« 【開設10周年コラム_1 特別編】記念きっぷ類が発売される事由 特別編 奉祝 皇室慶事記念 | トップページ | 1600.【秩父鉄道】三岐鉄道カラー電気機関車デビュー記念乗車券 »

2025.06.23

【開設10周年コラム_2】記念きっぷ類のこれから

開設10周年を迎える弊ブログ、記念きっぷ類に関するコラム記事を連載しております。前回は記念きっぷ類が発売される事由について掲載いたしましたが、この記事では、今後記念きっぷ類はどうなるのかについて、自分の私的な見解となりますが、述べていきたいと思います。

 

まず結論から先に申しますと、今後廃れる方向に進んでいくであろう、と思われます。

 

その理由としましては、記念きっぷ類発売に際しての人員の手配が今後難しくなっていく、と思われるからになります。

 

昨今の働き手不足の波は、鉄道業界においても例外ではないと感じます。いわゆるコロナからの回復があるとはいえ、コロナ前までの需要には完全に戻りきらないという状況もある中、少子高齢化といった流れの中でかつ、働き方改革といった時代の波が鉄道業界にも押し寄せてきており、職員の確保が難しくなってきている実情があるのではないかと考えます。すでにJRにおいては窓口を閉鎖・削減は進んでおり、私鉄においても遠隔システム導入などで無人化が行われている実情もあります。

人が減ってきている中において、また窓口のみならず特設発売所を設ける方法において、それに向けられる労力の余裕はなくなってきているというのが実情ではないかと思います。(特設発売所を設ける方法の場合、販売する職員の他列を整理する方や案内する人も必要となるため、さらに多くの人手が必要で、場合によっては他駅・他部署からの応援も必要になるのではと思われます。)
 

また、昨今の乗車券システムの進化により自動改札機・自動券売機や指定席券売機などの機械化やICカードが普及し、今後は磁気券は廃止し二次元バーコードによる券やWebチケット、さらには一部私鉄において導入が始まっているクレジットカードによるタッチ決済による乗車サービスも始まっています。これら導入により駅も大きく変わり、一方でこれら売り上げなどのデーターもオンラインで即座にサーバーなどに記録されるシステムが導入されてきており、今後鉄道でもキャッシュレス・チケットレスという方向に進んでいくことは間違いないかと思います。そんな中で昨今ではWeb販売も導入されてきてはいますが、実質手売り・現金払いによる旧態の販売方法となる記念きっぷ類が、今の件数で推移していくとは思えません。

記念きっぷとは言いましても、実際は有価証券の扱いであり在庫管理は厳重に行われていると思われ、販売後の売り上げの現金の処理等も含めますと、今後積極的に記念きっぷ類を発売していくのかという点に疑問を感じます。

 

以上の点から「記念きっぷ類は部数を多く売ればそれだけ収入になる」という考えは昔の職員が多くいた国鉄時代の話で、今の時代では発売してもその分の労力で費やしてしまい収入増には結びつきにくい、ということが言えるのではないかと思います。

 

ところで、JR東日本では先日のリリースで「これまでの支社制から細分化して営業本部制として、さらにきめ細かく地域に密着し即応できる体制にする」旨の発表がありました。営業本部制になることで、小回りが利くようになって記念きっぷ類の発売件数が増えるのでは、ということも考えられなくはないのかもしれません。しかし、先に記述した内容と合わせて以下に記述する理由から、その可能性は低いと考えます。

 

記念きっぷ類の発売が廃れるという方向に向かうと述べましたが、記念きっぷ類に代わるものとして近年いろいろなグッズが発売されるようになりました。代表的なものとしては「クリアファイル」や「アクリルスタンド」「タオルハンカチ」、さらには昔からある「キーホルダー」や「筆記具」「ステッカー」などといったものがあげられます。また、沿線地域とコラボレーションしたオリジナルの名産品なども最近増えてきています。これらグッズは今ではコンビニエンスストアとなった駅構内の店舗で発売されることが多くあり、今後もこの傾向は強まると思われます。

この流れで記念きっぷが残るとした場合、それはきっぷの形をしたグッズとして乗車券等の効力を持たない「記念券」というものになるかと思われます。いずれにしても、必ず駅で発売しなければならないものではない、というものに変わっていくのではないかと思います。

 

いかがだったでしょうか。

蒐集鉄という趣味の自分が、記念きっぷ類の未来を考えた結果「廃れる方向」と結論付けてしまうのは、身も蓋もないことであると思います。しかし、鉄道に限らず今後未来を予測した場合、このような結論になるのではないかと感じます。

間もなく、弊ブログは開設10周年を迎えます。自分も遂にアラフィフを超えてしまいました。今後も自分が続く限り、蒐集鉄として記念きっぷ類を買い求めることは続くことになると思います。鉄道が歩んできて迎えた今日と「明日のDESIGN。」へ、記念きっぷ類でつなぐ弊ブログを今後もよろしくお願いいたします。

 

※本記事記載の内容は、あくまで私Kaz-Tの個人的な見解であることに御留意をお願いいたします。

« 【開設10周年コラム_1 特別編】記念きっぷ類が発売される事由 特別編 奉祝 皇室慶事記念 | トップページ | 1600.【秩父鉄道】三岐鉄道カラー電気機関車デビュー記念乗車券 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 【開設10周年コラム_1 特別編】記念きっぷ類が発売される事由 特別編 奉祝 皇室慶事記念 | トップページ | 1600.【秩父鉄道】三岐鉄道カラー電気機関車デビュー記念乗車券 »

カテゴリー

2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

  • 2010101700
    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

  • Img_0527
    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

  • 2005032101
    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。