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2025.10.12

1613.【銚子電鉄】22000形電車 観光列車次郎右衛門デビュー記念乗車券

関東東端の「崖っぷち」路線において、本年4月より観光列車がデビューしています。その記念乗車券が発売されました。

 

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 名称   :22000形電車 観光列車次郎右衛門デビュー記念乗車券
 発行社局:銚子電気鉄道
 発売日  :2025年10月--日
 値段   :2,000円
 購入個所:第32回鉄道フェスティバル会場(お台場イーストプロムナード)
 シリアルNo.:0052
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銚子電鉄では、本年2025年4月より新型車両22000形の第2編成がデビューしています。南海電鉄2200系を譲り受け改造のうえ銚子電鉄に入線し運行を開始しました。運行開始から約半年過ぎて発売されました記念乗車券になります。南海から銚子へ改造の様子と車内の様子をあしらった台紙に、銚子電鉄の1日乗車券(弧廻手形ではない)と硬券乗車券合せて4枚がセットされました。

 

今回入線した22000形は南海時代は、登場時22005-22006として登場、高野線で難波から高野山への急行列車として活躍後、1994年頃より更新により2200系2201-2251に改番され高野線で引き続き運転されていたものの、やがて支線系統に転用されましたが2024年で南海からは引退し、銚子電鉄にやってきました。

銚子電鉄ではこの編成は観光列車として整備することになり、その資金をクラウドファンディングで調達しました。外装は南海での引退時のグレーに青と黄色のラインを堅持していますが、車内は一部ボックス席を設けるなど観光列車を意識したものになっています。そして車号も南海でのデビュー時と同じ22005-22006となっています。

銚子22005-22006編成は運行開始にあたり「次郎右衛門」と名付けられました。愛称の由来は銚子の偉人である「﨑山次郎右衛門」から命名されました。﨑山次郎右衛門は、江戸時代前期の紀州の漁師であったのですが、紀州で漁業を営んでいるときに遭難したところ銚子の人々に助けられました。その恩返しとして、銚子に移り住み「イワシ漁」を始めるとともに故郷の紀州からおよそ140人の漁師を銚子に呼び寄せ、銚子の地で漁業技術の伝承と外川に代表される漁港の建設に尽力しました。今日の漁師街銚子の発展に尽くした人物として、外川駅近くの神社にその功績を伝える碑が建立されています。奇しくもこのほど銚子電鉄にやってきた22000形は、もとは大阪・難波から紀州和歌山・高野山を結んでいた南海電鉄からの譲渡車両です。銚子の発展に尽力した紀州からやってきた偉人の名を冠した観光列車として銚子での活躍が始まっています。

 

第2編成目の22000形がデビューした銚子電鉄、この編成導入により銚子電鉄は再び4編成体制となり、運行の安定性が向上しました。そしてこの編成運行開始に合わせて、銚子電鉄は「犬吠崖っぷちライン」という愛称を命名して、案内するようになりました。

 

関東東端の小さな鉄道、これまで幾度も廃線の危機が訪れながらも乗り越えてきた銚子電鉄、多くの話題を提供し集客に努めています。その路線で運転を開始した22000形第2編成となる観光列車次郎右衛門、これからの活躍を祈念したいと思います。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

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    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

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    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

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    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

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    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。