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2016.02.10

0316.【東急】世田谷線旧車両さよなら記念~歴代の車両たち~

今から15年前の2001年2月11日、東急世田谷線ではバリアフリー化を実施することになりました。新型車300系を増備し、ホームのかさ上げを行い段差を少なくする工事が行われることになり、従来活躍してきた旧型車は2001年2月10日の運行をもって運用を離脱することになりました。
かつて渋谷から二子玉川園間の玉川線、玉電と呼ばれていた時代から運行されてきた旧型車、引退を記念して発売された記念きっぷを公開いたします。
 
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 名称   :世田谷線旧車両さよなら記念~歴代の車両たち~
 発行社局:東京急行電鉄
 発売日  :2000年12月--日
 値段   :1,000円
 購入箇所:下高井戸駅
 シリアルNo.:3058
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Dscn1965

 
世田谷線の旧型車引退を記念して発売された記念乗車券、デハ1形から最新車300系までの歴代車両をあしらった乗車券10枚セットになります。
世田谷線で300系導入前まで運転されていた車両は、デハ70形、デハ80形、デハ150形で、デハ70形・80形は車内が板張りというレトロな車両、デハ150形は側面にステンレスカーと同様なコルゲートがついているという車両でした。いすれも2両連結で運転されていました。
この記念きっぷには、世田谷線が玉電を呼ばれ渋谷~二子玉川園の国道246号線玉川通りの路上を走行し、この区間が1969年に廃止となり運命を共にした車両もあしらわれています。その中には玉電時代の花形車両であったデハ200形も登場しております。
 
三軒茶屋~下高井戸の区間が残され世田谷線と改名してからも残った、デハ70形、デハ80形、デハ150形も1999年に導入が始まった300系に置き換えられていき、ついに2001年2月10日の運転を最後に引退することになりました。デハ70形は2000年までに姿を消したようでしたが、デハ80形とデハ150形については21世紀まで生き延びましたが置き換えられることになり、最後の日となった2001年2月10日はデハ150形が最後の運転を終えて長きにわたり親しまれた世田谷線の旧型車は引退しました。
この日の終電後、世田谷線各駅ではホームのかさ上げ工事が行われ、翌日からは全列車300系での運行となり、合わせて段差がなくなったことによるバリアフリー化が達成されました。
 
世田谷線から旧型車が姿を消して、本年2016年で15年になります。走る車両は変わりましたが、それでも世田谷の町を走る世田谷線の風景は大きくは変わってはいないように思えます。世田谷線の旧型車が思い出になって、いつの間にかそれだけの年月が流れていました。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

  • 2010101700
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2002年100周年を迎えた江ノ電

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惜別 名鉄岐阜600V線区

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    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。