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2015.07.09

0031.【東京都交】さようなら浅草線5000形Tカード

東京都が開業させた地下鉄の開業当初の車両が引退したのは、今から20年前の夏の始まりでした。
 
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 名称   :さようなら浅草線5000形Tカード
 発行社局:東京都交通局
 発売日  :1995年6月‐‐日
 値段   :1,000円
 購入箇所:三田駅
 シリアルNo.:016970
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1960年に初の都営地下鉄として第1期区間が開業した都営浅草線、その当時から運転を始めた5000形車両の引退記念カードになります。
都営5000形は、浅草線用の車両ですが京成線・京急線と相互直通運転を行う計画で建設が進められたことから、この車両は本邦初のパンタグラフ式地下鉄車両として登場しました。
都営浅草線はもとより、京成線は成田、京急線は新逗子とかなり広範囲に運転され、1992年に北総2期線が開通し京成押上線を介して直通運転が始まると、この車両も千葉ニュータウンまで運転されました。都営地下鉄のパイオニア車両ではありましたが、末期になりますと乗り入れ先の車両と比較して見劣りしてしまう部分が現れてしまい、あまり歓迎はされなかった点もありました。早いもので、この車両が都営浅草線から引退して20年が過ぎました。
 
ここに公開しておりますTカードとは、東京都交通局が発行したプリペイカードで都営地下鉄用と都営バス用があったようです。ここに公開しているカードは都営地下鉄用で、サービス開始当初からストアードフェアシステムに対応し直接自動改札機に通せるカードでした。この当時は都営地下鉄専用でしたが、やがて営団地下鉄と共通カードになり、更には首都圏私鉄・地下鉄で相互利用可能となるパスネットにもなりました。
 
都営地下鉄では、この車両引退に合わせてヘッドマークをつけた臨時列車が都営線内のみでなく、京成線・京急線や北総線にまで直通運行しました。その車内限定でTカードが発売されました。

 

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 名称   :さようなら5000形乗車記念Tカード
 発行社局:東京都交通局
 発売日  :1995年6月‐‐日
 値段   :1,000円
 購入箇所:さようなら5000形列車車内
 シリアルNo.:002965
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都営5000形は登場時は、駅で発売されたカードの図柄になっている外装でしたが、後年更新工事が行われた際に外装が変更になり、最終運行は乗車記念カードの図柄になっている姿で運行を終えました。
 
都営地下鉄最初の車両である5000形ですが、引退後は地方私鉄等に譲渡されることはおろか、保存等もされることなく全車両廃車・解体となってしまいました。
 
もう、この車両の引退から20年が過ぎました。この20年で都営浅草線は乗り入れてくる私鉄線のダイヤ見直し等で大きく変貌と遂げ、今では羽田・成田の両空港から都心を結ぶ路線という性格も持っています。それだけ、5000形が活躍していた時代は遠くになってしまったような想いがします。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

  • Img_9050
    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

中央線201系

  • 2010101700
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惜別 名鉄岐阜600V線区

  • 2005032101
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    お断り>
    今回のアルバムは、一部ポジプリントからスキャンしたもの、あるいは携帯電話内蔵カメラで撮影した画像も含まれています。特に1999年・2001年撮影のものはすべてポジプリントからのスキャンになります。つきましては画質にやや難があるものがあります。ご了承ください。