JR東京総合車両センター「夏休みフェア」に行ってきました
夏休みの残りわずかになってきましたが、今日はJR東京総合車両センターで一般公開イベントがありました。
このイベントに行ってきました。
今回のイベントで展示された103系 2005年8月27日 筆者撮影
夏休みの残りわずかになってきましたが、今日はJR東京総合車両センターで一般公開イベントがありました。
このイベントに行ってきました。
今回のイベントで展示された103系 2005年8月27日 筆者撮影
今日は、首都圏で新路線が開通しました。
東京・秋葉原から茨城県のつくばを結ぶ「つくばエクスプレス」です。
筆者も今日はこのためにお休みを頂きまして、早速乗車してきました。
ついに開業した「つくばエクスプレス」 2005年8月24日 秋葉原で筆者撮影
先日、JR常磐線ダイヤ改正によって「便利になった」をPRする電車として、快速線E231系のラッピング車を記事にしましたが今日、同じラッピングが施されたE501系に遭遇しました。
ラッピングが施されたE501系 2005年8月24日 上野で筆者撮影
ラッピングの外装(1) E653系「フレッシュひたち」 2005年8月24日 上野で筆者撮影
ラッピングの外装(2) E531系「特別快速」 この画像は付属編成 2005年8月24日 上野で筆者撮影
ラッピングの内容は快速線E231系と同じですが、E501系は常に10+5の15両編成で運用されますので、付属の5両編成にも同様のラッピングが施されています。
今回、E231系とともにラッピングが施されたE501系は1995年に導入され、増え続ける常磐線の輸送需要に対応する為、当時増備されていた通勤型車209系と同等の車体とした交直流両用車です。車内はオールロングシート構造で外観も209系とほとんど同じで、エメラルドグリーンと白のラインが入れられました。しかし電装品は209系とは異なり、この系列ではVVVFにドイツ・シーメンス社製が採用されました。このインバーター装置は、起動時にまるでドレミのメロディーを奏でることから俗に「ドレミインバーター」とも呼ばれ、このあと同じ機器を採用した京急2100形・新1000形とともに「ドレミ電車」としても一般に親しまれています。E501系は当時老朽化が進んでいた403系の置き換えとともに、取手までの快速を土浦まで延長しようという考えがあったものと思われます。事実、E501系が運転を開始した時、土浦などの地域では「快速の土浦乗り入れ」ということで、歓迎されたとのことです。
しかし、その後の輸送需要の変化や製造コスト高などの問題があり、結局15両編成で4編成が製造されたのに留まり、その後E531系が導入されたことからもう増備されることはないと思われます。
現在では上野~土浦間で運転されているE501系ですが、少数な上運用は限定されています。しかし、常磐線のダイヤ改正による「便利になった」をPRするラッピング車両として唯一、取手を越えることができる車両なだけに注目を集めることでしょう。
いよいよ開業する「つくばエクスプレス」に対抗するため、先月9日にダイヤ改正を行なったJR常磐線。この改正以後、特に特急の利用が増えているそうで、一定の効果があったようです。
さて、このダイヤ改正によって「常磐線がよくなった」とPRするためのラッピング車が快速線E231系に登場しています。今回、この車両に遭遇することができました。
ラッピングが施された常磐快速線E231系 2005年8月20日 取手で筆者撮影
このラッピングは私が確認した限りでは、E231系10両編成の2編成に施されていたのを確認しました。
ラッピングの外装(1) E653系「フレッシュひたち」 2005年8月20日 取手で筆者撮影
ラッピングの外装(2) E531系「特別快速」 2005年8月20日 取手で筆者撮影
ラッピングの構成は、上記画像の通りで増発されたE653系「フレッシュひたち」と、今回の改正でデビューし特別快速としても運転されているE531系が1両ごと交互にラッピングされています。
まもなく開業する「つくばエクスプレス」により影響が避けられないJR常磐線において、先手を打ったダイヤ改正で便利になったとアピールするためのラッピング装飾ということで、いかに勝負をかけているかを物語っている様に思います。
さて、流山のあとは茨城県に入り、最初の駅取手から関東鉄道常総線に乗りました。
関東鉄道常総線は、常磐線の取手から守谷・水海道・下妻を経由してJR水戸線の下館を結ぶ、全長51.1キロの非電化路線です。
非電化路線ということで、ローカル線と思われる方もいらっしゃると思いますが、途中の水海道までは非電化ながらも複線です。また取手~新守谷の各駅には自動改札も導入されています。
今回は、時間の都合から水海道までの乗車となりました。
