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2005.08.08

保存されている名鉄岐阜600V線区の車両を訪ねて

さて、先週の金曜日から日曜日までの3日間は東海地方を旅してきました。メインは1日目の「愛・地球博」そして、3日目8月7日の「豊橋鉄道市内線撮影会」参加が目的でしたが、それ以外にも廻ってきたところがあります。
それは、名鉄岐阜600V線区で活躍し現在保存されている車両を訪ねる旅です。今回は、この話題に触れます。

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旧・谷汲駅に保存されている モ755 2005年8月6日 筆者撮影

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旧・美濃駅に保存されている モ512とモ601 2005年8月6日 筆者撮影

先日、豊橋鉄道市内線でデビューした新型車は、今年3月31日の運行をもって全線が廃線となった名鉄岐阜600V線区からの移籍車になります。豊橋に移籍した車両はまだ10年も経っていない新しい車両で、新天地で活躍を始めました。
岐阜600V線区には、そんな最新鋭の車両から古豪まで、個性豊かな車両が走っていました。
現在では廃線となってしまった岐阜600V線区、この日岐阜に投宿した時、名鉄岐阜駅前には軌道は残っていたものの架線は無くなり、軌道敷の跡を車が何も無いように走り抜けていく、どこか寂しげな光景でした。

そんな中、かつて電車が走っていたことを伝えようと保存されている車両があります。今回はそんな車両たちを訪ねてみました。

まずは、大垣から樽見鉄道に乗って、谷汲を訪れました。

谷汲は、岐阜市内線から直通する揖斐線の黒野から分岐していた谷汲線の終点で、西国33番札所の結願寺として知られる谷汲山華厳寺の最寄駅として、多くの参拝客が訪れた駅でした。
谷汲線は山間の中、根尾川の渓流沿いを走るすばらしいロケーションで、車両も昭和初期製造のモ750形が活躍していた、ローカルムードにあふれ人気があった路線でした。筆者も2度谷汲線に乗車したことがあり、そのローカルムードに感銘した路線でした。
そんな谷汲線も2001年9月30日の運行をもって廃線となりました。

廃線となったあと、地元住民と愛好家達が募金を募り活動を行なった結果現在、谷汲駅にこの路線で活躍していたモ755が保存されています。

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旧・谷汲駅駅舎 揖斐川町昆虫館に隣接している。

かつての谷汲駅は現在も当時のまま残されています。この駅舎を抜けホームに入りますと、かつてこの駅まで走っていたモ755が展示されています。

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旧・谷汲駅で保存されている モ755

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この光景を今でも見ることができる

画像をご覧のとおり、大変良好な状態で保存されているモ755、車両が屋根で覆われてしまっていますが、末長く維持保存していく為には止むを得ないでしょう。しかし、あのとき訪れた谷汲駅はほとんどそのまま残っています。
なお、モ755の車内に入ることもできその当時のままで、懐かしさがこみ上げてきました。この車両にあった運賃箱は募金箱として機能していて「モ755と旧谷汲駅の維持・整備のためご協力を」ということで、わずかではありますが募金してきました。
また駅舎内の待合所はギャラリーになっていて、かつての谷汲線にまつわる物が展示されています。

地元住民と愛好家たちの熱意で、谷汲駅で保存されているモ755、最近谷汲村が市町村合併により揖斐川町に編入され、急速に谷汲線の面影が薄れてしまうような感じがしますが、ぜひかつてこの地に電車が走っていたことを末長く伝えられるよう、維持してほしいものです。


さて、谷汲を後にして次に向かったのが美濃になります。

高山線美濃太田から長良川鉄道に乗り換え、美濃市で下車して数分のところにあるのが、旧・美濃駅になります。
美濃は、岐阜市内の徹明町及び新岐阜(現在の名鉄岐阜)各務原線ホームから出ていた美濃町線の終点でした。
美濃町線は1999年3月31日の運行をもって新関~美濃間は廃線となり、新関から長良川鉄道関駅に乗り入れる区間が開業しましたが、これもわずか6年で廃線となってしまいました。
私が名鉄を初めて訪れた時は、新関~美濃が廃線となったあとで乗車することはできませんでした。ということで、美濃駅は初めて訪れます。

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旧・美濃駅駅舎

ここも、開業時からの駅舎が残されており、この駅舎を抜けてホームに入りますと、美濃駅ゆかりの車両が2両展示されています。

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美濃駅ホームに並んで展示されている モ512(左)とモ601(右)

美濃駅は初めて訪れたのですが、現役当時はこんな光景が当たり前のように繰り広げられていたのでしょうか?

