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2024.12.15

1570.【富士山麓電鉄】富士急行線1001号編成引退記念入場券セット

富士山に一番近い鉄道で主力として活躍した車両、本日2024年12月15日の運行を最後に定期運用を終了しました。

 

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 名称   :富士急行線1001号編成引退記念入場券セット
 発行社局:富士山麓電気鉄道
 発売日  :2024年12月15日
 値段   :4,000円
 購入箇所:河口湖駅特設会場(河口湖駅前保存車輛モ1車内)
 シリアルNo.:0012
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富士山に一番近い鉄道である富士急行線、この路線で活躍した1000系車両が本日の運行をもって定期運用を終了しました。2編成が残っていた1000系、1001号編成と「富士登山電車」になっている1205編成になりますが、富士登山電車は現在も運休中の状況で実質1001号編成が最後まで定期運用に就いていた1000系でした。

 

1000系1001号編成定期運用終了に合わせて本日2024年12月15日より発売されました記念入場券セットになります。京王時代の初代5000系の姿と、富士急行線で活躍した1001号編成の写真をあしらった台紙に、富士急行線全駅の硬券入場券がセットされているというものになります。硬券入場券については1001号編成をイメージした赤帯入りとなっています。定期運用終了イベントの一環として河口湖駅前の保存車両モ1車内に特設会場が設けられその場所で発売されました。

 

富士急1000系は1994年から運行を開始しました。京王5000系(初代)の譲渡車になります。1001号編成と1201号編成がまず導入され以降富士急行線の主力として普通列車や快速列車、1998年に設定された特急「ふじやま」号にも使用され、また夏シーズンのビール列車などのイベント列車としても活躍しました。外装は青と白のツートンカラーで側面の運転席側は白のストライプ、車掌席側は富士山のシルエットという大胆な塗装で、富士急行線の主力車両を印象付けました。

トップナンバー編成であり最後まで残った1001号編成は富士急行線開業80周年を迎えた2009年に「昭和20年代塗装」として茶色とクリーム色のツートン色に変更され、2012年に再度外装が変更となり京王時代のアイボリーホワイトと臙脂帯という往年の姿が再現されました。合わせて車号表記も京王時代の5113・5863に京王時代の字体で変更されました。

往年の京王カラーが再現された1001号編成、その後も走り続け実質最後の1000系となりましたがついに引退を迎え、2024年10月から定期運用終了記念のイベントが各種開催され、往年の「高尾」「迎光」等ヘッドマークを着けての運転も行われました。そして本日2024年12月15日の運行をもって定期運用は終了となりました。最終日となった本日は、午前中で大月~河口湖で富士登山電車1205号編成と連結した4両編成で定期の普通列車として運転された後、事前申し込み列車として運転されたのち、乗車券のみで乗車可能な臨時列車として河口湖~下吉田で1往復運転されました。最終運行に際しましては、前面に「ありがとう」「おつかれさま」と表記された楕円形のヘッドマークが着けられました。そのデザインは今から28年前京王線で5000系(初代)引退時に着けられたヘッドマークを模したものでありました。最終運行となった本日は天候に恵まれ昨今の旺盛なインバウンド需要で海外からの観光客も多く訪れた富士急行線、1001号編成最後の定期運用ということで、更に多くの方々が本日富士急行線を訪れました。自分は、この記念入場券セットを購入後臨時列車として運転された1001号編成に河口湖→下吉田で乗車し、最後の1000系を堪能しました。

 

富士急行線で主力として活躍した京王5000系の譲渡車である1000系、定期運用を終了しました。1994年の運転開始から30年という活躍の期間でした。1001号編成は富士急行線に最初にやってきたトップナンバー編成として30年富士急行線で運転され、京王時代のアイボリーに臙脂帯という外装で有終の美を飾ることになりました。京王時代から数えますと58年にも及んだ生涯でした。京王線で5000系(初代)が営業運転を終了したのが1996年。その後各地に渡った京王5000系(初代)の中で、京王線から最も近い路線で最後は往年の姿で運行された富士急行線1001号編成、運行を終了しました。富士急行線1000系は「富士登山電車」となった1205号編成がまだ残りますが、この編成は定期列車としては運休中の状態でイベント運転がある程度の状況です。

 

富士山の麓で活躍した京王5000系(初代)の譲渡車であった富士急行線1000系、活躍のシーンは思い出になりました。

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    お断り>
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