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2025.05.25

1597.【西武】サステナ車両8000系デビュー記念乗車券

西武グループの「持続可能な開発目標」達成に向けた車両がデビューを迎えます。

 

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 名称   :サステナ車両8000系デビュー記念乗車券
 発行社局:西武鉄道
 発売日  :2025年5月31日(先行発売2025年5月25日)
 値段   :2,000円
 購入箇所:新所沢駅先行発売特設ブース
 シリアルNo.:00169
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西武鉄道でこのほど登場する車両は8000系で「サステナ車両」として、2025年5月31日より国分寺線で運転を開始します。この記念乗車券は8000系のプロフィール等をあしらった台紙に、磁気カードタイプの西武全線(除く多摩川線)の大人用1日フリー乗車券2枚がセットされています。運行開始を前にした2025年5月25日に新所沢駅に設けられた特設ブースにて先行発売後、2025年5月31日より西武新宿・国分寺・小川・東村山の各駅で発売されることになっています。自分は先行発売の新所沢駅で入手しました。

 

2015年9月、国連にて採択された「持続可能な開発目標 Sustainable Development Goals」は略して「SDGs」と呼ばれ、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された国際目標として、「地球上の誰一人として取り残さない」ことを理念とし、人類、地球およびそれらの繁栄のために設定された行動計画であり、17のゴールと169のターゲットで構成されています。世界各国・企業・団体等で広く取り組まれており、西武グループにおいても「サステナビリティアクション」が制定され、「脱炭素・資源有効活用」「安全・安心なサービスの提供」など6つの重要テーマに取り組むことが掲げられており、西武鉄道においては省エネルギー車両への更新等を進めるとされております。

 

さて、省エネルギー車両への更新という項目において、今回導入されたのが8000系です。西武鉄道においては省エネルギー車両への更新を早期に進めるため、新造車両に限らず「サステナ車両」として、他社からVVVFインバータ制御車等を譲渡車両として導入することになりました。2022年度の決算概況報告に初めてその旨が記載され、2023年9月にサステナ車両として導入されるのは小田急8000形と東急9000系であることが公表され、まず小田急8000形がサステナ車両として譲渡を受け導入することとなりました。

2024年4月に1編成目となる小田急8000形が西武鉄道に運ばれ、西武仕様とする改造が行われたのち試運転が行われました。外観は西武カラーの青から緑へのグラデーションを市松模様にアレンジしたものとなり、このデザインは西武鉄道社内での公募により選定されたとのことです。8000系デビューまでの軌跡は西武鉄道オフィシャルの動画サイトで公開されています。 各種試運転が行われたのち、昨日2025年5月24日と本日25日に小田急8000形と西武8000系乗り比べツアーが開催され、この運転で西武新宿にも乗り入れたとのことです。一般営業は2025年5月31日からで、国分寺線で運転されます。8000系は6両編成で7編成が導入されるとされており、この車両で現在国分寺線で運転されている新2000系を置き換えます。

 

鉄道趣味界を騒然とさせた西武鉄道のサステナ車両導入、小田急から移籍した西武8000系が間もなく営業運転を開始します。大手私鉄間の車両譲渡という「想像の、ナナメ上へ。」進んだ西武鉄道のサステナビリティアクション実現に向けて、開業130周年を迎えた国分寺線での活躍が間もなく始まります。

2025.05.17

1596.【北陸鉄道】浅野川線8000系引退記念乗車券

北陸鉄道浅野川線の近代化に貢献した車両、引退を迎えます。

 

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 名称   :浅野川線8000系引退記念乗車券
 発行社局:北陸鉄道
 発売日  :2025年5月12日(一般発売)
 値段   :1,500円
 購入箇所:北陸鉄道Webサイト(Web販売)
 シリアルNo.:0297
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北陸鉄道浅野川線で運行されてきた8000系、最後の編成が運行を終了することになり発売されました記念乗車券になります。5編成存在した8000系各編成をあしらったD型硬券乗車券5枚が8000系活躍のシーンやヒストリーをあしらった台紙にセットされ、その表紙は最後まで残った8801-8811号編成をあしらいました。この記念乗車券も2025年5月11日に内灘駅構内で開催された「あさでんまつり」会場で先の浅野川線開業100周年記念乗車券等と合わせて先行発売されたのち、翌日から北陸鉄道有人駅と合わせてWeb発売が開始されました。

