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2004年11月の15件の記事

2004.11.29

2005年の夢をのせて、小田急新型ロマンスカーVSE誕生!

さきほど、Yahoo! Newsを見たところ「小田急の新型ロマンスカーVSE」が来年3月デビューという記事が掲載されていました。

この記事には画像も掲載されていて、その姿は1988年のHiSE車10000形以来の展望席が復活し1枚の大型曲面ガラスを採用しているほか、塗装は白のボディーに赤のラインが入った、未来を感じさせる気品あるデザインになっているように、私自身思いました。

デビューは来年3月のことですが、今から話題を独占するとともに大いに注目されることは間違いないでしょう。またこれから試運転が始まると、沿線には多くの人が訪れることになるでしょう。

SE車3000形から始まった小田急ロマンスカーの、新たな歴史が始まるように感じます。
「小田急ロマンスカーはこうでなくちゃ」と言うのに申し分ない新型車両に違いなく、営業運転を始めたら早速乗ってみようかと思います。

追記:小田急電鉄HPにもリリースが掲載されました。

関連記事 少年時代の憧れの列車(2004年10月25日)

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2004.11.28

こちらも終焉へ 都営新宿線10-010F

今月も残り少なくなってきましたが、こちらの車両もまもなく終焉の時が近づいてきました。都営地下鉄新宿線10-000系の第1編成、10-010Fです。

この10-010Fは8両編成のうち両先頭車を含む4両が試作車という編成で、編成内においても試作車、一次量産の2段窓車と後期製造の1段下降窓車の3種類が混在している編成です。
ここで運行終了が近くなって、10-010Fにヘッドマークが取り付けられました。

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いずれも2004年11月28日 京王線笹塚で筆者撮影

今日は京王線直通急行の運用についていました。
このため、今回撮影した笹塚でも例外なく新宿方ホーム端には自分も含めまして、10-010Fの終焉間近の姿を撮ろうと鉄道マニアの方々が集まっていました。

都営新宿線では、信号システム更新にあわせて新型車両が登場することになっていて、試作車を含む2段窓車を置き換えることになっています。その第1陣が大島車両基地に搬入されたとのことです。

第1編成で試作車を含む10-010Fはこれで引退となりますが、これまでの活躍を称えるとともに、これから登場する新型車両にも注目しようではないでしょうか。


関連記事 今日、注目されるであった車両(2004年10月9日)

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2004.11.27

この車両は京急新1000形で間違いない!

現在増備が続いている京急新1000形に、ラッピングによる装飾車が登場しました。

あと4日後にせまった、羽田空港第2ターミナルビル開業を宣伝するため新1000形に装飾が行われたのですが、車体は青に、そして、羽田空港・三崎口方から4両は全日空の装飾・品川・成田方から4両は日本航空の装飾になっています。これは12月1日以降京急で羽田空港を降りた際、到着した前の階段を登ると主に全日空が入る第2ターミナルへ、後ろの階段を登ると主に日本航空が入る既存の第1ターミナルへ行く改札となることを表しています。

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2004年11月27日 京成高砂で筆者撮影 ANA広告

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2004年12月27日 品川で筆者撮影 JAL広告

車内ですが、中吊りが一方は京急の「羽田へは京急だ。間違いない!」のキャッチコピーの広告が、もう一方は羽田空港行きになるときの前4両に全日空の羽田空港第2ターミナルオープンの広告が、後ろ4両は日本航空の「JAL羽田No.1キャンペーン」の広告となっています。

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2004年11月27日 品川で筆者撮影

京急にとって今では稼ぎ頭となった羽田空港の需要で東京モノレールと激しい競争を繰り広げていますが、新ターミナルオープンに伴う利用客誘致のためとはいえ、京急の赤い車体を青にしてまでPRするとは、いかに羽田アクセスに期待しているかを物語ってるような気がします。

しばらくはこの装飾で走るとのことですので、京急線内はともかく乗り入れる都営浅草線や京成線内でも注目されることでしょう。

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ブルートレインの名列車が終焉へ

先ほど、Yahoo! Newsに出ていた記事によりますと、来年3月のダイヤ改正で東京発のブルートレイン、長崎行き「さくら」と下関行き「あさかぜ」が廃止されるという記事がありました。

