カテゴリー「特集:千葉急行電鉄の顛末」の4件の記事

2017.04.03

0881.【京成】京成電鉄千原線 記念入場券

1992年に大森台、1995年にちはら台まで開通した千葉急行線、その顛末です。
 
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 名称   :京成電鉄千原線 記念入場券
 発行社局:京成電鉄
 発売日  :1998年10月1日
 値段   :900円
 購入箇所:京成上野駅
 シリアルNo.:0107
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千葉・市原ニュータウンのアクセス路線を運営するために設立された千葉急行電鉄、ちはら台までの開業が大幅に時間を要したことから、この間で時代は大きく変わってしまいました。低成長の時代となり沿線の人口は思うように増えず、そのため利用客も当初予測を大幅に下回ってしまったという状況で、その収支は債務超過という状況にまで陥りました。
そして千葉急行電鉄はついに経営が破たん、資産を譲渡したのち会社解散という手続きを執ることになりました。大森台開業から6年半、ちはら台開業から3年半が過ぎた1998年10月、千葉急行電鉄が運営していた千葉中央~ちはら台間は、1998年10月1日より京成電鉄がその運営を引き継ぐことになり、この日から千葉急行線は京成千原線となりました。
 
千葉急行線を引き継ぐことになり発売されました記念きっぷになります。表紙はちはら台行きの3500形更新車、中を開きますと、歴代の千葉急行電鉄の車両があしらわれ、大森台開業時の1000形、ちはら台開業時の3050形、それ以降も3050形の置き換えで、京成から3100形・3150形を譲り受け外装も京成一般車の配色の赤と青を入れ替えたものに変更して運転されたことが載っており、千葉急行電鉄から京成電鉄の駅となった5駅の硬券入場券がセットされています。
 
千葉急行線の大森台開業から25年、ちはら台開業からも22年、そして京成電鉄に移管し千原線となってから本年10月で19年という年月が流れました。もう千葉急行電鉄や千葉急行線という会社名や線名について、忘れ去られてしまっているのかもしれません。時代の波に押され、開業からわずか6年半で消滅した鉄道会社があったことは、その顛末も含めて語り継いでいく必要があるのではと思うところであります。

0880.【千葉急行】千葉急行線 大森台⇔ちはら台 開業記念乗車券

1992年にまずは大森台までが開業した千葉急行線、それから3年が過ぎた1995年、ようやく当初予定した第一期区間が全線開通することになりました。
 
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 名称   :千葉急行線 大森台⇔ちはら台 開業記念乗車券
 発行社局:千葉急行電鉄
 発売日  :1995年4月1日
 値段   :1,000円
 購入箇所:おゆみ野駅
 シリアルNo.:0711
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大森台から千葉・市原ニュータウンの中心地となるちはら台まで開通した千葉急行線、この時点で1000形は引退し、代わって京成電鉄から3050形(先代)を譲り受け、外装を青と白帯に変更して運用に就いており、私もこの区間開業日にヘッドマークを着けた千葉急行電鉄3050形に乗車することができました。終点のちはら台まで乗車したのですが、この時点でこの記念きっぷはちはら台では完売であったのですが、一駅戻ったおゆみ野ではまだ発売しており入手することができました。
 
なお、ちはら台ではこの開業記念乗車券は売り切れておりましたが、この時千葉急行線全線1日フリーきっぷの発売もありました。
 
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 名称   :開業記念 1日乗車券
 発行社局:千葉急行電鉄
 発売日  :1995年4月1日
 値段   :500円
 購入箇所:ちはら台駅
 シリアルNo.:2722
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ようやくちはら台まで開通した千葉急行線、しかし線路は複線の路盤こそ用意されているものの単線での開通であり、駅の設備もどこか簡素化している部分が見受けられました。同じ日に開業した北総・公団線の千葉ニュータウン中央~印西牧の原を乗車してから、千葉急行線のちはら台にやってきたことからなおさらそのように感じました。
 
ちはら台まで開通した千葉急行線、この先の行く末に、一抹の不安をそのとき感じた開業でありました。

0879.【京成】千葉急行線相互乗り入れ開始記念乗車券

1992年4月1日に開業した千葉急行線は、その日から京成電鉄と相互乗り入れを開始しています。京成電鉄においても、記念乗車券が発売されました。
 
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 名称   :千葉急行線相互乗り入れ開始記念乗車券
 発行社局:京成電鉄
 発売日  :1992年4月1日
 値段   :500円
 購入箇所:千葉中央駅
 シリアルNo.:01917
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千葉急行線と相互乗り入れを開始したことを記念して、京成電鉄で発売された記念乗車券になります。この時代はすでに3700形は登場していましたが、まだ8両編成のみで千葉急行線に接続する千葉線に入線することができなかったことから、3600形があしらわれています。この時代はまだ赤帯のみになります。塩ビ製の化粧ケースに短冊型の乗車券3枚がセットされており、桜と路線図、千葉県の花「菜の花」と千葉寺駅イラスト、千葉市の花「きょうちくとう」と大森台駅イラストがあしらわれています。千葉急行線に早速乗車しましたが、千葉急行電鉄の車両は1編成のみであったため乗車したのは京成の車両であったと記憶しています。
 
この時は相互乗り入れ開始として、千葉急行線の開業を祝った京成電鉄になります。

0878.【千葉急行】'92千葉急行線開業記念乗車券

今から四半世紀前に開業した路線の記念きっぷになります。
 
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 名称   :'92千葉急行線開業記念乗車券
 発行社局:千葉急行電鉄
 発売日  :1992年4月1日
 値段   :550円
 購入箇所:千葉中央駅(特設カウンター)
 シリアルNo.:0418
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1992年4月1日、京成千葉線の終点千葉中央から千葉急行線が大森台まで開業、途中に千葉寺駅が開設されました。開業を記念して発売されました記念乗車券になります。
開業当日に早速乗車して、戻ってきた千葉中央駅にて設けられていた特設カウンターで購入した記憶があります。
 
硬券3枚が千葉急行電鉄の車両をあしらった台紙にセットされています。その台紙には青に白帯の京急(旧)1000形があしらわれていますが、実際にこのような車両が千葉急行線開業時に用意されました。京急から京成にリースされていた車両を千葉急行電鉄の車両にしたようです。
 
この路線は千葉・市原ニュータウンのアクセスとして千原台までを第一期区間として、その後は小湊鐵道の海士有木を目指す路線で、早い時期に建設が行われていたものの工事が進まず、ようやく1992年に途中の大森台までが開通したという状況でありました。複線分の路盤が用意されていましたが、単線での開通となりました。
 
この路線の開業から、もう四半世紀という時が流れました。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

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    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

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    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

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    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

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    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。