェブサイトで確認しました。

鶴来の旧型車は結局廃車となって、売却という方法で買い手を求めているわけですね。果たして買い手が現われるのか気になるところです。また3両のうち2両が売却で残り1両はということになるのですが、これについては北陸鉄道内で保存という動きがあるのかもしれません。いずれにしましても、耳寄りな情報をありがとうございました。

投稿: Kaz-T | 2006.05.20 00:40

この記事へのコメントは終了しました。

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