その昔、私が少年時代はちょうどブルートレインブームで、東京駅には多くのファンが訪れ、ブルートレインの旅に憧れていたものでした。
しかし、国鉄がJRになると、特に東京発九州方面行きは4旅客会社にまたがって運転されることになり、グレードアップなど手が入れられたものの、航空機などの競合などにより年々利用する人が減ってきてしまい、ここに来て使用されている車両についても老朽化が目立ってきていました。まだ、北海道方面ゆきは利用があり旅行ツアーも組まれているようですが、九州方面行はほとんど見向きもされない状況にもなってしまいました。実際、自分が乗ったことがある寝台列車といいますと、大阪行きの「銀河」とサンライズになる前の高松行き「瀬戸」だけです。

来年以降、東京発九州方面ゆきのブルートレインで残るのは熊本行き「はやぶさ」と大分行き「富士」だけになります。なお、現在「さくら」と「はやぶさ」は併結運転しており、3月以降は果たしてどうなるのでしょうか?

「さくら」「あさかぜ」とも、日本の特急列車の中でも歴史ある名列車の愛称でもあります。これらの列車の終焉は、時代の流れに取り残されてしまった故の結末なのでしょう。

これら名列車の最後を見守ろうではありませんか。

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このテールマークも見納めに 1995年ごろ東京で筆者撮影

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2004.11.26

昔の塗装で今も健在 名鉄5500系

昨日の記事の続きになるのですが、新名古屋から名鉄に乗って岡崎公園前にきました。目的は愛知環状鉄道でも「万博八草記念乗車券」を発売中とのことで、購入しに行ってきました。岡崎公園前駅は、愛知環状鉄道の中岡崎駅隣接になります。

さて、岡崎公園前駅は普通列車しか停車しない無人駅で、出札・改札は遠方監視によって行われています。(よって自動券売機や自動改札機が設置されています。)また本数は15分おきに電車が停車します。ここから名古屋方向へ戻るため電車を待っていると、ご覧のような車両で到着しました。

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2004年11月23日 岡崎公園前で筆者撮影

この車両は5500系と称し、1959年に登場してもう45年も走っている車両です。名鉄初の冷房車とのことですが、この時代冷房装置がついていた列車といいますと一部の特急列車のみで、普通乗車券だけで乗ることができる冷房車としては我が国初の車両でもあります。
さすがに45年が経過して、現在では2両編成で3編成計6両しか残っていません。そこで、昨年の鉄道の日時期よりこれら3編成に、5500系歴代の塗装が再現されました。この画像の編成は入線時の塗装になります。

この普通で新安城まで乗車し特急に乗り換えて、神宮前で下車しました。この駅の新岐阜・犬山方ホーム端は、名鉄の名撮影地だそうでここで何本か撮影したところ、知立方面碧南ゆき急行の後ろに5500系が連結されていましたので、停車中の列車を撮影しました。

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2004年11月23日 神宮前で筆者撮影

この塗装は3代目の塗装になります。このあとスカーレット1色になったとのことです。
なお、2代目の塗装はストロークリームに赤帯の外装で、この塗装が再現された編成は今回お目にかかることはできませんでした。

1959年に初めて冷房装置を搭載してデビューして45年以上が過ぎた車両ですが、乗ってみますと車内は転換クロスシートが並び、この時代の最先端を行く車両であったことを偲ばせますが、さすがに古くなってしまいました。おそらく5500系の置き換えのためでしょうか、すでにステンレスの車体を持つ新型車3300系が登場しています。

5500系が来年の中部国際空港開港とそれに伴うダイヤ改正後も生き残れるかは分かりませんが、一時代を築いた車両であることに間違いはないでしょう。

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2004.11.25

名鉄 2005年に向けてニューフェイス登場

1日空いてしまいましたが、先日の名古屋シリーズの続編です。

今回名古屋を訪れて購入したブツとは、名古屋鉄道で発売された「空港線開業記念 SFパノラマカード&μセット」という商品で、名鉄線をはじめ名古屋市営地下鉄や先日の記事で登場したあおなみ線などで使える共通乗車カード「トランパス」対応のSFパノラマカード2000円券(2200円分使用可能)と、名鉄の特急列車の特別車両券「ミューチケット」が2枚セットになったものです。その絵柄には来年1月、常滑沖に開港する中部国際空港へ向けて走る新型特急「ミュースカイ」が登場しています。

