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2015.11.29

0218.【京成】スカイライナー形車両運行開始40周年記念乗車券

2015年11月29日、この日で京成電鉄では一つの時代の転換点となりました。これにちなみまして、今から2年前に発売されましたアイテムを公開いたします。
 
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 名称   :スカイライナー形車両運行開始40周年記念乗車券
 発行社局:京成電鉄
 発売日  :2013年10月6日
 値段   :1,000円
 購入箇所:京成上野駅
 シリアルNo.:0069
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京成電鉄の看板列車である「スカイライナー」車両が、2013年に運行を開始してから40周年を迎えることになったことから発売されたものになります。歴代のスカイライナー車両をあしらったD型硬券乗車券が4枚セットされています。
 
上野から成田空港を結ぶ京成スカイライナー、その歴史は平坦ではありませんでした。初代のスカイライナー車両、初代AE形は1972年に入線していましたが、成田空港の開港が遅れたことから1973年にまずは成田までの座席指定特急として成田山新勝寺への参拝客を乗せて運行されました。1978年にようやく成田空港が開港することになり合わせて路線も成田から成田空港駅まで延伸されましたが、この当時の成田空港駅はターミナルから離れた場所に設けられ、現在東成田と称している駅になります。
初代AE形は1983年に青を基調とした塗装に変更され、その後も活躍しましたが1993年に引退し、そのあとを1990年にデビューした2代目車両AE100形に託しました。
AE100形は、1991年に成田空港ターミナルに乗り入れることになったことから登場した車両で、前面には非常口が設けられ都営浅草線方面への直通も考慮した形となりました。AE100形はその後スカイライナーとして活躍してきましたが、2010年に成田スカイアクセス線の開業に合わせてスカイライナーからは撤退し、3代目となる2代目AE形が引き継ぎました。
2代目AE形は、成田スカイアクセス線で最高時速160㎞で運転する性能を持ち、現在京成電鉄の看板列車として活躍していることは周知のことであります。
 
さて2代目AE形の登場によりAE100形はスカイライナーからは撤退しましたが、京成本線経由で上野から成田を結ぶ座席指定特急として「シティライナー」が設定され、成田山新勝寺への参拝客輸送を主な目的とした列車に使用されました。しかし、シティライナーは利用の低迷が続き、ダイヤ改正のたびに本数が減らされていき、土休日ダイヤの午前中に成田行き、午後に上野行きがそれぞれ1本ずつというところまで数を減らしてきました。そしてついに2015年12月5日のダイヤ改正で、シティライナーは運転を取りやめることになってしまいました。本日2015年11月29日はシティライナー最後の運転の日で多くの人が集まったようです。これをもってAE100形の定期運用は終了となりました。
 
1990年にデビューしたAE100形、弊ブログにおきましては過日登場時に発売された記念きっぷを公開しております。この後どうなるかは現時点で未定であり、もしかすると2016年の正月輸送で運用に入る可能性があるのかもしれませんが、いずれにしましても2015年11月29日、京成電鉄において一時代を飾った2代目のスカイライナー車両であるAE100形、最後の定期運用を終えた日となりました。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

  • 2010101700
    JR中央線で約30年にもわたり活躍した201系、特に多摩地域においては、長きにわたり親しまれた車両で、私も小・中学生時代は遠足で、学生時代は通学で、そして社会人になってからも通勤などで利用したなじみ深い車両でした。時の国鉄が「省エネ電車」として中央線に導入された201系。そしてほとんどの車両が中央線から離れることなく、この路線で「オレンジバーミリオン」の外装で生涯を終えました。すでに引退して時が過ぎましたが、私が撮影した201系の思い出として、どうぞご覧下さい。

2002年100周年を迎えた江ノ電

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    2001年12月に初めてデジカメを購入して、翌年から1年間通った路線があります。藤沢から鎌倉を結ぶご存知江ノ電です。この年は江ノ電が開業して100周年という節目の年で、各車両にステッカーなどが付いています。また世代交代もあった年です。 自分の思い出アルバムの中から公開いたします。どうぞご覧下さい。

惜別 名鉄岐阜600V線区

  • 2005032101
    2005年3月31日、惜しまれつつも廃止を迎えた名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の総称「岐阜600V線区」。 私が初めて訪れたのは、1999年の夏のことでした。名古屋本線で新岐阜に着くと、駅前に停車していた電車に乗り、車の洪水の中を抜け、のどかな風景の中を走っていきました。
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    このアルバムでは、2001年9月30日の運行をもって廃止となった谷汲線・揖斐線(黒野~本揖斐)のモ750も登場しています。いずれにしましても、今では思い出になってしまった、名鉄岐阜600V線区へのレクイエムです。 どうぞご覧下さい。

    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。