« 1594.【北陸鉄道】石川線開業110周年記念乗車券 | トップページ | 1596.【北陸鉄道】浅野川線8000系引退記念乗車券 »

2025.05.17

1595.【北陸鉄道】浅野川線開業100周年記念乗車券

この路線の終点付近にはかつて、多くの来園者を集め賑わった遊園地があったといいます。開業から100周年の佳節を迎えました。

 

=======================
 名称   :浅野川線開業100周年記念乗車券
 発行社局:北陸鉄道
 発売日  :2025年5月12日(一般発売)
 値段   :2,000円
 購入箇所:北陸鉄道Webサイト(Web販売)
 シリアルNo.:0289
=======================

 

Img_3973

 

Img_3974

 

Img_3975

 

北陸新幹線金沢駅の兼六園口地下から海沿いの内灘を結ぶ北陸鉄道浅野川線は、本年2025年で開業から100周年を迎えました。100周年を迎えて発売されました記念乗車券で、浅野川線歴代車両をあしらったD型硬券乗車券4枚が浅野川線の歴史をつづった写真などをあしらった台紙にセットされており、さらに浅野川線沿線にかつてあった粟崎遊園の入園券とセットになった往復乗車券の復刻券もセットされています。この記念乗車券は2025年5月11日に内灘駅構内で開催された「あさでんまつり」会場で先の石川線開業110周年記念乗車券等と合わせて先行発売されたのち、翌日から北陸鉄道有人駅と合わせてWeb発売が開始されました。

 

北陸鉄道浅野川線は今から100年前の1925年に浅野川電気鉄道により七ツ屋~新須崎(蚊爪~粟ヶ崎間大野川橋梁の手前付近にあった駅で1961年に廃止)間の開業から始まり、翌1926年に金沢駅前(現:北鉄金沢)~七ツ屋間が開業しています。

浅野川電気鉄道が開業した1925年、大野川を渡った粟崎の地に大規模な遊園地が開園しました。粟崎遊園と呼ばれた遊園地で遊戯施設や動物園・食堂・大浴場に大劇場などがありこの劇場を拠点する少女歌劇団の結成もあり、「北陸の宝塚」とも呼ばれ多くの人々が訪れ大盛況であったとのことです。浅野川電気鉄道の開業は、この遊園地へのアクセスという目的がありました。粟崎遊園は大盛況であったため1929年に新須崎から大野川に橋を架け、粟ヶ崎遊園前(現:内灘)を経由して粟ヶ崎海岸まで延伸、粟崎遊園への利便性向上が図られ遊園地へさらに夏季は海水浴客を乗せて大盛況で運転されていたとのことで、戦前の華やかしき時代であったことが伺えます。しかし戦争の足音がこの路線に影を落とします。粟崎遊園は1941年に閉園となり、跡地は軍関係の施設となって戦後は再開することなく姿を消しました。浅野川電気鉄道も1945年北陸鉄道に合併となり北陸鉄道浅野川線となりました。

戦後は、戦時中廃止していた粟ヶ崎遊園前~粟ヶ崎海岸間の再開業がありましたが、金沢から内灘を結ぶ路線として運行されることになります。1960年に粟ヶ崎遊園前駅を移転して内灘駅と改称、その後1974年に内灘~粟ヶ崎海岸間は廃止となりました。

1990年代に入りますと金沢駅前の再開発・再整備という流れが生じ浅野川線もその影響を受けることになりました。1996年に浅野川線は架線電圧を600Vから1500Vに昇圧、これに合わせて京王井の頭線で運行されていた3000系を譲受し8000系として運行を開始、都市型車両としてワンマン運転を開始しました。2001年になりますと北鉄金沢駅は地下に移転となり北陸地方において初の地下駅となりました。その後8000系で運転されてきた浅野川線でしたが、車両が老朽化したこともあり2020年に東京メトロ日比谷線で運行されていた03系を譲受し東京メトロ時代と同じ形式・車号で03系として運行を開始、2023年までに全5編成が揃いました。これにより8000系が間もなく終焉を迎えます。

 

開業から100周年を迎えた北陸鉄道浅野川線、沿線にあった遊園地への乗客を乗せて運転された戦前の華やかしき時代、戦後は地域の足として運転されてきました。2024年元旦、石川県能登地方を震源とする大地震が発生しました。北陸鉄道においては石川線・浅野川線とも数日間の運休ののち運転を再開しています。しかし浅野川線が結ぶ内灘町は地域によっては液状化により家屋の損壊や道路の寸断などといった大きな被害が発生し、今まさに復興に向けた取り組みが始まったところであるかと思います。

 

歴史を重ねてきた北陸鉄道浅野川線、100周年の佳節となります。

« 1594.【北陸鉄道】石川線開業110周年記念乗車券 | トップページ | 1596.【北陸鉄道】浅野川線8000系引退記念乗車券 »

発行社局:北陸鉄道」カテゴリの記事

西暦2025年(令和7年)発売」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 1594.【北陸鉄道】石川線開業110周年記念乗車券 | トップページ | 1596.【北陸鉄道】浅野川線8000系引退記念乗車券 »

カテゴリー

Googleで検索




  • 弊ブログ内検索
    ウェブ全体から検索


    Powered by Google

2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

  • 2010101700
    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

  • Img_0527
    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

  • 2005032101
    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。