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新名古屋駅で購入した「空港線開業記念 SFパノラマカード&μセット」 カードとミューチケットがついた台紙(部分) 筆者所蔵

この商品を名鉄新名古屋駅で購入後、この駅から次に購入するべくブツを求めに岡崎公園前まで名鉄に乗車しました。

名古屋を訪れた際は「きしめん」や「味噌カツ」を食わないと来た気にならないと思うのはたぶん皆様方にもおありであると思われますが、私はこの他に「名鉄新名古屋駅の地下ホームに行き、ここでパノラマカーシリーズのミュージックホーンを聞かないと名古屋に来た気がしない」と思うほど「名鉄は面白い」と感じているマニアであります。残念ながらミュースカイの実車はこの新名古屋の地下区間で試運転中の列車とすれ違っただけではっきりと見ることはできませんでしたが、営業運転開始の頃を見計らって名古屋を訪れ、乗ってみようと思っています。

新名古屋からは、全車特別車の特急吉良吉田ゆきパノラマDXに乗車したのですが、途中の停車駅の鳴海でニューフェイスが止まっていましたので、下車して撮影しました。

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2004年11月23日 名古屋本線 鳴海で筆者撮影

この車両は、今年デビューした新型通勤車の3300系といいます。同系で3150系というのも登場するとのことですが、3300系は4両・3150系は2両になっています。
名鉄の本線系統では初めてとなるステンレス車(名鉄としては以前に小牧線用の300系がステンレス車として登場しています)で、車内はロングシートとクロスシートが混在しているような仕様になっています。名鉄の電車の外装といえば、特急型を除くとスカーレット一色というイメージであったのですが、いよいよ名鉄でも本格的にステンレス車導入となったようです。
3300系はまだそんなには走ってはおらず、名鉄の広大な路線網の中で現時点では乗ることはおろか、見ることもまだかなり難しいと思います。

名古屋では来年2005年の中部国際空港開港と「愛・地球博」開催にむけて活気があるように感じます。その名古屋を中心に広大な路線を持つ名古屋鉄道の2005年に向けて登場した、期待のニューフェイスともいえるこの両車の活躍を大いに期待してみようではないでしょうか。

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2004.11.23

あおなみ線に乗る

今日は、いろいろと購入するブツがありまして、名古屋に行ってきました。いろいろと回って結構な旅となりました。

さて、その第1弾ですが、遅ればせながら先月開業した、名古屋臨海高速鉄道「あおなみ線」に乗ってきました。

あおなみ線の始発駅である、名古屋駅は新幹線の東京方すぐ見える位置にあるのですが、いざ改札を探すとなると結構大変で、ようやく改札を見つけました。あおなみ線でも名古屋地下鉄などと共通で使えるプリペイドカード「トランパス」が使えるとのことですので、券売機でカードを購入後ホームに入りました。

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2004年11月23日 あおなみ線 名古屋駅で筆者撮影

さて、あおなみ線はデイタイム15分ヘッドで全列車4両編成のワンマン運転です。各駅には可動式ホーム柵が設けられています。

出発すると1つめ「ささじまライブ」駅の駅前開発中を過ぎると両側にJRの名古屋工場及び車両基地が見え、「ワイドビューひだ・南紀」や「快速みえ」、「ドクター東海」などが停まっている構内を抜けると、新設された高架を走ります。あおなみ線は「西臨港貨物線」を旅客化しただけあって、途中荒子駅付近では貨物駅があり「名古屋臨海鉄道」のディーゼル機関車が入換を行っていたのが見えました。またこの付近は宅地化が進んでおり、これまではおそらくバスでしか行くことのできなかったところにようやく電車が開通したといったところでしょうか?やがて終点が近くなってきますと、住宅から工場に変化し、将来「第2東名・名神高速道路」になる「名港トリトン」をくぐると終点の「金城ふ頭」になります。ここはポートメッセなごや最寄駅で、イベント開催時にはにぎわうことでしょう。またここだけ「ホームドア」になっていました。

