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2022.04.02

1438.【東武】とうきょうスカイツリー駅~北千住駅間 開通120周年記念乗車券

東武本線の一部となっている区間、開通から120周年を迎えました。

 

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 名称   :とうきょうスカイツリー駅~北千住駅間 開通120周年記念乗車券
 発行社局:東武鉄道
 発売日  :2022年4月1日
 値段   :1,000円
 購入箇所:浅草駅
 シリアルNo.:0909
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1899年に北千住~久喜間の開通から始まった東武鉄道、北千住からは繁華街浅草のターミナルを目指して路線を延伸し、1902年に北千住から吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)までが開通、途中に曳舟・白髭(のちに玉ノ井に改称後1987年に東向島に改称)・鐘ヶ淵・堀切の各駅が開業しました。この延伸で始発駅となった吾妻橋駅は一旦廃止されますがその後再開し一時期「浅草」と称していたことがありましたが、1931年に現在の浅草まで延伸しますと業平橋(なりひらばし)と改称されました。貨物ヤードがあった業平橋駅では後年まで貨物列車の運行が行われていました。

またこの区間内にある堀切駅は1924年に荒川放水路(現在の荒川)開削に伴う路線移転に合わせて現在地に移設、移設後の駅舎が現在でも使用されております。テレビドラマでお馴染みとなった建物であります。

 

東武本線の一部であるこの区間ですが、1962年の地下鉄日比谷線直通運転開始後は輸送需要が地下鉄に流れたことから、浅草からの優等列車の走行はあるものの若干ローカル化した感がありましたが、2003年3月に地下鉄半蔵門線が押上まで延伸し直通運転が開始されたことから、第二の都心直通ルートとなりました。そして2012年3月、業平橋と称していた駅は現在の駅名であるとうきょうスカイツリーに改称され、この区間も「東武スカイツリーライン」と呼ばれるようになりました。

 

とうきょうスカイツリー~北千住間の開通120周年を記念してこのような記念乗車券が発売されました。2つ折りシートに3片の乗車券とともに、昭和16年頃に発行された硬券乗車券の模擬券がセットされています。

 

いまでは東京の観光スポットに向かう路線となっている区間、開業から120周年の佳節を迎えました。

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    お断り>
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