今なお健在 京阪3000系
今回訪れた京阪電鉄では、長きに渡って転換クロスシート・テレビ付きの車両が運転されてきました。現在の主力は8000系で、先に紹介しましたかつての特急車1900系は先々代の特急車になります。その1900系に代わって京阪の特急車として君臨したのが3000系でした。
3000系は1971年に導入が始まり、京阪の特急車として親しまれて、私も幼いことに見た電車の絵本などで初めて知った京阪電車はこの3000系でした。その3000系も8000系の導入により特急運用を降り、一般車に改造されることなく姿を消していき、先頭車については富山地方鉄道(弊ブログで紹介記事あり)や大井川鉄道に譲渡されました。
しかし運用の関係からでしょうか、1編成だけ残され今日でも特急として運転されています。今回、3000系も見ることができました。
今も京阪特急として孤軍奮闘している3000系 2006年4月2日 枚方市で筆者撮影
電車の絵本などでその存在が知られていた京阪テレビカー3000系は、この1編成が唯一健在です。
3000系に連結されているテレビカー 2006年4月2日 京橋で筆者撮影
さて、この孤軍奮闘している3000系にもダブルデッカー車が連結されています。
3000系のダブルデッカー車 2006年4月2日 京橋で筆者撮影
3000系のダブルデッカー車は、8000系に先立ち1995年に平屋の車両から改造されました。京阪の特急車の新たなシンボルとして誕生したダブルデッカー車は、登場時は外観に描かれた京都時代祭り絵巻とともに大いに話題になりました。その後は8000系にも全編成ダブルデッカー車が組み込まれました。
京阪で一時代を築いた3000系はわずかに1編成しか残っていませんが、今もテレビの設備とダブルデッカー車を組み込み8000系と遜色ない設備で運転されています。如何せん1編成だけですので出会うことは難しいと思いますが、見ることができました際は、一時代を築いた名車の姿を堪能して見るのも悪くはないのではないかと思います。
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コメント
こんにちは。3000系のテレビカーはまだ走っているのですね。学生時代に乗りに行ったことがあり、懐かしい気持ちになりました。特急色も上品ですね。
記憶は定かでありませんが、1970~80年代は関西の鉄道のほうが東京周辺よりもはるかに車両もサービスも良かったような気がします。3000系はその象徴的な存在のひとつだと思います。
ところで話題がそれますが、Kaz-Tさんの昨年4月9日の記事を思い出して、先日の日曜日に井の頭線の桜を撮りに行きました。天気がいまひとつでしたが、今年もきれいに咲いていました。貴重な情報をありがとうございました。
投稿: shushu | 2006.04.05 00:33
8000系導入の際には、一般車改造する予定みたいだったですけど、1900系の改造時に、改造費用が多額になったので、断念したそうです。
見たかった、3000系の一般車・・・。
投稿: がいや | 2006.04.06 09:10
コメントいただきまして、ありがとうございます。
shushuさん>
私鉄王国といわれた関西において、京都~大阪はその昔から国鉄JR・阪急と京阪で三つ巴の激しい競争が繰り広げられてきました。そんな環境の中で登場したのが、京阪3000系です。今ではこの1編成が残っているのみですが、一般車に改造されること無く、ダブルデッカー車も組み込むなど今もなお、特急として活躍しています。最近では京阪でも特急が増発されたことから、3ドア車の9000系(この車両はセミクロス車)も充当され、停車駅も途中の枚方市や樟葉にも停車するようになって、かつての京都・大阪ノンストップという時代は遠くなりつつありますが、けっして過去の車両になっていない3000系の栄光を今も感じることができます。
がいやさん>
3000系にも一般車に改造という構想があったのですね。しかし対費用などで廃車になってしまったのは、40年以上も活躍した1900系とは対象的ではありますが、むしろ特急車のままで運用を離脱したのならば、十分な活躍であったのではないかと思います。
投稿: Kaz-T | 2006.04.06 23:13