金城ふ頭からすぐに戻り、途中の稲永駅で下車、同駅に入線してきた列車を撮影しました。

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稲永で撮影

その後名古屋駅に戻りました。

さて、乗ってみた感想ですが、ささじまライブ駅周辺がまだ開発中で何も無く、終点近くなると工場地帯となるのですが、それ以外はすでに宅地になり、地元の方が利用しているように見受けられました。とりあえずは順調のようなのですが、まだ利用客数は当初予定よりも下回っているとのことだそうです。
やはり、名古屋駅の位置が地下鉄などからの乗り換えが不便であると思われる点と、はたしてデイタイム15分ヘッドという本数が少ないのではないかというような気がしました。

と、いうことで名古屋の話題が出ましたが、今後来年の「愛・地球博」開催に向けて名古屋近辺では新線がこれからも開業します。
名古屋からは目が離せません!

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2004.11.18

今日はSuicaの日

某テレビ番組ではありませんが「今日は何の日」ということで、今日は日本の鉄道の世界において革新的なモノが登場した日です。

今から3年前の2001年11月18日、JR東日本の首都圏エリアに画期的なシステムが登場しました。「Suica」と呼ばれるICカード乗車券が登場した日です。

これまでは、定期券などの乗車券で自動改札機を通る時は、一旦取り出して改札機に投入しなければならなかったという手間があったのですが、Suicaでは改札機に設置されたセンサーにカードをタッチするだけで乗車できるようになりました。また定期券には新たに「チャージ」と呼ばれ従来のイオカードの機能が付加され、乗り越したときもチャージした部分から精算ができるという、この当時私鉄では定期券とカード2枚投入で実施されていたものを1枚のカードでセンサーにタッチするだけで完了するという点でも画期的なものでした。
この日、Suicaデビューを記念して、記念カードも発売されました。

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Suicaデビューを記念して発売されたSuicaイオカード(筆者所蔵)

さて、世に出たSuicaですが、世間からは圧倒的な支持を得てあっという間に普及しました。その後東京モノレールで、りんかい線で、仙台都市圏にもエリアを拡大し、JR東日本が発行しているクレジットカードVIEWカードと一体になった「VIEW Suica」も登場し、その後はSuica定期券における新幹線乗車サービスや、駅のコンビニなどでもSuicaのチャージ部分で支払いができるといった、電車に乗るためだけではなく駅の中でも使えるようになり、さらにJR西日本京阪神エリアにおいてJR西日本で発行しているICOCAとの相互利用や、湘南新宿ラインにおけるグリーン車乗車システムにも利用され、さらにはファミリーマートなど街中にも進出し始めました。

これら節目の際には記念のSuicaが発売されたのですが、いずれも人気で即完売の傾向が見られました。特に、東京モノレール参入時やりんかい線参入時の記念Suicaについては、購入するのに長い列に並び大変な思いをしました。

その後も順調に発行枚数を増やしたSuicaは、今年10月で1000万枚を突破しました。そして今日、Suicaがデビューして3周年を迎えました。そこで今日は、「Suica3周年&1000万枚突破」を記念したSuicaが発売されました。

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本日より発売された「Suica3周年&1000万枚突破記念」Suicaイオカード(筆者所蔵)

さて、Suicaの今後ですが、まもなくJALマイレージバンク機能とJALカード・VIEWカードの機能をもつ「JALカードSuica」が登場します。来年には携帯電話機に内蔵した「モバイルSuica」が登場するとされまた、新潟圏にもSuicaを導入し、その後は関東の私鉄・バスでも使えるようになるとのことです。

3年前に初めて登場したICカード「Suica」は、今後も限りない可能性を秘めてさらに進化してゆくことでしょう。

参考記事 JR東日本ホームページ「Suica」

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2004.11.17

鬼怒川温泉まで進出 AIZUマウントエクスプレス

 東武鉄道ホームページのリリースによりますと、来年3月をめどに現在会津鉄道会津田島~JR会津若松を結ぶ快速列車「AIZUマウントエクスプレス」が、野岩鉄道会津鬼怒川線を経由して、東武鬼怒川線の鬼怒川温泉まで直通運転を開始するという記事がありました。鬼怒川温泉で浅草からやってくる東武鉄道の看板列車、特急「スペーシア」に接続し、浅草から会津若松まで4時間で結ぶというものです。