 

浅野川線で運転されてきた8000系は、京王井の頭線で活躍していた3000系の譲受車で1996年12月より浅野川線で運行を開始しました。この時浅野川線では北鉄金沢駅地下移転に備え架線電圧を600Vから1500Vに昇圧がおこなわれたことから、従来車の代替としてちょうどまとまった両数が廃車・発生することになった京王3000系を改造して導入することになりました。1996年に4編成、1998年に1編成入線し5編成が活躍していました。北陸鉄道では8000系となっていますが、車号的には8800番代と8900番代に分けられ、8800番代は京王3000系第1・2編成の狭幅片開きドア車から改造された車両、8900番代は第3編成以降の広幅両開きドア車から改造された車両になり、いずれも京王時代はカラフルに色分けられていた前面は北陸鉄道のコーポレートカラーとなるオレンジ色になり、さらには雪国を走行するためスノープロウがつけられたという特徴があります。2001年の北鉄金沢駅地下化と合わせて、浅野川線を都市近郊路線へ変貌させた車両であります。

その後も浅野川線で活躍した8000系、老朽化が進んだことから2020年より東京メトロ日比谷線03系の譲渡車が導入されたのに伴い置き換えが始まり徐々に姿を消していきました。2020年の03系第1編成運行開始に伴い8903-8913号編成が引退、2021年に8901-8911号編成が引退、2022年には8802-8812号編成が引退直前に京王時代のアイボリーの前面が再現されて引退、2024年に8902-8912号編成が引退し、最後まで残った8801-8811編成が引退を迎えることになりました。

最後まで残った8801-8811編成は、京王時代3701-3751号車で1962年に井の頭線に入線した3000系のトップナンバー編成の先頭車からの改造車で狭幅片開きドアの車体になります。この編成は2023年に北陸鉄道創立80周年を記念して京王時代のブルーグリーンの前面が再現され前面の方向幕も京王井の頭線時代を彷彿とさせる楷書体の「北鉄金沢 内灘」表示になっています。製造から62年以上が過ぎて引退を迎えることになります。

 

8801-8811号編成は2025年5月24日・25日に事前申し込みの撮影会ツアーが行われて引退となります。

 

引退を迎えることになった元京王3000系である北陸鉄道8000系、第1編成製造から62年以上にも及び京王井の頭線から北陸鉄道浅野川線で活躍しました。 

京王井の頭線沿線で生まれ育った自分としましては、北陸鉄道譲渡と聞いて遠いところに渡ってしまったなと感じました。自分が初めて北陸鉄道浅野川線を訪れたのは8000系運行開始から数か月後のことで、この時ほくほく線が開通し越後湯沢乗り換え「はくたか スノーラビット」ルートで訪れましたが、どうしても遠く感じたものでした。その後何度か訪れこの時運行されていた夜行急行「能登」号で訪れたこともありました。

2015年3月、北陸新幹線長野~金沢が開業しました。東京から約2時間30分で金沢に行くことができるようになり、北陸鉄道を訪れることも思い立ったときすぐに行けるようになりました。開業日にさっそく乗車した北陸新幹線で金沢に着いた際も、真っ先に北鉄金沢駅に向かい浅野川線で運転されている元京王3000系に乗車、今回引退を迎えるトップナンバー編成からの改造車にも乗車することができました。

最後まで残った8000系8801-8811編成、2023年の前面ブルーグリーン復刻後は、同年夏に浅野川線を訪れた際、北鉄金沢駅に留置中の姿を見ただけにとどまりました。またこれが、自分が最後に見た北陸鉄道8000系ということになってしまいました。

 

引退を迎える北陸鉄道浅野川線8000系、京王井の頭線から北陸鉄道浅野川線にわたり長きにわたり活躍し、晩節においては大地震に遭遇しました。北陸・金沢の鉄道事情の変化を感じつつ、浅野川線開業100周年の佳節を見届けて、長かった生涯を終えようとしています。

1595.【北陸鉄道】浅野川線開業100周年記念乗車券

この路線の終点付近にはかつて、多くの来園者を集め賑わった遊園地があったといいます。開業から100周年の佳節を迎えました。

 

