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2004.11.13

いよいよ終焉へ 京王井の頭線3764F

 10月19日付けの記事のなかで終焉が近づいていると記述しました、京王井の頭線3000系で唯一原型湘南形の前面を持つ第14編成3764Fですが、いよいよ終焉のカウントダウンが始まったようです。1000系の車内LED案内装置・ドアチャイムの取り付け改造がすべて完了し、編成の不足がなくなったことによります。

 今日は急行の運用についていました。京王では廃車が間近になりますと、1日中走り回る運用につく傾向がありまして、今日はまさにその典型的な運用についていました。

 ちなみに本日、偶然にも久我山→吉祥寺で乗車し到着した吉祥寺駅で、制服を着ておそらく乗務員で役職についておられると思われる方が、私と同じように携帯電話で3764Fを撮影していました。
 井の頭線沿線に住み続けた私だけでなく、井の頭線の乗務員さんにとっても3764Fの運用離脱、すなわち終焉は感慨深いものがあるのでしょう。

 関連記事 京王の名車に終焉の時せまる(2004年10月19日)

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 2004年11月13日 久我山で筆者撮影 この姿もまもなく見納めに

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コメント

追伸ですが、今日11月14日も3764Fは急行で1日中運用されていました。
京王線若葉台車両基地で、今日は5000系の撮影会があったのですが、これに合わせるかのように走っていました。
運用離脱も目前であると思われます。

投稿: Kaz-T | 2004.11.14 21:43

残念なお知らせです。本日18時過ぎ1運行最後の吉祥寺行きが到着し、その回送に多数のファンが詰め掛けたというログを読みました。本日を持って運用終了だそうです。

投稿: SATO | 2004.11.14 22:53

はじめまして。
通勤で渋谷-明大前(-京王多摩センター)を利用している者です。14日の仕事帰り18時過ぎに渋谷から、たまたま3764Fに乗りました(SATOさんのコメントにある吉祥寺行き?)。「お、まだ元気に走ってるんだ(^_^;)」とそのときは思ったのですが、あれが最後の運用だったのかもと思うと一層感慨深いです。最後の勇姿を撮っておけば良かったなぁ、と後悔してます。残念。

投稿: すえみつ | 2004.11.15 13:47

 コメントいただきまして、ありがとうございます。

 SATOさん>
 そうですか!昨日が最後だったのですか!
 奇しくも若葉台で5000系のメモリアル撮影会の日が最後だったとは、ある意味このイベントにあわせたといいますか、井の頭線もこれで一つの時代が終わってしまうのは、沿線に住み続けた自分としては、感慨深くも、またさみしくも思います。

 すえみつさん>
 初めまして。当blogにご来場いただき、誠にありがとうございます。
 乗車されたのが最後の3764Fの運用だったというのは、ある意味感慨深いものがあるでしょう。私も、もう終焉が近いとわかりまして、3764Fは何度か撮影しています。先週末の土・日は1日中急行で運用されていたのは、3764Fの最後の花道だったのでしょう。
 ちなみにこの前の日曜日は、若葉台の5000系撮影会に行く途中永福町で3764Fを撮影しました。渋谷行きホームの吉祥寺方端で撮影していたのですが、同じ場所にビデオカメラで撮影していた方がいらっしゃいました。ここで見送った吉祥寺行きの急行が私が見た3764Fの最後の姿になります。
 と、いうことで、このblogは全くと言っていいほど鉄道の話題しかないblogになっています。これからもいろいろと記事を書き込みますので、どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: Kaz-T | 2004.11.15 20:26

すえみつさんはじめまして。SATOです。
私は反対側急行の車内から最後の勇姿を見ました。下北沢で降りれば乗ることもできたのですが、今回は激走を見送る選択をしました。何か感慨深いものがあります。3000はまだ残っているのですがね。

