京王の名車に終焉の時せまる
ダイヤ改正など、最近関東のJR・私鉄ともども話題が豊富なのですが、地元・井の頭線をはじめ京王電鉄では、現在活躍中の車両の基礎を築いたともいえる名車に、終焉の時が刻一刻と近づいています。
まずは、京王線から。
京王線の名車といえば、1996年に現役を引退した5000系をおいて他ならないのですが、引退後も事業用として5125Fの3連が中間にチキを2両挟んだ以外ほとんどそのままの姿で残っていたのは、結構知られたところであると思われます。
しかし、ここまで残っていた5125Fにもついに終焉の時がきました。
京王電鉄ホームページによりますと、11月14日に引退を記念して撮影会を実施するという記事が掲載されています。記事によりますと、営業車時代の姿に復元しヘッドマークの取り付けもあるとのことです。また撮影会後は解体とのことですので、今日まで名車の姿を伝え、パスネットにも何度か登場した5125Fの最後の晴れ姿となるようです。
営業車時代の5125Fの京王八王子方先頭車5875
1994年秋・高幡不動にて筆者撮影・なおこの編成は事業用車に改造後もしばらくは側面に京王の旧社紋が残っていた。
撮影会の日はこのような姿が再現されるのだろうか?
2003年3月 京王八王子駅で発売されたパスネット(筆者所蔵)
さて、次に井の頭線に目を移しますと、3000系で唯一湘南形の原型スタイルを堅持している3764Fに終焉の時が近づいてきました。
現在、井の頭線では1000系が過半数を占めるまでになり、3000系の原型スタイル車は消滅の予定であったのですが、1000系のうち1751F~60Fの10編成について車内にLED案内装置およびドアチャイムを設置する改造が行われることになったため、3764Fが今日まで残存していました。しかし、ほぼ月に2編成のペースで進んでいた1000系の改造もあと1編成のみとなり、これが出場しますと3764F は終焉の時となります。
なお、3000系もまだ半数は在籍しているのですが、1995年ごろからリニューアルが実施され前面がパノラミックウィンドウタイプになりデザインが変わってしまい、原型を留めているのはこの3764Fただ1編成のみとなっています。
3764F吉祥寺方先頭車3714 吉祥寺にて 2004年10月3日 筆者撮影
さて、この3764Fですが、現在では唯一湘南形の原型スタイルを堅持しているだけでなく、3000系の中でも特徴を持った編成です。それは、屋根上に搭載された冷房装置の形式にあります。
3764Fは1969年に井の頭線初の冷房車として入線し、分散形クーラーを1車両あたり6機搭載しています。初期の冷房車ということで、結構強力な冷房で特に暑い日が続いた今年の夏にはその威力を改めて思い知ったしだいです。ちょうど同じ時期に京王線に入線した5000系にも同形態のクーラー搭載車がありました。5000系全盛の時代を知る方にとっては、真っ先に思い浮かべる冷房装置の形なのではないでしょうか?
2004年10月3日 吉祥寺にて撮影 屋根上の冷房装置にご注目を
井の頭線でこの形態の冷房装置はこの3764Fと、今年3月で廃車になった3765Fの2編成のみ存在していました。なお、この編成の渋谷方から2両目3114は、1973年に5連化のため増結された車両であるため、集中形クーラーを搭載しています。
5000系と3000系、いずれも1960年代の高度成長期に登場し、今日の京王の発展とそのイメージの形成に大いに貢献した車両で、現在増備されている京王線9000系・井の頭線1000系にもそのイメージが残されています。
5125Fと3764Fの終焉は一時代の終わりを告げるものではありますが、残された日をまた最後の晴れの姿を見守ろうではないでしょうか。
本記事の執筆に際しまして、鉄道図書刊行会刊「鉄道ピクトリアル 2003年7月号 京王電鉄特集号」を参照しました。
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コメント
はじめまして 素晴らしい写真の数々とコメント拝読し
一時昔のことを思い出しました。
1945年ごろ井の頭線で永福町より井の頭公園駅まで通学で利用しておりましたが 当時は空襲で帝都線の車両はすべて焼け永福町の車庫(現在のバスターミナル)には焼けた電車が何十両もとまっておりました。これを少しづつ修理して使えるようにするのは大変なことだったと思います。それでも間に合わず小田急や青梅線の車両を借りて走らせていました。青梅線の木造のボギー車は走行中車体が歪み今にもバラバラになるのではないかと恐ろしかった記憶があります。当時私は小学生でした。小田急の車両は運転席は片側で反対側は窓を開けると前方のパノラマを楽しむことが出来ました。いまでは全て懐かしい思い出です。どうぞこれからも私鉄の写真ゃ記事ご紹介くださいませ。楽しみにしております------
投稿: tsna | 2004.10.19 22:52
5000系は、今みても優雅さが漂う繊細なデザインですね。僕の5000系にまつわる思い出は、沿線の動物園に親に連れられていったとき、優雅なスタイルに似合わないつりかけサウンドが響いたその違和感です。当時つりかけが嫌いだったので、30年以上前のことを鮮明に覚えている次第です。そんな改造車(?)って、ありましたっけ。