 AIZUマウントエクスプレスは現在1日2往復、会津高原・会津田島から会津若松まで、土・休日には1往復喜多方まで延長運転してしています。車両は、キハ8500形と称しリクライニング機能がついた座席を持つ大変豪華な車両です。

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2002年3月23日 営業運転開始の日 会津鉄道 会津田島駅で筆者撮影

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2002年3月23日 JR東日本磐越西線 会津若松駅で筆者撮影

 さて、このAIZUマウントエクスプレスに使用される車両についてもうご存知の方も多いと思われますが、かつて名古屋鉄道で新名古屋からJR高山本線に直通し高山まで走っていた特急「北アルプス」に使用されていた車両です。JR線内ではJR東海の「ワイドビューひだ」と併結運転を行っていたのですが、利用客の減少などにより、2001年9月いっぱいで廃止となりました。その当時で車齢10年そこそこであったこの8500形でしたが、新天地である会津鉄道において看板列車として新たな活躍をしています。
 ここで、名鉄時代のキハ8500形の画像もお見せいたします。

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2001年9月24日 名鉄新名古屋駅で筆者撮影

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2001年9月24日 JR東海高山本線 美濃太田駅で筆者撮影

 会津鉄道移籍時にだれもが思ったであろう妄想で、「キハ8500形を使って東武浅草から会津若松までの直通特急を」と考えたと思うのですが、さすがに気動車では東武浅草に乗り入れられないようでしたが、鬼怒川温泉直通でスペーシアと接続ということで、いちおう形にはなったのではないかと思います。

 会津の地で活躍の舞台を得たキハ8500形の、さらなる活躍を期待せずにはいられません。

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2004.11.14

さよなら 京王帝都電鉄5000系の残党

今日は、京王相模原線若葉台の車両基地で「メモリアル5000系撮影会」が開催されました。
1996年に現役を引退した5000系でしたが、引退後も5125Fの3連がほとんどそのままの姿で事業用として残っていたのですが、この5125Fも引退することとなり、これを記念して開催されました。
今回の撮影会ですが、午前中は事前に申し込んだ方限定でしたが午後からは一般公開となり、大勢の人が訪れました。

展示された5125Fの新宿方5125では、ヘッドマークを時間で区切って取り替えた姿で展示されました。

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ハイキング特急「陣馬」
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ハイキング特急「高尾」

春・秋の休日に運転されたハイキング特急の京王八王子ゆき「陣馬」と高尾山口ゆき「高尾」、さらに元旦の終夜運転で走った高尾山口ゆき特急「迎光」のヘッドマークが取り付けられました。

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5125サイドビュー ヘッドマークは元旦の終夜運転特急「迎光」

今回の展示に際して、下り京王八王子行きで進行方向左側になる側面には、かつての京王の社紋とイニシャル(K.T.R)が復活しました。

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なお、2両目と3両目の間はチキを挟んでいたので、ご覧のように貫通路が塞がれています。

京王八王子方先頭5875では、「特急 京王八王子」の表示を出して、主にお子様向けの記念撮影のコーナーになっていました。

さて、今回の展示会にあわせましてパスネットが3種類、他に導入時に作成されたという「しおり」の複製品や写真セット、さらには車掌さんが車内で発売しているパスネットや京王れーるランドで発売しているグッズなども販売していました。

今日は午後3時で終了でしたが、終了直前では5125で「急行 新宿」が再現され、最後には「普通(サボは無地)新宿」が表示されました。このときの案内で「本日はご来場ありがとうございました」という趣旨のほかに「長い間5000系にご愛顧いただきありがとうございました」とも案内していました。

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と、いうことで本日の撮影会は盛大に実施されました。引退して事業用として主に深夜に人知れず走っていたはずの5125Fでしたが、唯一京王線に残っていた名車5000系の残党であることから、多く注目されていました。戦後の高度成長時代に華々しく登場し、現在の京王の発展とイメージの形成に貢献した5000系が、これで本当に引退となります。その車両がこれで姿を消すということで、これだけ盛大に撮影会が実施されたということは、いかに京王5000系が今日まで多くの人に名車として親しまれていた、なによりの証といってもいいでしょう。

