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2004.10.25

少年時代の憧れの列車

 10月23日土曜日の話になりますが、小田急電鉄海老名車両基地で毎年開催されます「ファミリー鉄道展」に行ってきました。
 このイベントは、例年通り小田急の取り組みや作業用機械の実演、他社を含めたグッズ販売など盛りだくさんの内容になっています。そして、最大の見せ場といえるのが車両の展示です。今年は、まず以下の陣容でした。

narabi.jpg
今回の展示車両 左から総合検測車「テクノインスペクター」・ロマンスカー3100形NSE車(保存車)・ロマンスカー20000形RSE車

 写真中央に懐かしい車両がいるのにご注目ください。1963年にデビューし、1999年まで小田急の看板列車として活躍したロマンスカー3100形NSE車です。
 皆様方も同じ思いがあるでしょうが、私にとってこのロマンスカー3100形NSE車はある意味、少年時代に電車の絵本などで親しんだ小田急ロマンスカーとして真っ先に思い浮かべる車両であり、その当時乗ることに憧れていた車両でした。

NSE.jpg

 保存されている姿は、1999年の最終運行時のままになっています。(ただし編成は短縮されています。)その時私はこの列車に新宿~小田原間を今はなき「さがみ」号(この愛称は今年の12月ダイヤ改正で復活するとのこと)で乗車した、思い出深い車両であります。こうして保存され、このような場で公開されるのはとてもうれしく思います。

 さて、この海老名車両基地には小田急はおろか、日本の鉄道車両の歴史に残る名車が保存されています。会場からは離れたところですが、このイベントと同時に公開されるので見に行かない訳にはいきません。
 その車両はロマンスカー3000形SE車で、もうここで説明するまでもないのですが、1957年にデビューし当時国鉄と共同で行った高速走行試験で145km/hの狭軌世界記録を樹立し、のちの東海道新幹線0系の基礎となった車両です。第1回の鉄道友の会「ブルーリボン賞」受賞車両でありまた、小田急ロマンスカーを世に広く知らしめた車両でもあります。
 同車は引退後、海老名車両基地の専用の庫で保存されています。小田原方にある入り口から入ってみますとまたなつかしい顔が迎えてくれました。

3000SSE.jpg

 自分が現役当時見たことがある3000形SE車といえば、御殿場線直通の「あさぎり」専用であり、ほかには「さがみ」で重連というのを見たくらいでした。むしろ3100形NSE車の陰に隠れてしまったという感じで、実際乗車したのも「あさぎり」で1回だけでした。

 車内を通り新宿方へ行ってみますと、登場時の姿に復元されています。

3000SE.jpg

 この姿を見た時、私は感動しました。その姿は完璧な流線型であるからです。写真でしか見たことがなかった3000形SE車の登場時の姿を見てそう感じた次第です。
 この庫はすでに他の線路とはつながっていないため、3000形SE車は外に出ることはできませんが、こうして見ますと、格納庫に収められた飛行機にも見え、それこそ、当時の箱根路へ颯爽と駆け抜けた姿そのものなのではないでしょうか。また登場時、その姿を見て沿線の方々から驚きと歓声が上がったことでしょう。

 現在の小田急ロマンスカーのイメージを決定付けたこの両車、すでに引退して随分と時が経過しているのですが、それでも多く人が見に訪れたということは、今でも根強い人気の車両であることに間違いありません。

 その後、小田急ロマンスカーは7000形LSE車・10000形HiSE車・20000形RSE車・30000形EXEと製造され、来年には50000形という新型が登場すると報じられています。いつの時代も「乗ってみたくなる憧れの列車」として、小田急ロマンスカーがこれからも走り続けることを期待するのは、私だけではないでしょう。

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コメント

SE,HSEとも名車ですね。SEのオリジナル・フェイス、良いですね。新幹線の前身の弾丸列車でも完成予想図がこんな形の流線型をしていましたね。ヘッドマークが「乙女」となっていますが、デビュー当時、そういう愛称が付いていたのでしょうか。

HSE、写真ではよく見ました。今でも通用するデザインですね。

Primera

投稿: primera | 2004.10.25 20:04

こんにちは。大学が生田でしたのでSEは見ることも乗ることもありました。
おっしゃるようにSEはさがみの運用が多かったようです。一部えのしまでも見ました。高架など全く姿もなかったころの経堂の側線によく止まっていました。
さがみは向ヶ丘遊園に止まりました。府中に変えるのによく新宿を回って帰ったものですからその時にSEに乗りました。

乙女はおそらく「乙女峠」から愛称を取ったのでしょうね。御殿場線に直通していた気動車急行は「芙蓉」でしたから小田急のネーミングトレインの初期は漢字二文字なのかもしれませんね。

投稿: SATO | 2004.10.25 22:18

 Primeraさん、SATOさん、いつもコメントをありがとうございます。

 Primeraさん>
 おっしゃるとおりで、この両車は名車であります。たしかに今見ても十分通用するデザインといっても、決して過言ではないでしょう。
 今回のイベントは一応家族向けのイベントであり、小さなお子さんを連れた家族連れも多く見かけました。また、小学生から中学生くらいの方も多く見かけました。この年代の方々にとってはおそらく、特に3000形SE車の現役時代を見たという記憶はほとんどない世代ではないかと感じます。過去に活躍した名車を保存し、伝えることに意義があることを改めて感じた次第です。

 SATOさん>
 このSE車原型についているヘッドマークの愛称の由来に付いて、ご教示ありがとうございます。自分も小田急の特急列車の愛称について過去のものは把握できないのが現実です。原型のSE車が活躍した時代の愛称は、いずれも箱根の地名などにちなんで1本ごとに異なっていたという話も聞いたことがあります。そういう意味で、現在の特急ロマンスカーの愛称に使われている「サポート」という名はいまいちそぐわないといった感じで、結局12月のダイヤ改正で「さがみ」に戻されるというのは、納得できます。
 しかし、SE車の「さがみ」をよく利用されたとは、ある意味羨ましいです。

投稿: Kaz-T | 2004.10.25 23:26

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