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2024.06.01

1536.【小田急】小田急多摩線開業50周年記念乗車券・入場券

多摩の丘を切り開いて開発された「多摩ニュータウン」、この地域へ伸びていった路線が開業50周年の佳節を迎えました。

 

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 名称   :小田急多摩線開業50周年記念乗車券・入場券
 発行社局:小田急電鉄
 発売日  :2024年6月1日
 値段   :2,000円
 購入箇所:新百合ヶ丘駅
 シリアルNo.:0361
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今から50年前の1974年6月1日、開発が進んでいた多摩ニュータウン地域にようやく鉄道路線が開業しました。小田急多摩線になります。小田原線の百合ヶ丘~柿生間で線路移設を行ったうえで開業した駅である新百合ヶ丘から小田急永山間がこのとき開業しました。この当時、多摩ニュータウンは入居が始まっていた地区がありましたが、鉄道が未開通であったため陸の孤島といわれていたと言います。多摩ニュータウン地域に初めて開通した鉄道路線でありました。

多摩線は1975年に小田急永山から小田急多摩センターへ延伸、1990年に小田急多摩センターから現在の終点である唐木田まで延伸しました。2004年になりますと黒川~小田急永山間に「はるひ野」駅が開業し、現在の小田急多摩線の路線となりました。

 

1974年の開業時はほとんどが多摩線内折り返しで新宿方面への直通はわずかであったとのことで、運転される車両も記念の祝賀列車こそは当時の最新鋭車両であった9000形が充当されましたが、実際に運用に就いていたのは引退間近の旧型車両であったとのことです。この記念乗車券の表紙の写真は1980年頃の2200形2両編成となっており、この時代引退が近づいてきた車両がこのように運転されていたことが感じられるかと思います。その後1990年代に入り一時期夕方通勤時間帯にロマンスカーが運転されたことがあり、2002年になりますと多摩線から地下鉄千代田線に直通する多摩急行が設定されました。現在では多摩線から地下鉄千代田線へ直通する列車の設定はなくなりましたが、新宿へ直通する急行の設定があり(ただし多摩線内は各停になる列車が多いようです)、運転される車両についてもこの記念きっぷ台紙にあしらわれている5000形も多摩線で運用されます。
 

こうして開業から50周年を迎えた小田急多摩線、その記念きっぷがこのように発売されました。同じく開業50周年を迎えた新百合ヶ丘駅でのみ発売され、朝早く向かいますとすでに大勢の方が買い求めに並んでおりました。先に記しましたように一時期多摩線で運転されていた2200形を表紙として、過去に多摩線で活躍した車両や建設・開業時の写真をあしらった台紙に新百合ヶ丘から小田急永山、小田急多摩センター、唐木田まで及び唐木田から代々木上原までのそれぞれ片道乗車券と、多摩線内7駅の入場券がいずれも硬券でセットされているものになります。なお、この記念きっぷはSNSでの情報ですと発売当日の昼頃で完売したとのことです。

 

多摩ニュータウンへのアクセスとして開業した小田急多摩線、開業から50周年を迎えました。

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  • Img_9050
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    お断り>
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