まず、取手を出発しますと非電化複線というどこか違和感のある線路を走ります。この付近の沿線風景は新興住宅街の赴きです。そして、まもなく開通するつくばエクスプレスとの乗換駅となる守谷を通り、取手から約30分で水海道に着きました。水海道から先へはここで乗り換えとなります。
2005年8月20日 水海道で筆者撮影
2005年8月20日 水海道で筆者撮影
現在の常総線は、取手~水海道は2100・2300形の2両編成ワンマン運転で約20分間隔で運転となっています。なお、元国鉄キハ35系などの車両も健在ですが、これら車両はラッシュ時間帯限定のようです。
また、水海道~下館は2200形単行でワンマン運転となっています。
水海道~下館で運転される2200形 2005年8月20日 水海道で筆者撮影
さて、いよいよ今度の水曜日24日に開業するつくばエクスプレスは、関東鉄道常総線に大きな影響を与えます。
常総線ではつくばエクスプレス開業にあわせてダイヤ改正を行い、守谷~下館間に朝・夕に3往復快速を設定し全線で増発などを行い、つくばエクスプレス開業による旅客誘致を狙っていますが、見方をかえますと常総線では守谷付近においてはすべてつくばエクスプレスへ流れる他、水海道・下妻からも守谷で乗り換えられてしまうことから、輸送人員の減は避けられないところです。またバス部門において現在、ドル箱路線ともいえる東京駅~つくばの高速バスがつくばエクスプレスの影響をまともに受けることから、関東鉄道自体も大きな影響が避けられません。
まもなく開業するつくばエクスプレスは、関東鉄道常総線の利用増に繋がるか、はたまたつくばエクスプレスに流れてしまうだけなのか、関東鉄道の明日はどっちだ、という状況に感じます。
キハ100形 元国鉄キハ30から改造のキハ300形をワンマン改造した車両。水海道~下館で運転される。
2005年7月2日 下館で筆者撮影
今日はまた常磐線方面へ半日ほどでしたが、旅をしてきました。
まず訪れたのは、馬橋からかつては江戸川の水運で栄えみりんの里として、また昨年の大河ドラマ「新選組」でも登場した近藤勇が自ら出頭し捕らえられ土方歳三と離別した地として知られる流山を結ぶ総武流山電鉄です。全長わずか5.7キロのミニ路線です。
馬橋駅に停車中の総武流山電鉄2000系「青空」号 2005年8月20日 馬橋(JR常磐線ホームより)で筆者撮影
ここ数日は、各旅行記などを記事にしていましたが、最近各ブログやウェブサイトなどで話題となっている、この夏が終わり秋風が吹くころに終焉を迎える車両があります。
湘南の風景に欠かせない江ノ電の300形304Fが、今年9月30日の運転をもって引退することになりました。
江ノ電304Fは、戦前の1931年にタンコロと呼ばれた100形として製造され、戦後の1958年に連接化改造により304-354になり、その後は冷房化・台車交換・ブレーキシステムの更新等を行い、今日まで運転されてきましたが、すでに70年以上は走っていた車両になり、老朽化が進んだことから引退となりました。
引退することになった江ノ電304F 2002年3月24日 江ノ島で筆者撮影
(マイフォト 2002年 100周年を迎えた江ノ電より)
さて現在この304Fは今から3年前の2002年に、江ノ電開業100周年を記念して1950年代ごろの塗装で運転されています。その塗装から「チョコ電」として親しまれています。
「チョコ電」塗装の304F 最新鋭車20形との連結運転 2002年10月6日 稲村ヶ崎~極楽寺で筆者撮影
(マイフォト 2002年 100周年を迎えた江ノ電より)
「チョコ電」塗装で運転されている304Fですが、この塗装では今月28日まで運転し、9月4日よりおなじみの緑とクリームのツートン色で運転されます。
また、9月17日には極楽寺車庫で撮影会が開催される他、その翌日からはさよなら運転も行なわれるとのことです。
「江ノ電」と聞いて思い浮かべる300形がまた1編成引退します。
すでに70年以上は走っていた304Fの最後の夏、そして最後まで無事に走り続けてほしいと思います。
2002年、この時に引退した500形502Fとの並び、今度は304Fが引退する
2002年12月15日 江ノ島で筆者撮影
(マイフォト 2002年 100周年を迎えた江ノ電より)
弊ブログでは、今から3年前の2002年に100周年を迎えた江ノ電のアルバム画像をマイフォトで公開しています。
マイフォトはこちらからどうぞ。
今では、宇都宮線・高崎線・常磐線の始発駅という雰囲気になった上野駅は、東北・上越新幹線開業前までは東北・上越方面への優等列車が多数発着する東京の北の玄関口でした。
現在では、常磐線のひたち系統・上越線の水上・草津といった特急と、カシオペア・北斗星に代表される寝台特急が出発する主な優等列車となった上野駅に、今も国鉄メークの特急型車でしかもボンネット先頭車が発着しています。
