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2016.03.19

0400.【京成】成田空港ターミナル乗り入れ記念乗車券

上野から成田を結んでいた京成電鉄、成田にできた空港ターミナルに直接乗り入れるようになって本年2016年で四半世紀が過ぎました。その当時発売された記念きっぷを公開いたします。
 
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 名称   :成田空港ターミナル乗り入れ記念乗車券
 発行社局:京成電鉄
 発売日  :1991年3月19日
 値段   :700円
 購入箇所:京成上野駅
 シリアルNo.:00182
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京成電鉄が成田空港へ乗り入れたのは開港時期の1978年5月でしたが、この当時の成田空港駅は空港ターミナルから離れた場所にありバスによる連絡輸送を行っていました。けれども成田空港への唯一の鉄道アクセスとして、東京と世界に開かれた空港を結んでいました。
 
そして今から四半世紀前の1991年3月19日、京成もJRとともに成田空港ターミナルの地下に直接乗り入れることになりました。京成においては京成成田駅から成田空港へ向かう新線が開業し、それまで成田空港と称していた駅は東成田と改称されました。
 
成田空港ターミナルへ直接乗り入れることを記念して、このような記念きっぷが発売されました。
京成成田~成田空港の大人用と小人用の往復乗車券が綴られたきっぷ、その図柄は飛行機とパイロット・京成スカイライナーと旅行客をあしらったデザインで、この当時このデザインのポスターが京成に限らず首都圏の各駅で掲出されておりました。またここに登場しているスカイライナー車両は、空港ターミナル乗り入れ前年にデビューし、本年2016年2月に最終運転を行い惜しまれながら引退したAE100形で、この日より本領を発揮し始めました。ただ従来のスカイライナー車両(初代AE1形)も乗り入れておりました。
 
早いもので、京成の成田空港ターミナル乗り入れから四半世紀が過ぎました。開業した日にJRの成田エクスプレスで成田空港に到着後、帰りに乗車した京成スカイライナー、AE100形がやってきました。先日、このターミナルに乗り入れるために就役したAE100形が引退を迎え、いつの間にかそれだけ年月が流れたことを感じた次第であります。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

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    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

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    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

  • 2005032101
    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
    その後2001年2月、そして2005年と何度か訪れたのですが、ついにこれら路線も命運が尽きてしまいました。そこで、名鉄岐阜600V線区で活躍していた古豪から最新鋭車まで、個性豊かな車両たちへの思い出をつづり、このアルバムを作成しました。
    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。