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2018.07.14

1254.【京急】京急電鉄×都営交通×京成電鉄 相互直通50周年記念乗車券

1968年6月21日、都営浅草線は大門~泉岳寺間が開業、合わせて京急本線も品川~泉岳寺間が開業し相互直通運転を開始しました。都営浅草線は1960年の第一期開業時から京成電鉄と相互直通運転を行っていましたので、この時から京成・都営・京急と3社で相互直通運転を開始しました。
本年2018年で50周年を迎え、記念乗車券が東京都交・京成に続いて、京急でも発売されました。
 
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 名称   :京急電鉄×都営交通×京成電鉄 相互直通50周年記念乗車券
 発行社局:京浜急行電鉄
 発売日  :2018年7月14日
 値段   :1,000円
 購入箇所:三浦海岸駅
 シリアルNo.:0074
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京成・東京都交・京急の3社で相互直通運転を開始して、50周年を迎えたことから京急で発売されました記念乗車券になります。発売箇所は3社直通運転開始時の終着駅であった三浦海岸駅で朝7時からの発売でしたので、その時刻に合わせて向かい入手することができました。現在京急で増備が続き主力車両として都営浅草線・京急線にも直通する1000形をあしらった台紙に、B型硬券乗車券3枚がセットされています。
 
今から50年前の1968年6月21日、都営浅草線の大門~泉岳寺間の開通と同時に京急も泉岳寺~品川間が開通、直通運転が始まりました。直通運転開始当時の京急の乗り入れ車両は先代の1000形になります。1970年になりますと行楽シーズン等で京成・都営・京急3社直通運転の臨時列車として、「城ヶ島マリンパーク」号や「成田山」号が運転されました。また京急においては1968年の地下鉄直通運転開始に合わせたダイヤ改正で、今日おなじみになっている快速特急(快特)の運転が始まったのもこの時からになります。
 
京急・都営の直通運転は、開始当時は主に京急車が三浦海岸のちに三崎口からの特急が都営線経由で京成線の青砥・高砂・小岩へ、都営車は京急線内は急行で川崎へ運転を行っており、京成車については先の行楽時期の臨時列車以外で京急線に来ることはありませんでしたが、1991年に北総線の京成高砂~新鎌ヶ谷間が開通すると北総線から京成・都営線を経由して京急に直通する4線直通運転が開始され、北総車と合わせて京成車も主に京急線内は急行で川崎まで乗り入れてくるようになり、1993年に空港線が羽田(現:天空橋)まで延伸すると当時の急行は川崎から羽田へ運転されるようになり、1998年に空港線が羽田空港(現:羽田空港国内線ターミナル)まで延伸すると、都営浅草線を介して羽田と成田の両空港を結ぶ直通列車「エアポート快特」の運転が始まりました。
 
京急が都営浅草線と直通運転を開始し、京成線までつながって50年という年月が流れました。直通運転開始当時の京急1000形(先代)都営5000形はすでに引退して時が経過しています。
 
千葉・東京・神奈川の1都2県にまたがり、羽田・成田の両空港を結ぶ直通運転、50周年の佳節を迎えた3社の記念アイテムが揃いました。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

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    お断り>
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