JR西日本・金沢運転所所属の489系です。
今も上野に姿を見せる489系ボンネット車「ホームライナー鴻巣」 2005年8月15日 筆者撮影
この列車は「ホームライナー鴻巣」という列車で、上野18:36発で高崎線の鴻巣まで走ります。土・休日は運休となります。
この489系「ホームライナー鴻巣」はいわゆる間合い運用で、このあと上野23:33発の急行「能登」号金沢行きとなります。また、金沢からは6:05に上野に到着します。
今となっては貴重になったボンネット車、急行「能登」では早朝到着・深夜出発のため、通常は見ることが難しい列車です。そんな中、今の季節でしたらまだ明るい時間帯に運転される「ホームライナー鴻巣」は、ボンネットスタイルを今でも見ることができる貴重な列車であると思います。
しかし、こうして国鉄特急色のボンネット車を上野で見ますと、かつての特急列車黄金時代を彷彿させる感じがします。
今後、この列車はどうなるのかわかりませんが、1日も長く運転され続けてほしいものです。
今回は、東武鉄道に乗車した記事が続いていますが、関東の駅百選スタンプラリーで今回訪れた駅の一つ足利へは、栃木からJR両毛線に乗り換えて行きました。そして、次の館林を目指すため、佐野まで戻りました。
下車した栃木・足利・佐野の各駅には「両毛線開業115周年」というステッカーが張ってありました。
そういえば以前、「両毛線開業115周年」のヘッドマークをつけた列車が走っていると聞いていたのですが今回、佐野で東武佐野線の列車を待っている間に到着した115系列車に、「両毛線開業115周年」ヘッドマークが付いていました。
ありがとう 両毛線開通115周年 ヘッドマークをつけた115系 2005年8月15日 佐野で筆者撮影
私が見たのはこの編成のみで、この線で走っていた211系や107系では見ていません。おそらく一部の115系に付けられているものと思われます。
さて、話は変わりますが両毛線沿線は麺類の名物が多い沿線です。現在、JR東日本高崎支社では「めん街道 両毛線キャンペーン」を行なっています。今回、この画像を撮影した佐野はラーメンで、そのほかにもそばやうどんで有名な街が点在しています。
ぜひ、参加されてみてはいかがでしょうか?
今日は、先の記事の通りで北関東地域を廻りました。その際東武鉄道を主に利用したのですが、この地域のローカル運用では、今となっては貴重になった吊り掛け車5000系列が健在でした。
2005年8月15日 日光線栃木で筆者撮影(JR両毛線ホームから撮影)
まずは、上三依塩原から足利へ向かう際、乗り換えた栃木で撮影した宇都宮線のローカル運用の5000系列です。
4両編成で栃木~東武宇都宮で運用されています。
次に、足利に行ってから館林へ向かう為、佐野から佐野線に乗車したところ、ここで5000系列に乗車することができました。
今回乗車できた5000系列 2005年8月15日 伊勢崎線館林で筆者撮影(画像の列車は佐野線)
車体を見た限りでは更新前の8000系と全く同じで冷房装置も装備されていますが、動き出しますと吊り掛けのサウンドが唸るという、独特の風情が楽しめました。
さて、館林には車両基地があります。駅ホームから望めた位置に5000系列車が停まっていましたので、撮影してみました。
2005年8月15日 館林で筆者撮影
また、ホームから見える位置に運用を離脱し、留置中の5000系列も見ることができました。
運用を離脱し留置中の5000系列2両編成 この編成は霜取り用なのか、ダブルパンタ仕様
2005年8月15日 館林で筆者撮影
やはり、運用を離脱して留置中の5000系列4両編成 2005年8月15日 館林で筆者撮影
北関東地域のローカル運用ではまだ活躍している吊り掛け車5000系列ですが、佐野線では途中の佐野市ですれ違った列車が元「りょうもう」1800系からの改造車であったり、同じく館林から分岐する小泉線にはおそらくワンマン仕様の8000系の2両編成が充当されているところを見ますと、現在活躍中の5000系列にも終焉の時が静かに迫っているように感じます。さらに最近の情報では、8000系を改造した800系なる車両も登場しているとのことですので、先は長くはないのかも知れません。
東武での吊り掛けサウンドが聞けなくなる日も、そう遠くない日であるように思います。
今日は。お休みを頂きまして、関東の駅百選スタンプラリーで北関東エリアの3駅を巡ってきました。
今回巡ってきた駅は、会津鬼怒川線の上三依塩原、JR両毛線足利、東武伊勢崎線館林になります。
まずは、上三依塩原塩原へ向かうため、北千住へ出てここから特急スペーシアに乗車しようとしたのですが発車20分前で「満席」の表示がありました。きぬ103号に乗って、終点鬼怒川温泉で快速「AIZUマウントエクスプレス」に乗車しようと思っていたのですが、これはあきらめその10分後の快速で向かいました。