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 名称   :浅野川線開業100周年記念乗車券
 発行社局:北陸鉄道
 発売日  :2025年5月12日(一般発売)
 値段   :2,000円
 購入箇所:北陸鉄道Webサイト(Web販売)
 シリアルNo.:0289
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北陸新幹線金沢駅の兼六園口地下から海沿いの内灘を結ぶ北陸鉄道浅野川線は、本年2025年で開業から100周年を迎えました。100周年を迎えて発売されました記念乗車券で、浅野川線歴代車両をあしらったD型硬券乗車券4枚が浅野川線の歴史をつづった写真などをあしらった台紙にセットされており、さらに浅野川線沿線にかつてあった粟崎遊園の入園券とセットになった往復乗車券の復刻券もセットされています。この記念乗車券は2025年5月11日に内灘駅構内で開催された「あさでんまつり」会場で先の石川線開業110周年記念乗車券等と合わせて先行発売されたのち、翌日から北陸鉄道有人駅と合わせてWeb発売が開始されました。

 

北陸鉄道浅野川線は今から100年前の1925年に浅野川電気鉄道により七ツ屋~新須崎(蚊爪~粟ヶ崎間大野川橋梁の手前付近にあった駅で1961年に廃止)間の開業から始まり、翌1926年に金沢駅前(現:北鉄金沢)~七ツ屋間が開業しています。

浅野川電気鉄道が開業した1925年、大野川を渡った粟崎の地に大規模な遊園地が開園しました。粟崎遊園と呼ばれた遊園地で遊戯施設や動物園・食堂・大浴場に大劇場などがありこの劇場を拠点する少女歌劇団の結成もあり、「北陸の宝塚」とも呼ばれ多くの人々が訪れ大盛況であったとのことです。浅野川電気鉄道の開業は、この遊園地へのアクセスという目的がありました。粟崎遊園は大盛況であったため1929年に新須崎から大野川に橋を架け、粟ヶ崎遊園前(現:内灘)を経由して粟ヶ崎海岸まで延伸、粟崎遊園への利便性向上が図られ遊園地へさらに夏季は海水浴客を乗せて大盛況で運転されていたとのことで、戦前の華やかしき時代であったことが伺えます。しかし戦争の足音がこの路線に影を落とします。粟崎遊園は1941年に閉園となり、跡地は軍関係の施設となって戦後は再開することなく姿を消しました。浅野川電気鉄道も1945年北陸鉄道に合併となり北陸鉄道浅野川線となりました。

戦後は、戦時中廃止していた粟ヶ崎遊園前~粟ヶ崎海岸間の再開業がありましたが、金沢から内灘を結ぶ路線として運行されることになります。1960年に粟ヶ崎遊園前駅を移転して内灘駅と改称、その後1974年に内灘~粟ヶ崎海岸間は廃止となりました。

1990年代に入りますと金沢駅前の再開発・再整備という流れが生じ浅野川線もその影響を受けることになりました。1996年に浅野川線は架線電圧を600Vから1500Vに昇圧、これに合わせて京王井の頭線で運行されていた3000系を譲受し8000系として運行を開始、都市型車両としてワンマン運転を開始しました。2001年になりますと北鉄金沢駅は地下に移転となり北陸地方において初の地下駅となりました。その後8000系で運転されてきた浅野川線でしたが、車両が老朽化したこともあり2020年に東京メトロ日比谷線で運行されていた03系を譲受し東京メトロ時代と同じ形式・車号で03系として運行を開始、2023年までに全5編成が揃いました。これにより8000系が間もなく終焉を迎えます。

 

開業から100周年を迎えた北陸鉄道浅野川線、沿線にあった遊園地への乗客を乗せて運転された戦前の華やかしき時代、戦後は地域の足として運転されてきました。2024年元旦、石川県能登地方を震源とする大地震が発生しました。北陸鉄道においては石川線・浅野川線とも数日間の運休ののち運転を再開しています。しかし浅野川線が結ぶ内灘町は地域によっては液状化により家屋の損壊や道路の寸断などといった大きな被害が発生し、今まさに復興に向けた取り組みが始まったところであるかと思います。

 

歴史を重ねてきた北陸鉄道浅野川線、100周年の佳節となります。

1594.【北陸鉄道】石川線開業110周年記念乗車券

石川県の内陸部へ延びる路線、開業から110周年の佳節を迎えます。

 

