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2016.07.23

0557.【営団】さようなら3000系 記念乗車券・メトロカード

この車両が姿を消して早22年、その当時発売されましたアイテムを公開いたします。
 
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 名称   :さようなら3000系 記念乗車券
 発行社局:帝都高速度交通営団
 発売日  :1994年7月20日
 値段   :3,000円
 購入箇所:通信販売
 シリアルNo.:2169
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 名称   :さようなら3000系 記念メトロカード
 発行社局:帝都高速度交通営団
 発売日  :1994年7月20日
 値段   :1,000円
 購入箇所:通信販売
 シリアルNo.:00411
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営団地下鉄3000系は日比谷線用車両として、1961年の第一期開業時から導入された車両になります。営団地下鉄初のステンレス無塗装車両であり、また初のパンタグラフ集電による車両でもありました。1962年に北千住まで開業すると東武伊勢崎線と相互直通運転が開始され、1964年に中目黒まで全線開業しますと東急東横線との相互直通運転を開始し、東武方面は東武動物公園まで、東急方面は菊名まで直通運転を行った車両になります。登場時は2両編成でしたが、路線延伸と輸送力増強で8両編成にまでなり総勢304両製造され、日比谷線で運転されてきました。
 
日比谷線で運転されてきた3000系でしたが、1988年から03系に置き換えられることになり最終車両が1994年7月で引退を迎えることになったことから、このようなアイテムが発売されました。
 
記念乗車券は日比谷線各駅からの硬券乗車券がセットされており、メトロカードには東武線越谷~北越谷間を走行しているシーンがあしらわれています。
 
3000系は引退後、一部車両が長野電鉄に譲渡されました。長野ではこの当時冬季オリンピックが開催されることになり近代化に貢献しました。日比谷線が路線を延伸していった当時は東京でオリンピックが開催されることになり、都市基盤が整備されていった時代であり日比谷線もその一環でありました。よってこの車両は日比谷線でも、譲渡された長野でもオリンピックを経験したという車両になりました。2016年現在においては、長野電鉄においてはまだ残っている車両があり、主に信州中野~湯田中の普通列車で運転されております。
 
日比谷線から3000系が姿を消してからすでに20年以上が過ぎました。2016年の現在、日比谷線ではまた世代交代が始まろうとしており、13000系という車両が導入されることになりその第1編成が入線したとのことです。日比谷線は3000系より18m級3ドア車両(03系の一部に5ドア車両もある)8両編成で運転されていますが、13000系は20m級4ドア車両7両編成に規格が変更になります。これにより3000系を置き換えた03系の置き換えが始まろうとしています。またすでに東急東横線への直通運転は2013年で中止となっており、一方でメトロカードにあしらわれている東武線越谷~北越谷間は現在では高架複々線となって風景が変わっています。
 
日比谷線で活躍した3000系、引退して22年が過ぎた2016年、また世代交代が始まろうとしています。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

  • 2010101700
    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

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    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

  • 2005032101
    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。