特急「スペーシア」100系 2005年8月15日 日光線下今市で筆者撮影
「スペーシア」はここで改めて解説するまでもなく、浅草から日光・鬼怒川を結ぶ特急列車で、車内は個室もあるなど豪華な車両で、東武鉄道が誇る看板列車です。
来年春より、栗橋の連絡線からJR線に乗り入れ新宿までやってくる、これからの活躍が期待される列車でもあります。
さて、各地を巡って帰りは館林から特急「りょうもう」に乗車しようとしたのですが、こちらも満席でした。で、後続の準急で帰ることとなりました。
特急「りょうもう」200系 2005年8月15日 伊勢崎線館林で筆者撮影
「りょうもう」は浅草から主に、館林・太田・桐生方面赤城まで走る特急列車です。車内はこの列車の利用が所用客の利用が多いと想定されるのか、ビジネスライクな車内になっています。
「スペーシア」と「りょうもう」は、東武鉄道の看板ともいえる列車です。今日は、乗ろうと思っていた列車が満席とは、夏休みだからだと思いますが、それだけ盛況であることの証であると思います。
関東の私鉄では最も長い営業キロを誇る東武鉄道の看板列車であるこの両列車、なにより旅立ちへの憧れを感じさせる列車でもあります。
これからも、旅立ちへの憧れを乗せて走り続けてほしいものです。
昨日は、新木場から京葉線に乗車し東京へ向かったのですが、その時到着したのは201系でした。
京葉線201系 ケヨ73編成 2005年8月13日 新木場で筆者撮影
かつては関西地方でしか見られなかった青い201系が、今では京葉線でも見ることができます。
さて、この編成の中間には201系の試作車が連結されていました。
中間に連結されていた 201系試作車 クモハ200-902 2005年8月13日 東京で筆者撮影
「省エネ電車」として一世を風靡した201系の試作車です。量産車との違いは、戸袋窓が大きいことと先頭車乗務員室背後にも戸袋窓があること、車内は床材が青になっているという相違点があります。
中央快速から中央総武各駅停車と渡り歩き京葉線で活躍している201系試作車ですが、中央総武各駅停車時代に量産車と混結編成となり、試作車は中間封じ込めになりました。このため試作車にはATS-Pは搭載されず、先頭に出ることはありません。
中間に封じ込められ、向かい合っている201系試作車 2005年8月13日 東京で筆者撮影
現在では量産車と混結で使用され、先頭に出ることのない201系試作車ですが、一説によりますと山手線からの205系転入により、103系とともに201系試作車も置き換えられるという話があります。
この201系試作車を見ることができるのも、あとわずかなのかもしれません。
昨日、東京メトロの「東京湾大華火祭」臨時列車を撮影中のことですが、有楽町で南北線からの「ファンタジー号」を降りて、次の千代田線からの「ドラゴン号」を待つ間の新木場行きで、このような列車が到着しました。
西武鉄道で運転中の「秩父・川越でんたび号」 2005年8月13日 東京メトロ有楽町線有楽町で筆者撮影
この列車は「秩父・川越でんたび号」と呼ばれる列車で、西武線沿線の観光地である秩父及び川越への電車の旅の感動を言葉にしたためた作品を一般から募集し、その入選作を車内に掲出しているという電車になります。
西武鉄道オフィシャルウェブサイトによりますと、池袋線の他新宿線でもそれぞれ運転され、ヘッドマークも付いています。また、運行ダイヤも西武鉄道オフィシャルウェブサイトに掲載されています。なお、運転は8月31日までとのことです。
秩父は豊かな自然が川越は昔ながらの風情が残る街として、多くの観光客が訪れるところです。
その思い出を綴った「でんたび号」、今回は撮影だけでしたが車内のポスターにも注目の電車であると思います。
今日は、「東京湾大華火祭」が開催されました。
その見物会場の一つ、晴海会場へのアクセスとなる東京メトロ有楽町線の月島・豊洲へ向けて臨時列車が走りました。
このイベントに際して走る臨時列車ですが、月島・豊洲へ向けて有楽町線だけでなく、千代田線・南北線からも直通列車が走るという、普段は営業列車としては通ることのない連絡線や、地下鉄線内でも急行運転が行なわれるなど多様な列車が運転され、「東京メトロの夏祭り」といった様相になります。
そこで今日は、「東京湾大華火祭」の臨時列車を撮影してきました。
東急田園都市線中央林間から運転された「スターライト号」は東急5000系で運転 東急線内は急行で運転し、表参道で千代田線からの「ドラゴン号」に接続する。行き先も今では東急車では見ることがない「永田町」行き。(永田町行きは深夜にメトロ車で1本存在しています。)
2005年8月13日 東京メトロ半蔵門線表参道で筆者撮影
東急目黒線武蔵小杉から南北線経由で運転された「ファンタジー号」は東京メトロ南北線の9000系で運転 東急線内と南北線内は各駅に停車し、市ヶ谷の連絡線から有楽町線に入り、有楽町線内は急行運転。