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 名称   :石川線開業110周年記念乗車券
 発行社局:北陸鉄道
 発売日  :2025年5月12日(一般発売)
 値段   :1,500円
 購入箇所:北陸鉄道Webサイト(Web販売)
 シリアルNo.:0299
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開業110周年を迎える北陸鉄道石川線、金沢市内の野町から白山市の鶴来を結ぶ路線で、今から110年前の1915年に現在の新西金沢から鶴来間が開業しました。110周年を迎えて発売されました記念乗車券で、歴代車両などをあしらった4枚の硬券乗車券が石川線の過去の写真などをあしらった台紙にセットされています。またこの記念乗車券には廃止となった白菊町駅の入場券及び鶴来から加賀一の宮ゆきの乗車券が硬券で復刻されセットされています。

 

開業110周年を迎える北陸鉄道石川線は、今から110年前の1915年に石川鉄道により新野々市(現:新西金沢)から鶴来間の開業から始まりました。新野々市から金沢市内へは白菊町へ金沢市内で電車の運行を行っていた金沢電気軌道により開業しており、鶴来から先加賀一の宮間が金名鉄道により1927年に開業しています。石川線周辺には多くの私鉄路線がありその経歴は複雑なものがありますので、石川線に直接関連する出来事を記載しますが、石川鉄道は1923年に金沢電気軌道に買収され鶴来~加賀一の宮間についても金名鉄道から1929年に譲り受けています。その後戦時中の統制等により、石川県内の金沢・小松・加賀・能登エリアの私鉄路線等を合併して1943年に北陸鉄道が設立となり戦後を迎えます。

一時は総延長100キロを超えていたという北陸鉄道の鉄道路線でしたが、1970年代前後から多くの路線が廃止となっています。石川線周辺でも野町で接続していた金沢市内線、鶴来で接続していた能美線、加賀一の宮から先白山下まで延びていた金名線は廃止となっています。そして石川線についても金沢市内で白菊町~野町間は1970年に旅客営業を廃止(1972年に貨物営業も終了し廃線)、鶴来~加賀一の宮間については2009年に廃止となって、現在の野町~鶴来の路線となりました。

 

現存する石川線においては1980年代以降都市郊外路線へ脱却が図られ、1987年に始発駅の野町駅で駅舎改築が行われこの駅で鉄道から金沢市内中心部に向かうバスへスムースな乗り換えが可能なジャンクション駅となりました。1990年になりますと東急から先代の7000系を譲受し7000系としてワンマン運転を開始し予備車なった2両を除いて旧型車を置き換えました。その後2007年には残っていた旧型車を置き換えるため京王井の頭線で運転されていた3000系を譲受し7700形として運航を開始しました。2015年になりますと四十万~曽谷間に「陽羽里」駅が開業しています。

 

開業110周年を迎える北陸鉄道石川線、現在この路線で運行されている車両は東急先代の7000系の譲受車である7000系と、京王3000系の譲渡車である7700形で運転されています。7000系は形態が3種あり、先頭車が種車で非冷房車で入線した車両が7000形で1編成、同じく先頭車が種車で冷房車となった車両が7100形で2編成、中間車から運転台取り付け改造を行った冷房車が7200形で2編成在籍しています。そして京王3000系の譲渡車である7700形が1編成在籍しています。2007年に残っていた旧型車を置き換える際に譲渡を受けることができた車両が京王3000系であったと思われますのでこの車両だけは石川線で異彩を放っている状況です。しかし東急先代の7000系そして京王3000系、いずれも我が国におけるオールステンレスカーの走りとされている車両で、東急車輛(現在の総合車両製作所横浜事業所)で製造されました。現在も横浜市金沢区にある工場の中で完成時には並んだこともあったであろう両車が共演しているという、石川県金沢市を拠点とする路線になります。

 

北陸鉄道石川線においては、ここでも近年利用が減ってきたこともあり存廃問題が浮上しました。その後鉄道として維持することになり、本年2025年よりみなし上下分離方式により公的支援を受け、存続にむけてスタートを切ったところであります。今後はすでに導入から35年が経過した7000系車両の取替や、老朽化している設備の更新などといった動きが出てくると予想されます。

 

歴史を重ねてきた北陸鉄道石川線、110周年の佳節を迎えました。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

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    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

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    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

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    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

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    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。