さて、この5125Fに代わる事業用車が6000系より改造されたのですが、そのいでたちはかなり派手な外観となっています。こちらにその記事がありますので、あわせてご覧ください。

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2004.11.13

いよいよ終焉へ 京王井の頭線3764F

 10月19日付けの記事のなかで終焉が近づいていると記述しました、京王井の頭線3000系で唯一原型湘南形の前面を持つ第14編成3764Fですが、いよいよ終焉のカウントダウンが始まったようです。1000系の車内LED案内装置・ドアチャイムの取り付け改造がすべて完了し、編成の不足がなくなったことによります。

 今日は急行の運用についていました。京王では廃車が間近になりますと、1日中走り回る運用につく傾向がありまして、今日はまさにその典型的な運用についていました。

 ちなみに本日、偶然にも久我山→吉祥寺で乗車し到着した吉祥寺駅で、制服を着ておそらく乗務員で役職についておられると思われる方が、私と同じように携帯電話で3764Fを撮影していました。
 井の頭線沿線に住み続けた私だけでなく、井の頭線の乗務員さんにとっても3764Fの運用離脱、すなわち終焉は感慨深いものがあるのでしょう。

 関連記事 京王の名車に終焉の時せまる(2004年10月19日)

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 2004年11月13日 久我山で筆者撮影 この姿もまもなく見納めに

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2004.11.09

名鉄岐阜600V線区に廃止許可が出る

 名古屋を中心とする路線を持つ大手私鉄の名古屋鉄道(以下名鉄と称します)ですが、さきほど同社のホームページに、岐阜から伸びる路面電車である、岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の通称「岐阜600V線区」の廃止が許可されたというリリースが掲載されていました。

 名鉄は、私自身初めて訪れたのが1999年のことで、その後「これほどまで面白い私鉄はない」とばかりに何度も訪れています。華やかなパノラマカーなどの名車が走る一方で、岐阜から出る路面電車とその先に伸びるローカル線は大変魅力があり、今では廃止されてしまった谷汲線を含めても何度か訪れたところです。2001年にその谷汲線などとくに輸送人員が減っていた区間が廃止されてしまったのですが、それからわずか数年で岐阜600V線区全線が廃止となるとは、いかに利用客が減ってしまったかというのを物語っています。

 しかし、岐阜市内の路面電車を見ると、安全地帯が未整備なのと、軌道敷地内の車の乗り入れが日常的になっていて特に規制もされていなかったというところに、この路線の結末を暗示していたかのようにも思えます。一時は外資企業が買収するといった話もあったようなのですが、はたしてどうなってしまったのでしょうか。
 けれども名鉄自体はこの600V区間をけっして放置していた訳ではなく、1980年代以降も新造車導入や冷房化など、また2000年には部分的な低床車である800型(2001年の鉄道友の会ローレル賞受賞車です)を導入するなどむしろ積極的に投資を行った点も見受けられることから、もう万策つきてしまったというのが実情なのでしょうか?

 と、いうことでまた名鉄を訪れ、岐阜の路面電車に乗ってこなければと今から思う次第です。その名鉄でも明るい話題として、来年2月に中部国際空港開港により新特急「ミュースカイ」がデビューします。また、名古屋地域全体でも来年は博覧会「愛・地球博」が開催されるなど、これから名古屋を中心とした東海地方から目が離せません。

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現在は駅前整備により営業を休止している岐阜駅前電停 もうここに電車が来ることはないのだろうか?岐阜600V線区を走る大正生まれの古豪、モ510の長かった車生も、路線の廃止で終焉を迎えることになりそうです。
2001年2月26日 岐阜駅前で筆者撮影 ちなみにこの当時もまた現在もモ510が走ることは極めて稀だそうです。

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2004.11.07

華も嵐も乗り越えて、今日も中央線を201系が行く

 東京の電車で、オレンジ色の電車といいますと「中央線快速」と思い浮かべる方が多いと思われますが、今回はそのお馴染みのオレンジ色の電車のお話です。

 現在、中央線快速を走る電車としてお馴染みのオレンジ色の車両は201系といいます。試作車が1979年に登場しもう四半世紀を迎えます。それまでの抵抗制御から回生ブレーキを搭載したチョッパ制御となり、消費電力の低下を図りました。この時代はオイルショックなどで省エネルギーが叫ばれた時期であり、当時「省エネ電車」として脚光を浴びました。また、前面も実際の窓よりも大きく見せる「ブラックフェイス処理」が行われ、現在の電車のデザインにも繋がる影響を与えたことでも知られています。その後1985年までに、中央線快速はすべて201系に統一されました。
 そして今日でも中央線快速は201系の天下です。