2005年8月13日 有楽町線有楽町で筆者撮影
小田急線相模大野から千代田線経由で運転された「ドラゴン号」は東京メトロ千代田線6000系で運転 小田急線内は快速急行、東京メトロ線内は急行運転で、千代田線霞ヶ関から有楽町線桜田門を結ぶ連絡線を通って運転された。
2005年8月13日 有楽町線有楽町で筆者撮影
西武池袋線小手指から有楽町線直通で運転された「ナイアガラ1号」は西武鉄道6000系で運転 西武線内は快速、東京メトロ線内は急行で運転。西武池袋線からの臨時列車のみ、復路も小手指行き「ナイアガラ2号」として運転される。
2005年8月13日 東京メトロ有楽町線月島で筆者撮影
埼玉高速鉄道浦和美園から南北線経由で運転された「レインボー号」は東京メトロ南北線9000系で運転 埼玉高速鉄道線内と東京メトロ南北線内は各駅停車で、これも市ヶ谷の連絡線を通り有楽町線に入ると急行で運転。
2005年8月13日 有楽町線新木場で筆者撮影
これだけ多くの臨時列車が運転された「東京湾大華火祭」会場への臨時列車は、連絡線など普段乗ることができない区間を通ることなどで、話題の多い列車でもあります。
今年の「東京湾大華火祭」は華やかに開催されたと思います。ぜひ来年もまた、これだけ華やかな臨時列車の運行を期待したいと思います。
8月5日から7日まで、3日間の東海地方紀行もこの記事で終盤となります。
さて、8月7日は豊橋鉄道市内線の撮影会があり参加してきました。そのあと市内線も撮影してきましたが、豊橋鉄道は市内線の他に、渥美半島の三河田原へ行く鉄道線「渥美線」もあります。こちらにも、乗車してきました。この路線は今から4年ほど前に乗車したことがあり、今回は時間の都合上、車庫のある高師までの乗車となりました。
豊橋鉄道渥美線の始発駅は、JR豊橋駅に隣接している新豊橋から出発しますが、その駅の雰囲気は近年豊橋駅が改装され駅前が整備された中、どこか場末な感じがしました。
豊橋鉄道渥美線の始発駅 新豊橋に停車中の電車 2005年8月7日 筆者撮影
現在、渥美線を走る車両は元東急の7200系になります。すでに東急では7200系としては営業車としては存在せず、VVVF改造された7600系として残存しているだけになります。渥美線では3両編成で運転されていますので、かつての目蒲・池上線を彷彿させる面もあります。
新豊橋を出発した渥美線は、単線で住宅地中を走り、新幹線や東海道線を越え、走っていきます。今回は前述のとおり高師で下車し撮影しました。
2005年8月7日 高師で筆者撮影
豊橋鉄道に譲渡された7200系はご覧のようないでたちです。近年、このようなコルゲート外板のステンレス車がリニューアルなどで側帯を入れる際は、コルゲートの上から無理やり粘着フィルムの帯を入れる傾向がある中(これは、東急の8000系更新車歌舞伎前面車しかり、京王井の頭線3000系リニューアル車もまたしかり)、戸袋などの平らな面にアクセントを入れているという点で、見栄えは良いように思います。
また、豊橋鉄道渥美線では、同じ元東急の7200系でも特別仕様車が存在しています。これら車両は高師の車庫に留置でしたので、撮影してきました。
工場入場中の「なのはな号」 2005年8月7日 高師で筆者撮影(敷地外から撮影)
留置中の「なぎさ号」 2005年8月7日 高師で筆者撮影(敷地外・踏切から撮影)
このあと、高師駅付近で撮影してみました。
2005年8月7日 南栄~高師で筆者撮影
豊橋鉄道渥美線は、昼間15分間隔で運転され、沿線も豊橋から近郊へ向かう郊外電車の雰囲気で、沿線に学校もあり、高師から新豊橋へ戻る電車では途中から多くの学生さんが乗車してきました。
渥美線の終点、三河田原からは伊良湖方面へバスが出ていて終点の伊良湖岬の港から、鳥羽及び三河湾の島を経由して知多半島の河和へ向かう船が出ています。
通勤通学輸送に、そして渥美半島への足として活躍している豊橋鉄道渥美線、元東急7200系が活躍している姿を見に訪れてみるのも一考かと思います。
さて、名古屋から豊橋へJR新快速で向かった8月7日でしたが、豊橋に到着しますとちょうど飯田線のこの列車が入線してくる時間でしたので撮影しました。
この列車は「トロッコファミリー号」という列車で、夏休み期間中とそれ以外は主に土・休日に豊橋~中部天竜間で運転されているトロッコ列車です。
豊橋で出発を待つ「トロッコファミリー号」 2005年8月7日 筆者撮影
この日の牽引機関車はEF58 157 2005年8月7日 豊橋で筆者撮影
この日の牽引機関車は、かつては特急列車などを牽引した花形機関車EF58で運転されました。この機関車の経歴からすると「トロッコ列車」には不釣合いに思えますが、今となっては貴重になった機関車だけにこうして実際に運転されている姿を見ることができるのは何よりです。
