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2017.03.14

0794.【JR西日本】さようならクモハ42形 オレンジカード

かつては京阪神を走り抜けた車両、長門の地で最期を迎えた際に発売されましたアイテムになります。
 
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 名称   :さようならクモハ42形 オレンジカード
 発行社局:西日本旅客鉄道
 発売日  :2003年2月--日
 値段   :2,000円(1,000円券2枚組)
 購入箇所:小郡駅
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2003年3月のダイヤ改正においてJR西日本では小野田線で運転されていた最後の旧型国電、クモハ42の運転を終了したことから発売されましたオレンジカードになります。
 
クモハ42は1933年に製造され関西圏で運転されてきました。1950年に首都圏へ異動となり主に伊東線で運転されてきましたが1957年に宇部電車区に配属、山口県内の宇部線・小野田線で運転されてきました。この路線において花形車両であったそうなのですが、1981年にこの路線に105系が導入され旧型国電は引退を迎えた中、クモハ42については両運転台であったことから残り、小野田線でも雀田~長門本山間の通称本山線で運転されてきました。
国鉄からJRへ、そして21世紀まで生き延びたクモハ42でありましたが、寄る年波には勝てず2003年3月のダイヤ改正で引退することになり、このようなオレンジカードが発売されました。
 
このオレンジカードを購入した駅である小郡駅は現在の新山口駅になります。またこの記念オレンジカードにはクモハ42乗車記念証のミニチュアが付属しています。実際にこの当時本山線のクモハ42に乗車しますと乗車記念証が配布されていました。
 
さて自分は小野田線本山支線で最後の活躍をしていたクモハ42に乗車したのは、ダイヤ改正の1か月前の時期になります。この時当時の小野田市ではクモハ42引退のイベントが開催されていました。それに合わせてクモハ42に乗車することができました。
クモハ42引退にあたっては、当時の小野田市において設立されていた「小野田線対策協議会」においてもオリジナルオレンジカードが作成され、この時のイベントで販売しておりました。
 
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小野田線対策協議会で販売したオレンジカード

 
私自身乗ることができた旧型国電は鶴見線のクモハ12とこの本山線のクモハ42のみになります。貴重な旧型国電、最後に何とか見ることができたという状況になります。
 
この車両の引退から14年という年月が流れました。この車両が最後まで活躍していた小野田線本山支線は、今では朝と夕方に合わせて数本程度という大変運転頻度は低い区間で、乗車するには難儀する路線になっています。
 
関西で登場して一時期は伊豆地方でも運転されたクモハ42、そしてその生涯の大半を過ごしたことになる宇部・小野田線、そして最後まで運転されていた小野田線本山支線、この車両が思い出になってもうそれだけの年月が流れてしまいました。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
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