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美濃駅の保存車 モ512

この車両は、1926年に美濃町線用に製造された車両で、前に張り出した5枚窓と円形の戸袋窓が特徴の車両です。1926年といいますとまだ大正時代になります。このモ512は2000年頃までなんと現役で主に、岐阜市内線・揖斐線の直通で運転されていましたが、廃車となり美濃の地で保存されています。なお、同系のモ513・514に至っては、岐阜600V線区全線廃線の今年3月まで、定期運用はなくなっていたものの現役で走っていたのをご存知の方も多いことでしょう。

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美濃駅の保存車 モ601

この車両は1970年に、美濃町線がこの当時開業した田神線を経由して各務原線に乗り入れ新岐阜駅(現在の名鉄岐阜)に乗り入れるために製造された車両です。
スマートな外見が特徴ですが、田神から1500Vの鉄道線に乗り入れるため複電圧車で、1971年に鉄道友の会ローレル賞を受賞しています。
美濃町線の主力として活躍した600形も、高床構造などが災いして2000年に800形導入により1両を除いて廃車となり、その中のモ601が美濃駅で保存されています。なお、残された1両はその後、全線廃線まで残存し登場時の白帯塗装で運転されていた姿を覚えている方も多いことでしょう。

なお、この2両について車内に入ることはできますが、座席は完全に無くなりモ601については、どこから持ってきたのか、特急型車用の座席が置いてありました。

さて、旧美濃駅の駅舎内には、この施設を守ろうと地元の方がお店を開いています。そのお店とは、全国各地の限定版バス・電車のチョロQを販売していてそのコレクションとして展示もされています。この日は私1人しかいませんでしたが、お子様連れの親子が訪れることがあるようです。


谷汲と美濃で、その当時を思い起こさせる状態で保存されているこれら車両、これから維持していくのは大変なことかもしれません。しかし、末長く保存させる為の取り組みも行なわれていることから、ぜひ皆様方もこれら車両を訪ねに行ってみてはいかがかと思います。

また、現在も岐阜の旧市ノ坪駅構内に集められている車両のうち、譲渡が決まっているもしくは新天地へ旅立ったもの以外についても、なんとかどこかで保存してくれればと思うのは、私だけでしょうか?


画像はすべて2005年8月6日 筆者撮影


最後に>

今回紹介しました、場所への行き方をご説明いたします。

まず、旧・谷汲駅へは、JR東海道線大垣乗換え樽見鉄道で「谷汲口」駅下車、ここから「谷汲山華厳寺」ゆき名阪近鉄バスに乗車し約7分「谷汲」バス停下車、目の前です。なお、谷汲口からのバスは本数が少ないので、大型時刻表などでダイヤをご確認のうえ、お出かけください。

次に、旧・美濃駅へは、JR東海道線岐阜または名鉄犬山線新鵜沼乗換えJR高山線に乗り、美濃太田でさらに乗り換え長良川鉄道で「美濃市」駅下車、徒歩3分ほどのところです。

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コメント

おはようございます。

>現役当時はこんな光景が当たり前のように繰り広げられていたのでしょうか?

私が美濃駅へ通うようになったのは1995年頃ですから、もう10年前になります。

昼間は590形のワンマンカーが行ったりきたりしていました。
朝のラッシュ時には880形などが運用に入っていたりしていたのをよく覚えています。

個人的には美濃駅の駅舎が好きなので、廃止されてからもちょくちょく通っています。

投稿: Simplex | 2005.08.09 06:47

Simplexさん、コメントとトラックバックをありがとうございます。

私は美濃駅については現役当時に訪れることができなかったので、どんな運行系統であったのかは分かりませんが、590形が運転されていたのなら、現在も市ノ坪に残されている590形がそのうち美濃駅で展示されるのでは、ということにぜひ期待してみようと思います。

谷汲も美濃も、現役当時そのままの姿で駅も車両も保存されていましたので、また訪れてみたいと思いました。

投稿: Kaz-T | 2005.08.10 01:23

この記事へのコメントは終了しました。

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