この「トロッコファミリー号」の牽引機関車は今回のEF58 157で運転される日と、その昔船で輸入されてきた旧型機関車ED18 2で運転される日があります。ED18 2で運転された日の「トロッコファミリー号」はTOMOさんが記事にしておられますので、こちらをご覧下さい。
また、「トロッコファミリー号」の客車についても撮影しました。
機関車のすぐ後ろにスハフ12が2両連結されている 2005年8月7日 豊橋で筆者撮影
その後ろにはトロッコ型客車オハフ17が連結されている 2005年8月7日 豊橋で筆者撮影
「トロッコファミリー号」のテール 2005年8月7日 豊橋で筆者撮影
実は、筆者も今から12年前に「トロッコファミリー号」に乗車したことがあります。この時は上り豊橋行きで中部天竜から乗車しました。自分が乗車した時は牽引機はED18 2で、客車も12系はオリジナルに近い塗装、トロッコもオハフ17が1両で、他はトラ貨車から改造の車両が3両ほど連結されていた編成であったように記憶しています。また、トロッコに乗車できるのは中部天竜~豊川までで、豊川~豊橋は12系の客車に乗車しました。これは現在も変わらないようです。
飯田線の観光列車という位置付けの存在になっている「トロッコファミリー号」が、今でも形を変えながら健在なのは何よりです。
これからも、この列車がED18やEF58とともに飯田線の観光列車として親しまれ運行され続けることを希望するのは、私だけではないでしょう。
夏休みに入り、ますます盛況な「愛・地球博」。この輸送のメインルートとなるJR東海・中央線と愛知環状鉄道では、「エキスポシャトル」を211系10両編成で運転していますが、夏休み期間中は混雑する時間帯にさらに増発されます。
主に夏休み期間中の土・日曜に設定された名古屋8:38発の臨時快速「エキスポシャトル」には、余命も少なくなった113系が充当されていました。
113系で運転される臨時快速「エキスポシャトル」 2005年8月7日 名古屋で筆者撮影
113系の「快速エキスポシャトル 万博八草」方向幕(側面) 2005年8月7日 名古屋停車中に筆者撮影
臨時快速「エキスポシャトル」は堂々の113系10両編成 2005年8月7日 名古屋で筆者撮影
出発を待つ 113系臨時快速「エキスポシャトル」 2005年8月7日 名古屋で筆者撮影
JR東海では先日、来年度より313系を再び増備して老朽化した車両を置き換える、と発表がありました。
おそらく、その置き換えの対象となりあと数年でJR東海からは姿を消すであろう113系を使用した「エキスポシャトル」は、臨時列車とはいえこの系列において最後の一花の姿なのではないかと思います。
「愛・地球博」の会期は残り45日ほどです。会期末に向けて増発される「エキスポシャトル」に充当されている113系の晴れの姿です。一度見てみるだけの価値がある列車であると思います。
まだまだ続く、東海地方旅行に関する記事ですが、今回は8月7日の朝のことです。
この日、名古屋から豊橋を目指す為にJR線を利用したのですが、その名古屋駅で撮影した列車についてです。
名古屋から長野へ行く中央線の特急「しなの」号は、山あいの急曲線区間を走行することから、その区間でもスピードを落とさないで運転することができる「振り子式車両」が初めて導入されました。この時導入されたのが381系と呼ばれる特急型電車です。「しなの」号を皮切りに紀勢線の「くろしお」、伯備線の「やくも」に導入され、スピードアップに貢献しました。しかし、更なるスピードアップとサービス向上などのため、JR東海では「長野オリンピック」開催時期までに「しなの」に383系という新型車が導入され、381系は淘汰されて定期運用はなくなりました。
しかし、381系は臨時「しなの」で運転されることがあります。今回、名古屋8:24発の臨時「しなの81号」で381系が充当されていたのを目撃し撮影しました。
「しなの81号」の白馬(長野)方先頭はパノラマグリーン車 2005年8月7日 名古屋で筆者撮影
「しなの」の絵入りヘッドマークも健在 2005年8月7日 名古屋で筆者撮影
すでに定期運用はなくなり、普段は神領の車庫で留置されていることが多い381系は、今も国鉄特急色で健在でこのように臨時「しなの」で運転されます。
あと、余命はどれくらいなのか分かりませんが、まだしばらくは臨時列車で見ることができることでしょう。
さて、谷汲をあとにして次は美濃へ向かったのですがその行程で、JR高山線の美濃太田から乗車したのが、長良川鉄道になります。
長良川鉄道 ナガラ304 2005年8月6日 美濃太田で筆者撮影
長良川鉄道は先述のとおりJR高山線の美濃太田から、刃物の街として知られる関、美濃和紙の産地であり古い町並みが残る美濃市、城下町の郡上八幡を経由して、北濃まで結ぶ全長72.1キロの路線です。元は越美南線と呼ばれていた路線でしたが、第3セクターに転換され長良川鉄道になりました。会社名が示すとおり、長良川に沿って走る路線です。