Primera
投稿: primera | 2004.10.20 04:01
tsnaさん、Primeraさん、コメントありがとうございます。
tsnaさん>
初めまして。当blogにご来場いただきまして、誠にありがとうございます。また、貴重な体験話をご寄稿くださいまして、重ねて感謝いたします。
1945年頃といいますと、私の親でさえ生まれてまもない時代であります。もちろん私自身も戦災復旧車というのは各鉄道雑誌等の写真(昨年の井の頭線開業70周年記念のシリーズパスネットにも登場していた)でしか見たことがなく、青梅線からの車両が応援に来たという話も「鉄道ピクトリアル誌の京王特集号」で文献として知ったぐらいで果たしてどんな車両だったのか、写真などがどこかに出ているのかもしれませんが、木造で走行中に車体が歪んでバラバラになるのではとお感じになられたほど、とんでもない車両だったのですね。といっても戦後の混乱期で大多数の車両が戦災で焼けてしまった中、とにかく動かせる車両を各地から集めてさらに焼けてしまった車両をとにかく直して混乱を乗り切った、ということなのでしょう。
今の世の中では到底考えられないことですが、自分の趣味に没頭できblogで自由に発言・コメントができるのも平和の時代だからできること、もちろん鉄道趣味も同じことが言えるのではないかと感じます。
鉄道のことしかないblogですが、これからもいろいろと書き込んでいきますので、よろしくお願いいたします。
Primeraさん>
5000系の吊り掛け車は初期車編成の2連で存在していました。5101F~5112Fが該当します。緑色の車体をもつ2700系からモーター類を流用して新造されました。
5000系の吊り掛け車を含む初期車編成は、自分の記憶では新宿方から2+4で各駅停車で運用されていました。よって、新宿方では吊り掛けのサウンドが鳴っていました。また、初期車編成は最後まで冷房化されなかったので、特に夏場はあんまり乗りたくなかったものでした。
この吊り掛け車は各駅停車の長編成化により、5000系の中でも事故を除くと真っ先に廃車になり、1989年にすべて消滅しています。ちなみに吊り掛け車消滅の際に「さよなら吊り掛け電車」ということでおわかれ運転も行われたそうです。
しかし、いずれにしても今となっては良い思い出です。
(Primeraさんへのコメントは、交友社刊「鉄道ファン1995年4月号」を参照しました。)
投稿: Kaz-T | 2004.10.20 23:52
Kaz-Tさん、お手を煩わして、恐縮です。2連だったのですね。1989年まで京王でつりかけサウンドが聞けたというのも隔世の感がありますね。
そういえば、川越線を走っていた(いる?でしたっけ)103系3000番台は、72系の足回りと103系の車体を合体したのが始まりでしたね。そこまではわかるのですが、わざわざ103系の足回りの改装するなんて、器用ですね。
Primera
投稿: primera | 2004.10.21 22:33
こんばんは。その釣り掛け5000に死ぬほど乗ったSATOです。
古い京王の話ならできますよ。Kaz-Tさんがお話されたように2700からモーターをもらってできたのが5100系(登場時は5070系)です。当初は2700と2+2の併結もしていたようです。モーターを出した2700はサハに改造されて編成に組み込まれました。
13Fからはカルダンに成長しますが15Fまでの3本は5100の側だけ長い間非冷房が続きました。6000の数が揃った頃突然冷房化されました。この15Fも含めた4連口や井の頭線に残る分散集中の混成編成の集中側にはベンチレーターが残っていました。後年改造のものはその部分がすっきりしています。今ですと富士急行に移籍したものがこの後期に改造を受けた5000です。
投稿: SATO | 2004.10.22 03:20
Primeraさん、SATOさん、いつもコメントをありがとうございます。
Primeraさん>
コメントに登場しています103系3000番代ですが、現在も走っています。本日の記事で書かせていただきましたので、いつもながらの文章ですが、どうぞご笑覧ください。
SATOさん>
コメントをお待ちしておりました。
自分は手元にある雑誌などの資料を基に記述していたのですが、5000系全盛の時代を実際にご覧になっていたSATOさんのコメントに感謝します。
ちなみに富士急に渡った5000系にも乗ったことがあります。ブルーの車体に白のストライプ・そして富士山のシルエットを描いた特徴ある外観ですね。中央線で大月を通るとき、また中央自動車道で富士吉田方向へ走るときに見える元京王5000系を見ると、ちゃんとかの地で活躍しているんだということを実感するとともに安心します。
何かの機会がありましたら、地方に行った元京王車の記事も書いてみようと思っています。
今後とも、よろしくお願いいたします。
投稿: Kaz-T | 2004.10.22 23:03