« 0880.【千葉急行】千葉急行線 大森台⇔ちはら台 開業記念乗車券 | トップページ | 0882.【小田急】小田急開業70周年記念ロマンスカード特急シリーズNo.1 '97現役ロマンスカー大集合 »

2017.04.03

0881.【京成】京成電鉄千原線 記念入場券

1992年に大森台、1995年にちはら台まで開通した千葉急行線、その顛末です。
 
===================
 名称   :京成電鉄千原線 記念入場券
 発行社局:京成電鉄
 発売日  :1998年10月1日
 値段   :900円
 購入箇所:京成上野駅
 シリアルNo.:0107
===================
 
Dscn4578
 
Dscn4579

 
千葉・市原ニュータウンのアクセス路線を運営するために設立された千葉急行電鉄、ちはら台までの開業が大幅に時間を要したことから、この間で時代は大きく変わってしまいました。低成長の時代となり沿線の人口は思うように増えず、そのため利用客も当初予測を大幅に下回ってしまったという状況で、その収支は債務超過という状況にまで陥りました。
そして千葉急行電鉄はついに経営が破たん、資産を譲渡したのち会社解散という手続きを執ることになりました。大森台開業から6年半、ちはら台開業から3年半が過ぎた1998年10月、千葉急行電鉄が運営していた千葉中央~ちはら台間は、1998年10月1日より京成電鉄がその運営を引き継ぐことになり、この日から千葉急行線は京成千原線となりました。
 
千葉急行線を引き継ぐことになり発売されました記念きっぷになります。表紙はちはら台行きの3500形更新車、中を開きますと、歴代の千葉急行電鉄の車両があしらわれ、大森台開業時の1000形、ちはら台開業時の3050形、それ以降も3050形の置き換えで、京成から3100形・3150形を譲り受け外装も京成一般車の配色の赤と青を入れ替えたものに変更して運転されたことが載っており、千葉急行電鉄から京成電鉄の駅となった5駅の硬券入場券がセットされています。
 
千葉急行線の大森台開業から25年、ちはら台開業からも22年、そして京成電鉄に移管し千原線となってから本年10月で19年という年月が流れました。もう千葉急行電鉄や千葉急行線という会社名や線名について、忘れ去られてしまっているのかもしれません。時代の波に押され、開業からわずか6年半で消滅した鉄道会社があったことは、その顛末も含めて語り継いでいく必要があるのではと思うところであります。

« 0880.【千葉急行】千葉急行線 大森台⇔ちはら台 開業記念乗車券 | トップページ | 0882.【小田急】小田急開業70周年記念ロマンスカード特急シリーズNo.1 '97現役ロマンスカー大集合 »

発行社局:京成」カテゴリの記事

西暦1998年(平成10年)発売」カテゴリの記事

特集:千葉急行電鉄の顛末」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 0880.【千葉急行】千葉急行線 大森台⇔ちはら台 開業記念乗車券 | トップページ | 0882.【小田急】小田急開業70周年記念ロマンスカード特急シリーズNo.1 '97現役ロマンスカー大集合 »

カテゴリー

Googleで検索




  • 弊ブログ内検索
    ウェブ全体から検索


    Powered by Google

2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

  • 2010101700
    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

  • Img_0527
    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

  • 2005032101
    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。