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2004.11.07

華も嵐も乗り越えて、今日も中央線を201系が行く

 東京の電車で、オレンジ色の電車といいますと「中央線快速」と思い浮かべる方が多いと思われますが、今回はそのお馴染みのオレンジ色の電車のお話です。

 現在、中央線快速を走る電車としてお馴染みのオレンジ色の車両は201系といいます。試作車が1979年に登場しもう四半世紀を迎えます。それまでの抵抗制御から回生ブレーキを搭載したチョッパ制御となり、消費電力の低下を図りました。この時代はオイルショックなどで省エネルギーが叫ばれた時期であり、当時「省エネ電車」として脚光を浴びました。また、前面も実際の窓よりも大きく見せる「ブラックフェイス処理」が行われ、現在の電車のデザインにも繋がる影響を与えたことでも知られています。その後1985年までに、中央線快速はすべて201系に統一されました。
 そして今日でも中央線快速は201系の天下です。

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2004年10月31日 吉祥寺で筆者撮影 ADトレイン仕様

 この201系が登場した時、自分はまだ小学生でした。その当時、高尾山や奥多摩方面に遠足に行ったとき、また学生時代は通学で、そして今日では通勤で毎日乗っている電車であります。

 さて、201系に統一後の中央線快速では、いろいろなことがありました。
 
・高尾からトンネルを越えて大月、そして河口湖まで進出
・国鉄分割民営化・JR東日本発足
・青梅線直通の特別快速(青梅特快)・朝ラッシュ時に通勤特快新設
・東京駅の重層化
・大月駅での列車衝突事故
・相次いだ人身事故・信号トラブルによる輸送混乱
・JR東日本・完全民営化達成
・三鷹~国分寺間高架化に伴う上り線切り替え工事のミスで発生した大幅な輸送混乱

 時代の変革を受け続けた一方で、「中央線は・・・・・・」と世間からは批判を受け、今でも記憶に新しい出来事も多くありました。
 しかしこれらの出来事の中でも、膨大な中央線の輸送需要を支え懸命に走り続けていたのは、まぎれもなくこの201系であります。そして今日も201系はオレンジ色の車体で中央線を走り続けています。

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 2004年10月31日 東京駅で撮影 おなじみ「中央特快」

 登場時は「省エネ車」として一世を風靡したこの201系も、現在では山手線が205系からE231系に置き換えが進み、併走する中央・総武緩行線も209系・E231系に置き換えが完了、南武線や横浜線も205系となるなどステンレス車が主流になり、いつのまにか旧式の車両になってしまいました。
 そんな中で「中央線の201系を置き換える新型車導入」という話が出ているようです。

 この記事を執筆している現在、中央線では三鷹~国分寺間の高架化に伴う下り線の線路切り替え工事が今まさに行われているところです。未来に向けて、中央線も沿線地域も変わろうとしています。
 201系が果たして完成後の高架線を走ることがあるのかはわかりませんが、ブラックフェイスとオレンジ色の車体で中央線快速を走り続けている201系の今の姿を、記憶に留めようではないでしょうか。

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コメント

中央線の201系、私も、この電車で通勤するようになって、まもなく7年になります。

何の変哲も無い、地味な車両と思われがちですが、よく見れば、霜取りパンタのある編成、その霜取りパンタも片方がシングルアームパンタだったり、編成中、2号車だけが違うパンタグラフだったり、色々個性があります。

試作車登場から26年。私が子供の頃から親しんできたオレンジ色の電車も、あと何年中央線を走り続けるのでしょうか。彼等の活躍を最後まで見届けてやりたいです。

投稿: TOMO | 2004.11.07 15:38

僕も、通勤に使い始めたのが、昭和60年ですから、まだ当時は最新鋭だった頃ですよね。

当時としては、一般客にとっても、空気バネのよる良好な乗り心地、冷房装置の出っ張りのない天井、など、目に見えるメリットがあったと思います。

未だに現役バリバリですが、満員時に高速からブレーキをかけると衝動が生ずること(回生失効なのでしょうか)、シートの幅が狭いこと、など古さが目立ってきたことも確かです。でも、加速性能は、最新のE231系とも互角で、当時としては高速側に設定された定格速度が生きていると思います。

Primera

投稿: primera | 2004.11.07 19:40

私にとっては新参者です。中央線は長く101だったので私のとっての代表選手は101になってしまいますね。201はちょうど大学合格の時期で高3だった私に鉄道に全く興味のない友人でさえ「中央線に新車が入った」といって騒いでいましたからね。
それでも地味な部分でモデルチェンジがあったり、総武線に行ってその後京葉線にいったり、武蔵野線に出稼ぎに行ったりと多摩地区では断然の人気者ですね。

投稿: SATO | 2004.11.07 21:52

中央線の101系といえば、昭和50年代央、冷改された編成に乗ったことを良く記憶しています。というのは、冷房を乗せた上、満員だと、加速がのろくなるからです。あと、冷房を乗せたのに、台車のコイルバネは変更されていなかったとみえ、線路の凹凸で簡単に底づきしていました。

なんか老兵の最後のがんばりといった感じでしたね。

Primera

投稿: primera | 2004.11.07 23:23

 コメントいただきましてありがとうございます。

 本日実施された、三鷹~国分寺間の下り線切り替え工事は無事に終了とのことです。昨年の上り線切り替え時は大きなトラブルとなって社会的にも問題になった訳ですが、これでまた1つ未来に向かって進むことになりそうです。

 TOMOさん>
 当blogにようこそおいで下さいました。ご覧いただきまして、ありがとうございます。
 確かにここ数年は大きな変化もなく、特に注目されることも少ない中央線快速の201系ですが、おっしゃるとおりで、パンタグラフの形状や搭載数、また編成も10両固定と4+6に分割できる編成など、趣味的には細かいところで違いがあり、見ていくと意外とバリエーションの多さに驚かされます。毎日乗っている自分でさえ把握しきれていないのが現状です。
 中央線快速の201系がどういう結末を迎えるのか、その日まで私も見届けたいと思っています。

 Primeraさん>
 おっしゃるとおりで、毎日乗っていてもその加速性能は現在の最新型車両と同等であると感じます。とくにその走行音がかなり大きく、加速・減速時に体感的にも十分に感じるところです。やはり古さが出てきてしまったと感じるのは、Primeraさんも私も、また中央線を利用している人も同じであると思います。

 SATOさん>
 私が小学生時代、遠足などで中央線快速に乗ったとき、当時それほど電車に興味のない人でも「省エネ車」というのを知っていて、いかに当時201系が脚光を浴びていたのかを物語っていたように思います。
 その後中央線だけでなく青梅線や五日市線などにも進出、おっしゃるとおりで武蔵野線でも一時走っていたなど、多摩地域の代表的なJRの電車として今日まで親しまれてきました。
 これからもしばらくは、中央線の顔として君臨しつづけることでしょう。

投稿: Kaz-T | 2004.11.07 23:28

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