途中の関で車両交換がありました。現在の長良川鉄道は、画像のナガラ300形が主力で開業時からのナガラ1形も健在なのですが、自分が見た限りでは、関の車庫に留置でした。そして、美濃市まで乗車しましたが、関~美濃市間には最近開業したと思われる駅が見受けられました。これは、1999年の名鉄美濃町線新関~美濃間廃止に伴う代替として開設された駅との事です。美濃市までは所要30分ですが、終点北濃はまだまだ先になります。
そして、帰りも美濃市から長良川鉄道に乗車しました。
2005年8月6日 美濃市で筆者撮影
かつては、現在もJRの路線として存在している越美北線と結ぶ予定で文字通り美濃と越前を結ぶ路線の一部として開業した越美南線は、結局北線と結ばれることなく第3セクターの長良川鉄道に転換されました。
現在では並行して高速道路が開通するなど、利用客減に悩まされているとのことです。
ぜひ乗車して、これからも地域の足としての長良川鉄道の存続を願うところです。
さて、先日の記事で名鉄岐阜600V線区の保存車両を訪ねる旅をしてきましたが、その行程で乗車した鉄道があります。今回は、まず東海道線大垣から樽見を結ぶ樽見鉄道に乗車した件を記事とします。
前日宿泊した岐阜から、長良川・揖斐川を越えた所にある大垣が出発駅となります。
大垣で出発を待つ樽見鉄道 ハイモ230-301 2005年8月6日 筆者撮影
さて、先週の金曜日から日曜日までの3日間は東海地方を旅してきました。メインは1日目の「愛・地球博」そして、3日目8月7日の「豊橋鉄道市内線撮影会」参加が目的でしたが、それ以外にも廻ってきたところがあります。
それは、名鉄岐阜600V線区で活躍し現在保存されている車両を訪ねる旅です。今回は、この話題に触れます。
旧・谷汲駅に保存されている モ755 2005年8月6日 筆者撮影
旧・美濃駅に保存されている モ512とモ601 2005年8月6日 筆者撮影
さて本日8月7日は、名古屋から豊橋へ向かいました。豊橋は現在も路面電車が残っている街で、今日は豊橋市内線を運行している豊橋鉄道の車庫で撮影会イベントがあるということで、行ってきました。
今月2日より運転を開始した モ801とモ781 2005年8月7日 赤岩口車庫イベント会場で筆者撮影
この3日間は東海地方へ旅行に行ってきました。とても暑い日々でした。
その1日目、8月5日は現在開催中の愛知万博「愛・地球博」に行ってきました。
すでに多くのブログで「愛・地球博」に行ってきたことが書かれているのは周知のことと存じます。
さて私がこの会場に入りまして、真っ先に向かったのがJR東海が出展している「超電導リニア館」です。
鉄道ファンであれば、他のパビリオンはそっちのけでもぜひ訪れたいパビリオンであると思います。
「愛・地球博」JR東海 超電導リニア館 全景 2005年8月5日 筆者撮影
このパビリオンの前には、時速581kmをマークした超電導リニアMLX-01-1が展示されていて、車内も見学できました。
時速581kmをマークした超電導リニアMLX-01-1 2005年8月5日 筆者撮影
超電導リニア館 MLX-01-1の後ろの高架線を常電導リニアの「リニモ」が通る
車内を通った感じでは、椅子が一部撤去されていましたが、どこか航空機を思わすような感じがしました。
また、このパビリオンでは3D映像で、時速581kmを体感できる「超電導リニア3Dシアター」と超電導の仕組みなどを実演する「超電導ラボ」があり、いずれも大盛況で3Dシアターでは50分待ち・超電導ラボでも20分くらい待ちました。これでこの日の午前中をすべて費やしました。
中央自動車道で河口湖へ向かい途中にあるニールセン橋が目印の実験線で、実際に走行している姿を見たことがなかったもので、今回初めて実物を知ることができました。
実現すると、東京~大阪が1時間とも言われる夢の乗り物「超電導リニア」が今後実現に向かうのか、気になるところではありますが夢のある話、いつか実現する日を心待ちにしてみても良いのではないかと思います。
今年の東急は、例年になく暑い夏になっています。
7月で運行終了しましたが「伊豆のなつ号」や8000系のリバイバル仕様、さらには「きかんしゃトーマス60周年記念電車」といったイベントが盛りだくさんで、まさに熱い夏になっています。
さて、東急では今を遡ること5年前の2000年8月も、それは大変暑い夏でした。
2000年8月6日に、長い年月をかけて工事が進められた東横線の複々線化が一部完成し、これにあわせましてそれまで、目黒から蒲田を結んでいた“目蒲線”が多摩川(同日多摩川園から駅名変更)で分断となり、目黒口は”目黒線”となり多摩川からは複々線になった東横線に入って武蔵小杉へ行くようになって、この年の9月に目黒まで延伸してきた地下鉄南北線・三田線と相互直通運転を始め、混雑が激しかった東横線のバイパスルートになりました。残された蒲田口は”多摩川線”として再出発しました。
