さよなら 京王帝都電鉄5000系の残党
今日は、京王相模原線若葉台の車両基地で「メモリアル5000系撮影会」が開催されました。
1996年に現役を引退した5000系でしたが、引退後も5125Fの3連がほとんどそのままの姿で事業用として残っていたのですが、この5125Fも引退することとなり、これを記念して開催されました。
今回の撮影会ですが、午前中は事前に申し込んだ方限定でしたが午後からは一般公開となり、大勢の人が訪れました。
展示された5125Fの新宿方5125では、ヘッドマークを時間で区切って取り替えた姿で展示されました。
ハイキング特急「陣馬」
ハイキング特急「高尾」
春・秋の休日に運転されたハイキング特急の京王八王子ゆき「陣馬」と高尾山口ゆき「高尾」、さらに元旦の終夜運転で走った高尾山口ゆき特急「迎光」のヘッドマークが取り付けられました。
5125サイドビュー ヘッドマークは元旦の終夜運転特急「迎光」
今回の展示に際して、下り京王八王子行きで進行方向左側になる側面には、かつての京王の社紋とイニシャル(K.T.R)が復活しました。
なお、2両目と3両目の間はチキを挟んでいたので、ご覧のように貫通路が塞がれています。
京王八王子方先頭5875では、「特急 京王八王子」の表示を出して、主にお子様向けの記念撮影のコーナーになっていました。
さて、今回の展示会にあわせましてパスネットが3種類、他に導入時に作成されたという「しおり」の複製品や写真セット、さらには車掌さんが車内で発売しているパスネットや京王れーるランドで発売しているグッズなども販売していました。
今日は午後3時で終了でしたが、終了直前では5125で「急行 新宿」が再現され、最後には「普通(サボは無地)新宿」が表示されました。このときの案内で「本日はご来場ありがとうございました」という趣旨のほかに「長い間5000系にご愛顧いただきありがとうございました」とも案内していました。
と、いうことで本日の撮影会は盛大に実施されました。引退して事業用として主に深夜に人知れず走っていたはずの5125Fでしたが、唯一京王線に残っていた名車5000系の残党であることから、多く注目されていました。戦後の高度成長時代に華々しく登場し、現在の京王の発展とイメージの形成に貢献した5000系が、これで本当に引退となります。その車両がこれで姿を消すということで、これだけ盛大に撮影会が実施されたということは、いかに京王5000系が今日まで多くの人に名車として親しまれていた、なによりの証といってもいいでしょう。
さて、この5125Fに代わる事業用車が6000系より改造されたのですが、そのいでたちはかなり派手な外観となっています。こちらにその記事がありますので、あわせてご覧ください。
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コメント
改めて写真を拝見すると、端整な顔立ちですね。弟分の6000系の左右アンバランスな顔と比べると一層その優秀さが納得できます。基本形は、国鉄153系タイプですが、貫通路が狭く、その分左右の窓が大きいのが、好印象ですね。同じ低運転台でも、153系の0番台が、やや間の抜けた感じがする(500番台と比べて)のに対し、5000系は精悍ですね。
あと、シンプルながら、上品な塗装も一役買っていると思います。
Primera
投稿: primera | 2004.11.14 23:27
Primeraさん、コメントありがとうございます。
5000系が名車といわれる所以は、登場時の新宿地下線化(地下になる前はなんと甲州街道の上を走っていたという。今では到底考えられません)1500V昇圧そして特急運転開始と、そのデビューが華々しかったとともにそのデザインも、京王線のイメージアップを目指したため、今見ても端整な顔立ちと思えるのは、当時それだけ5000系に期待が大きかったからといえるのではないでしょうか。こうコメントしている自分が記憶に残っている5000系は、各駅停車の運用がほとんどで、優等列車に運用された姿は、まれにしか見れなかった世代であります。
その最後の晴れ姿を見れたとともに、これだけ多くの方が見えたのはまさに人々に愛された名車と言えるでしょう。
投稿: Kaz-T | 2004.11.15 20:36
6000を「新車」と言っていたSATOです。Kaz-Tさんこんにちは。
5000系、改めてみると名車ですね。もう当たり前のように見ていましたし、ライバルの小田急が種別幕を内蔵式にしていて両開きドアというものでしたから何となく野暮ったいイメージで幼少期は見ていました。しかし、ユニット窓といい、パノラミックウインドウといい、今見ても褪せません。
9000が5000のイメージを引き継いだとは言われますが、前面こそなるほどといえますが、側面は失格です。京王にはやはり戸袋窓が似合いますね。
投稿: SATO | 2004.11.15 21:26
SATOさん、コメントありがとうございます。
名車と呼ばれた5000系ですが、やはりそのスタイルの良さから、今日まで多くの人々に愛された車両であると思います。
SATOさんが「新車」と呼んでいた6000系も今では廃車が始まっており、時代は刻一刻と流れています。現代の最新車9000系の前面はまちがいなく5000系のイメージを引き継いだといっても良いでしょう。しかし、側面は今流行の「標準設計」を取り入れたと思われます。これは残念ながら、時代がそのようにさせてしまったのではないかと思います。
投稿: Kaz-T | 2004.11.15 23:46