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2004年10月31日 吉祥寺で筆者撮影 ADトレイン仕様

 この201系が登場した時、自分はまだ小学生でした。その当時、高尾山や奥多摩方面に遠足に行ったとき、また学生時代は通学で、そして今日では通勤で毎日乗っている電車であります。

 さて、201系に統一後の中央線快速では、いろいろなことがありました。
 
・高尾からトンネルを越えて大月、そして河口湖まで進出
・国鉄分割民営化・JR東日本発足
・青梅線直通の特別快速(青梅特快)・朝ラッシュ時に通勤特快新設
・東京駅の重層化
・大月駅での列車衝突事故
・相次いだ人身事故・信号トラブルによる輸送混乱
・JR東日本・完全民営化達成
・三鷹~国分寺間高架化に伴う上り線切り替え工事のミスで発生した大幅な輸送混乱

 時代の変革を受け続けた一方で、「中央線は・・・・・・」と世間からは批判を受け、今でも記憶に新しい出来事も多くありました。
 しかしこれらの出来事の中でも、膨大な中央線の輸送需要を支え懸命に走り続けていたのは、まぎれもなくこの201系であります。そして今日も201系はオレンジ色の車体で中央線を走り続けています。

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 2004年10月31日 東京駅で撮影 おなじみ「中央特快」

 登場時は「省エネ車」として一世を風靡したこの201系も、現在では山手線が205系からE231系に置き換えが進み、併走する中央・総武緩行線も209系・E231系に置き換えが完了、南武線や横浜線も205系となるなどステンレス車が主流になり、いつのまにか旧式の車両になってしまいました。
 そんな中で「中央線の201系を置き換える新型車導入」という話が出ているようです。

 この記事を執筆している現在、中央線では三鷹~国分寺間の高架化に伴う下り線の線路切り替え工事が今まさに行われているところです。未来に向けて、中央線も沿線地域も変わろうとしています。
 201系が果たして完成後の高架線を走ることがあるのかはわかりませんが、ブラックフェイスとオレンジ色の車体で中央線快速を走り続けている201系の今の姿を、記憶に留めようではないでしょうか。

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2004.11.04

福岡の超個性的な電車

 福岡シリーズの続編です。

 昨日は福岡空港から地下鉄に乗り、中洲川端で地下鉄箱崎線に乗り換え、終点の貝塚にやってきました。ここから西鉄宮地岳線に乗車します。西鉄は大牟田線の特急と廃止直前の北九州市内線(折尾~黒崎)に乗ったことがあるくらいで、宮地岳線は初めての乗車となります。

 貝塚の地下鉄の改札を出ると目の前に宮地岳線の改札がありました。また、貝塚は地下鉄といっても地上に出ており、線路さえつなげば直通運転も可能か(両線とも1067mmゲージのため)と思ったのですが、宮地岳線の電車を見てそれはかなり無理であることがわかりました。

 宮地岳線は2両または3両編成なのですが、車両自体年季が入った車両でした。冷房装置が屋根上に載っていましたが、発車すると吊り掛けサウンドが響くという、マニアにとっては非常にすばらしい車両でした。また、貝塚発車後すぐに車庫が見えたのですが、その陣容を見ると年季入った車両が勢ぞろいしているように見えました。ここまで年季が入った個性派揃いの路線は今まで見たことがありません。

 宮地岳線は帰りの飛行機の時間の都合もあって、途中のJR香椎線との乗換駅である和白まで乗車しました。その和白駅で乗ってきた宮地岳線の車両を撮影しました。

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 2004年11月3日 和白駅で筆者撮影 和白まで乗ってきた電車です。