投稿: SATO | 2004.11.15 21:13

先日は、書き込み有り難うございました。
京王談話室に時折投稿しておりま井の頭3714(富士見ヶ丘跨線橋)です。
3014F、今頃どのような姿になっていっるのでしょうね。
近所なのに見に行くことが出来ません。

投稿: 井の頭3714 | 2004.11.18 19:20

井の頭3714さん、当blogにご来場いただきまして、誠にありがとうございます。

私も、見に行くことができないのでどうなってしまっているのか、気になっています。果たして、地方の鉄道で新天地を見つけるのか、それともこのまま解体となってしまうのか、気になります。

さてこのblogは、完全に鉄道の記事しか存在していないblogになっています。これからも、井の頭線の記事についても書き込んでいきますので、よろしくお願いいたします。

投稿: Kaz-T | 2004.11.19 00:24

3714F登場は今でも覚えておりますが、前年に京王線に冷房車が登場したのを指をくわえて見ていた当時の井の頭線ユーザーとして、何ともうれしいものでした。
 あのころの京王帝都ですが、一方でステンプラ3000系の登場に押されてグリーン車が3回にわたって京王線へ転属となり、サブラインの旧型車がメインラインへ玉突き転属という珍しいものでした。
 第一弾が1710で4連+両運デハ、第二弾は1700で4連1本2連2本、第三弾は1800と1400にクハ1200を混ぜた2連4本で、主に1710は5連で本線普通に、1700は4連で本線普通に、1800と1400は高尾線と動物園線という分担でしたが、後に本線普通の6連化で1700の2連口を1710と1700の4連口に併結して6連2本となり、余った1715は主に競馬場線で働く毎日でした。
 ま、話が長くなるのも何ですからこれぐらいにして^_^;、あのころのあれやこれやが懐かしく思い出されます。今は冷房なんてあって当たり前の設備ですが、3714F登場のころは、わざわざ待って狙って乗ったりしてました。その車が引退というのは、時の流れを感じさせます。

投稿: 走ルンです | 2004.11.20 21:02

走ルンですさん、当blogにようこそお越しくださいました。

3764Fが登場した当時の井の頭線ユーザーとのことで、当時のお話をご寄稿くださいましてありがとうございます。この編成が井の頭線の初の冷房車だったということで、わざわざ待って乗ったというところに時代を感じさせます。

さらに3000系の増備によって、在来車が京王線に転出したというのも今では考えられません。走ルンですさんがコメントされている車両についても、1800でしたら中間に封じ込められたのを見たことがあり、またサハで1250というのを見たことがありますが、1400は全く分からず、1700に至っては現代の1000系の吉祥寺方先頭車としか思い浮かびません。いずれにしても自分が井の頭線で走っていたグリーン車と呼ばれた車両で覚えているのは、1900と先代の1000系のいずれも湘南形の前面を持つ車両で、走るのも主に朝のラッシュ帯という末期の時代になります。

井の頭線の思い出も尽きないと思いますが、今では3000系も半数が引退し残っているのは前面が変わってしまった更新車のみになり、1000系が主流になってきています。
3000系で原型を堅持していた3764Fの運用離脱は、井の頭線の1つの時代の終焉をまさに告げたといってもいいように思います。

これからも、沿線に住む者として井の頭線に関する記事も書き込んでいきますので、よろしくお願いいたします。

投稿: Kaz-T | 2004.11.20 23:30

さらに追伸です。

今日、富士見ヶ丘の車両基地を神田川沿いの遊歩道から見たところ、3764Fは編成を解かれていました。また、このうち3114が3773Fの吉祥寺方に連結された状態で留置されていました。おそらく今夜にも回送され、明日朝より永福町から搬出されるようです。
これ以外の車両は、周りは囲まれていたものの奥の方に停まっていたように見えました。

[2004年11月28日追記]
その後、3764Fは永福町で解体されて搬出されてしまったようです。残念ながら井の頭線でその生涯を終えてしまいました。
出典:京王電車の博物館HP http://www.geocities.jp/otokiyojp/

投稿: Kaz-T | 2004.11.21 21:19

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