目黒線では、当時の新型車3000系6両編成が投入されてホームドアや都市型ワンマン運転を実施するなど最先端の設備が設けられ、多摩川線でも池上線で導入されていたホームセンサーにより、ワンマン運転が開始されました。
大変身を遂げた目蒲線でしたが本日話題としますのは、今日の姿が遠い未来の事に思えた今から16年前の1989年3月頃のお話です。
この時も目蒲線は変革の時を迎えていました。
それは、この時期にダイヤ改正が実施されることになって、輸送力増強により3両編成から4両編成に増結するというのが主な内容でしたが、その方法は目蒲線へ主に7700系を投入して、それまでの旧型車を置き換えるというものでした。
ここで、その当時のダイヤ改正直前の目蒲線の写真をご覧下さい。
デハ3518 1989年3月 大岡山で筆者撮影 この当時の目蒲線といえばこの旧型車でした
デハ3517と旧塗装になったデハ3452 1989年3月 田園調布で筆者撮影
旧塗装になっていたクハ3662 1989年3月 田園調布で筆者撮影
かつての目蒲線と池上線は、昭和の終わり・平成の始めまでご覧のような旧型車がまだまだ闊歩していました。
この当時の目蒲線ダイヤ改正に対応させる為、目蒲線に当時走っていたステンレスカーの7200系は池上線に集められ、変わって目蒲線には旧型車が集結して最期の活躍をしていました。旧型車の塗装は緑色でしたがこの時期、一部の車両は往年の紺と黄色のツートン塗装になって活躍していたものありました。
これら旧型車の置き換えに使われたのは、7000系からの改造車である7700系が充当されたのですが、この置き換えも玉突きで捻出されたもので、その方法はまず東横線に当時5M3T編成で加速が劣りまた横浜付近の地下線化構想(これは昨年みなとみらい線として陽の目を見ました)により非貫通前面の8090系10編成について、まずMc車で貫通路がついた8590系先頭車を10両導入し、8090系を組み替え東横線に8590系6M2T編成として5編成を組成し、発生した8090系は5両編成10編成として大井町線に転属させ同線をこれで20m車5両編成に統一し、これで捻出された18m車6両編成の7700系を4両編成に組み替え、目蒲線に投入して旧型車を置き換えました。
この当時、目蒲線・池上線といえば誰もが思い浮かべたであろう旧型車が、ステンレス車に置き換えられたというのはそれだけでも画期的なことでした。しかし、それからわずか10年ほどで20m車6両編成になり、地下鉄と直通運転を実施し、ホームドアなどの最先端の設備が施された線区になるとは全く持って考えられず、それこそ当時に構想でこの件を耳にしたときは「遠い未来の夢物語」にしか思えませんでした。
現在では、東横線のバイパスとして機能している目黒線ですが、あと数年で不動前~洗足間の地下化と、東横線の複々線が日吉まで延びることになっていて、すべて完成した暁には急行の運転も行なわれるとのことです。
また、先ほどの写真を撮影した大岡山や田園調布は東横線の複々線化事業によって改良工事が行なわれ、現在では地下駅になっており沿線風景は変わりました。
平成の始め、まだ旧型車が闊歩していた目黒線(旧目蒲線)は、未来に向かってさらに変身しようとしています。それは、これら旧型車が活躍していた時代からの変化が、あまりにも急速であったことの裏返しなのではないかと思います。
長野電鉄ウェブサイトによりますと、今月12日に小田急電鉄から10000形「HiSE車」を譲り受けることになりました。
現在、運用を離脱しているHiSE車2編成を譲り受けるもので、長野電鉄では現在11両連接から4両連接に改造して、外装は小田急時代のままで運行されるとの事です。
2006年秋から、長野~湯田中の特急で運転されるとの事で、現在の長野電鉄の特急車2000形が老朽化していることから、これの置き換えが考えられます。
一部でウワサされていた話が実現に向かいます。小田急ではVSE登場により、ハイデッキ構造が故バリアフリーに対応できずに早くも運用離脱した10000形の第2の活躍の場が与えられました。
今年、東急から8500系が移籍したのに続いて長野電鉄に移籍する小田急10000形「HiSE車」、運転開始まで1年以上ありますが、新たな地での活躍に期待したいと思います。
長野電鉄に移籍が決まった小田急ロマンスカー10000形「HiSE車」 2005年2月12日 町田で筆者撮影
参考
小田急電鉄ウェブサイト ニュースリリース
長野電鉄ウェブサイト ニュースリリース
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