 和白ではJR香椎線の列車まで時間があったので、待ち時間の間に来た宮地岳線の電車を撮影しました。

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 2枚とも2004年11月3日 和白駅で筆者撮影

 ここにあげた車両だけでも、この線の車両がいかに個性が強いかというのがご理解いただけたかと思います。
 おそらく当初は本線である大牟田線で走っていたのを転用し、さらに改造などが加えられて今日の姿になったと思われます。

 いずれにしましても、今度は時間を掛けて本線でもある天神大牟田線とあわせて訪れて、じっくりと見る必要がありそうです。

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2004.11.03

異郷の地の103系

 今日は、なぜか飛行機に乗る用事を作りまして、福岡にやって来ました。福岡の滞在は約2時間30分ほどで、それこそ何のために行ってきたのかというツッコミはなしということでお願いいたします。

 前置きが長くなりましたが、ここからいつもの鉄道に関する記事になります。

 国鉄時代に標準型通勤車として多数製造された103系は、そのほとんどが首都圏及び関西圏で導入されました。その後名古屋の中央線や仙台の仙石線、JR発足後は岡山・広島といった地域にも進出しましたが、これらのほとんどは転属によって進出したものです。
 ところが、国鉄時代に新製で導入された103系の中で、いきなり九州の地に配属された仲間がいます。それは1500番台を名乗るグループになります。

 この103系1500番台ですが、1980年代の前半時期すでに首都圏では201系にモデルチェンジされていたのにもかかわらず、九州の筑肥線電化のために導入されました。筑肥線は博多から唐津を通り伊万里までを結ぶ路線でしたが、姪浜から唐津までの間のみ電化されるとともに一部新線に切り替えられ、唐津から伊万里までは唐津線と重なって非電化のまま残され、博多~姪浜の間は廃止されました。廃止区間の代替として、福岡市営地下鉄が開業し同線と相互乗り入れが行われることになったため、他の九州各線は交流電化に対して直流で電化されたため、導入されたものです。201系にモデルチェンジされていたのに103系となった理由として、筑肥線内において201系を導入するほどの省エネルギー効果は得られないからとのことです。
 そして今日、103系1500番台は西唐津から姪浜より地下鉄に入り天神・博多を経由して福岡空港まで運行されています。

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2004年11月3日 福岡市営地下鉄空港線 福岡空港駅で筆者撮影 今日は“唐津くんち”のヘッドマーク付き

 この103系1500番台ですが、すでに時代は201系に移行していた時期だけあって、側面は201系から戸袋窓を除いた形、前面も105系に近いものになっています。またJR九州移管後にリニューアルが行われ塗装が変更になったとともに、当初は6両固定だったのが中間で3両ずつに分割できるように先頭車化改造されました。なお、改造の運転台は地上区間専用で、地下鉄線内では先頭に立てないようです。

 また、最近では3両編成になるときの唐津寄り先頭車にトイレの設備が設けられました。
 
Mc1500wc.jpg
トイレ付きに改造された様子
Tc103wc.jpg
車内はこんな感じ

 数多く存在した103系の中でトイレが設けられたのはこの1500番台ぐらいなものであるとともに、地下鉄直通列車でトイレが装備されているのもここだけでしょう。ちなみに6両編成になった場合2箇所あることになります。

 この103系1500番台ですが、乗り入れ先の福岡市営地下鉄ではけっこう厄介ものという話を聞いたことがあります。というのも地下鉄の電車はすでにチョッパ制御であったとともに地下鉄線内ではワンマン運転を行っているのですが、この103系だけはワンマン運転できず車掌が乗っています。また、首都圏では千代田線・東西線とすべて203系やE231系といった省エネ車になっているのもかかわらず、抵抗制御の103系がいまだもって地下鉄の乗入れているという状況になっています。実際に乗車してみますと走行音は間違いなく103系です。この103系を置き換える話はまだ出てはいないと思われます。(注:JR発足後に筑肥線増発用に303系という車両が導入されています)

 と、いうことで、以外にも九州に存在する103系のお話でしたが、九州のJRは特急から普通列車まで、いずれもデザインに優れた魅力あふれる車両が多く走っており、過去にも何度か訪れたことがあります。機会がありましたときに紹介したいと思います。


お断り:今回乗車した福岡市営地下鉄はすべてホームドアが完備されているため、側面の画像はありません。ご了承ください。

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