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2005.07.17

今年で創立110周年 上信電鉄

今回の旅は横川がメインでしたが、その帰りにこちらの地方私鉄にも乗車してみました。
高崎から製糸業で栄えた上州富岡を経由して、ネギとこんにゃくの産地として知られる下仁田を結ぶ上信電鉄です。
1895年に会社設立し1897年に営業運転を開始した長い歴史のある会社で、今年12月で創立110周年を迎えます。

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上信電鉄1000形 2005年7月16日 高崎で筆者撮影

では、この上信電鉄に乗車してみます。始発駅の高崎はJR線ホーム1番線の東京方先端の専用0番線から発車するのですが、今月に入りJR線の改札が変更になるとともに、これまでの1番線は改札外の上信電鉄乗り場への通路というような感じになりました。その先に出札と改札があり、ここで乗車券を購入しますと、今では珍しくなった硬券で発行されました。

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かつて一世を風靡した1000形 2005年7月16日 高崎で筆者撮影

まず下仁田まで乗車した車両は1000形と呼ばれる上信オリジナル車です。この車両はデビュー時にその斬新なデザインで一世を風靡し、鉄道友の会ローレル賞まで受賞した車両です。しかし、上信電鉄も近年の地方私鉄のご多分にもれず利用客減に悩まされており、3両編成で登場した1000形も今では2両編成と増結用のクハに改造され、外装も広告塗装になっています。

さて、高崎を出発しますと住宅街を抜け、上越新幹線をアンダークロスする付近で行き違いの信号所があり、これをすぎて鉄橋を渡りますと、のどかな田園風景を走ります。途中の上州富岡はこの沿線において開けた街であることから乗降が多く、その後は再び田園風景を行くのですが、終点が近づきますと山の中に分け入るようになり、街が見えてきますと、終点の下仁田になります。高崎からおよそ1時間の行程です。

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下仁田駅駅舎 2005年7月19日 筆者撮影

この下仁田駅は「関東の駅百選」に選定されています。どこか懐かしさを感じさせる駅舎に思えます。

さて、下仁田まで乗車しましてもここから別の駅へ抜けれるルートはありませんので、高崎へ戻ります。
高崎へ戻るのに乗車した車両は、これも上信電鉄オリジナルの6000形です。

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上信電鉄6000形 2005年7月16日 下仁田で筆者撮影

この車両は、1000形がベースになっており、やはり斬新なデザインで一世を風靡した車両です。車内が一部クロスシートになっているという特徴があり、外見ではドア間の窓が4枚になっている箇所がクロスシートになっています。この車両も広告塗装になっていますが、その広告主は「日野自動車」で、前面にも日野自動車のエンブレムがついているなど、大胆なものになっており、沿線では人気が高い広告塗装だそうです。

この車両で高崎まで戻りましたが、この往復で上信電鉄の各種車両と行き違いました。そこで、自分が撮影できたこれ以外の上信電鉄の車両についてもここに列記します。

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150形 西武鉄道からの譲受車 広告主は沿線にある「群馬サファリワールド」
2005年7月16日 上州富岡で筆者撮影

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500形 今年入線した上信電鉄の最新型車両ではあるが、元西武鉄道の新101系
2005年7月16日 南蛇井で筆者撮影

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これも元西武鉄道401形の譲受車 広告主はこんにゃくの産地として知られるだけに「蒟蒻畑」のマンナンライフ、なお外装は上信電鉄沿線の風景が描かれているという。
2005年7月16日 下仁田で筆者撮影

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上信電鉄オリジナル車250形 人形処かんとうの広告
2005年7月16日 上州一ノ宮で筆者撮影

今回乗車した、あるいは運転されていた車両のほとんどが広告塗装車となっていました。また、オリジナル車もあるのですが、西武鉄道からの移籍車が多く活躍しているようにも見えました。
また、今回は撮影することができなかったのですが、上信電鉄では我が国で最も古いとされているドイツから輸入されてきた電気機関車を保有していることでも知られています。

苦しい経営ながらも沿線の足として今日も走り続ける上信電鉄、どこかのどかな時間の中を行くこの路線も魅力がある路線だと思いました。


参考 上信電鉄オフィシャルウェブサイト

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コメント

200系や1000系、6000系といった上信電鉄オリジナルの電車は、進行方向右側に運転台があるのも、上信電鉄の特徴ですね。

西武鉄道からの譲渡車が多くなってきたことから、西武鉄道と縁があるように思われがちですが、実は200系の一部にも西武所沢車両工場で製造された車両があり、西武鉄道との繋がりは、実はかなり前からと言うことになります。

昨年末、西武鉄道から嫁入りした元101系電車も元気に営業入りしているようで、近いうちに私も訪問してみようと思っています。ちょっと古い記事ですが、私のブログから500系搬入時の模様をトラックバックさせていただきました。この中には、本編で触れられていたドイツ製電気機関車による入替シーンも載せていますので、宜しければ御覧ください。

投稿: TOMO | 2005.07.17 10:50

 またまたコメントいたします(^^)。

> その先に出札と改札があり、ここで乗車券を購入しますと、今では珍しくなった硬券で発行されました。

 今月から高崎駅がリニューアルされましたね。それに伴い、上信電鉄の改札も分離されることになりましたが、ここの硬券はその後も健在のようですね。

 共通改札の時代にもJRからの乗換客用に出札窓口がありましたが、ここは券売機もなく出てくるきっぷは硬券でした。私も記念目的で買ったことがありますが、こうしたきっぷも今では珍しいですね。

投稿: mattoh | 2005.07.17 10:57

コメントいただきまして、ありがとうございます。

TOMOさん>
トラックバックも頂きまして、ありがとうございます。
1000形に6000形さらにはオリジナルの200系といずれも運転台が右側になっているのを確認しています。交換駅で島式ホームにおける、かつてのタブレットの受け渡しのさいの便宜で、このような構造になったと聞いております。

20mドア車体構造ですと確かに西武鉄道の101系に代表される車両と同規格ですね。それだけにかつては車両も製造した西武とのつながりが納得できます。そして、今では西武からの譲受車が多く運用についていました。最近入線した車両も元西武新101系ですので、今後高崎車庫に停車中だった200形タイプ車を置き換えるために譲渡車両が増えるのか、気になるところです。

mattohさん>
トラックバックもいただきまして、ありがとうございます。
上信電鉄ウェブサイトで、高崎でのJR連絡乗車券の発売を中止するというリリースで、高崎駅の構造から意外に思ったのですが、高崎駅の改札位置が変更になって、これまでのJR1番線ホームが改札外になったとは驚きました。
しかし、ここの窓口で硬券が健在だったとはさらに驚きました。上信電鉄では結構有人駅が多く、下仁田など主要駅では自動券売機がありますが、それ以外の駅ではまだまだ硬券が健在のようです。

投稿: Kaz-T | 2005.07.18 00:48

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