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2017.03.21

0820.【北総】ありがとう9000形記念乗車券

千葉ニュータウン地域の歴史に翻弄されつつも長きにわたり活躍した車両、昨日2017年3月20日のイベントツアーをもって引退を迎えました。
 
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 名称   :ありがとう9000形記念乗車券
 発行社局:北総鉄道
 発売日  :2017年3月21日(一般発売)
 値段   :2,000円
 購入箇所:新鎌ヶ谷駅
 シリアルNo.:000210
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北総9000形は1983年に製造され、1984年3月19日に小室~千葉ニュータウン中央間開業に際してデビューしました。この当時開業した小室~千葉ニュータウン中央間は千葉ニュータウンを始めとして各都市圏において大規模なニュータウン開発を行っていた「住宅都市整備公団」という法人団体があり、その団体が鉄道を運営しておりました。よって小室~千葉ニュータウン中央間は住宅都市公団鉄道として開業し、9000形は住宅都市整備公団保有の車両としてデビューをしました。また形式は2000形とされました。6両編成2本が製造され、千葉ニュータウン中央から北総線・北初富接続で新京成電鉄に乗り入れ松戸まで直通運転を行いました。
その後1991年に北総2期線開業、京成押上線経由で都営浅草線・京急線に直通運転するにあたり、輸送力増強のため中間車を増備して8両編成になりました。
京急川崎のちに京急空港線に乗り入れることになった住宅都市整備公団2000形でしたが、おそらく都営浅草線における乗り入れ協定上京急の車号と被ることになってしまっていたことから、1994年に9000形に改番されました。
1999年になりますと、政府の特殊法人改革等により住宅都市整備公団は、「都市基盤整備公団」に改組され、当時に装備されていた住宅都市整備公団のマークは都市基盤整備公団のマークに変えられましたが、前面貫通路部分にあった住宅都市整備公団のマークはそのまま外されました。その5年後の2004年になりますと、この時点で印旛日本医大まで延伸が完了していた都市基盤公団鉄道線の小室~印旛日本医大間は、新たに設立された「千葉ニュータウン鉄道」に引き継がれ、この車両も移籍する形になりました。千葉ニュータウン鉄道は施設や車両を保有するのみで、運営はこの時社名を変更した北総鉄道が一元的に行うことになったことから、この車両側面の都市基盤整備公団マークは「北総鉄道」と書かれたプレートに変更されました。
それ以降も運行を続けてきましたが、寄る年波には勝てず2013年に1編成が引退し、残っていたもう1編成も引退することになり、2017年3月20日に京成トラベルサービス主催の「ありがとう9000形ツアー」における乗車及び車両基地での撮影会イベントを最後に引退を迎えました。
 
引退を記念して発売されましたアイテムになります。自分は引退記念ツアーには参加しませんでしたので翌日からの一般発売で、また発売部数が少ないとみて前日に新鎌ヶ谷駅近くのホテルに宿泊して、発売日当日の早朝に駅に向かって入手できたものになります。なお引退記念ツアーでは先行発売されました。
 
記念乗車券は2つ折りのシート型で乗車券が綴られていますが、合わせて9000形の写真集が付属しているというものになります。
 
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記念乗車券付属の写真集

 
写真集は9000形のあゆみと在りし日の走行シーン、更には諸元などが記載されており、この車両が歩んだ経緯を知ることができます。
 
1984年の千葉ニュータウン中央延伸に際して登場した北総9000形、路線建設の経緯や特殊法人改革など情勢の変化に翻弄された波乱万丈な生涯であったのかもしれません。しかし、33年という長きにわたり親しまれた車両でありました。北総鉄道におきましても、一つの時代の節目となりました。

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  • Img_9050
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    お断り>
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