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2009.12.30

2009年の年の瀬 東京西部地域で姿を消しつつある車両たち

今年も残りわずかになりました。振り返ってみますといろいろなことがあったのですが、気が付くと東京西部地域で、これまで親しまれてきた車両が、次々に終焉を迎えようとしています。今回、記事にしてみました。

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東京西部地域の大動脈の一つである中央線で親しまれてきた201系 2009年8月15日 西荻窪で筆者撮影

私は、武蔵野あるいは多摩と言われる東京西部地域で生まれ育ち、今もこのエリアに住んでいます。これまでも世代交代が行われてきたはずでしたが、ここに来まして私自身も多く親しんできた車両が続々と完全引退に向かって数を減らしてきています。弊ブログにおいても多く取り上げてきた車両、今年の終わりの前にまとめてみたいと思います。

東京西部地域、それは山手線のターミナル駅から西の方向になる地域で、都区内ですと中野や杉並・練馬といった各区、そして多摩と呼ばれる各市になります。これら区市は宅地化が進み、在住の方の多くは都心方面へ通勤・通学をしています。東京西部地域を走る鉄道路線、その中でも中心的なのはJR中央線になります。この沿線は特に早い時期に宅地化が進んだことから朝ラッシュ時間帯は大変な混雑となり、ピーク時には乗車率200%を超すとされています。この通勤・通学の足をこれまで支えてきたのが201系になります。

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中央線で親しまれてきた201系 2009年4月11日 吉祥寺で筆者撮影

中央線の201系は1979年にデビューした車両で、当時の国鉄では初めての電力回生ブレーキを搭載したチョッパ制御車で「省エネ電車」として脚光を浴びました。また前面の「ブラックフェイス」デザインは、この後の鉄道車両に多くの影響を与えました。
1985年までに全車201系の導入が完了した中央線、その後はこの車両が中央線の顔として活躍してきました。私も小・中学校時代は遠足で、高校・学生時代は通学で、そして通勤でよく利用した車両になります。しかしこの車両の後継となるE233系の増備が進み、今では残り2編成が最後の活躍をしています。2編成が残された理由は現在進められている三鷹~立川の高架化工事により、途中駅の武蔵小金井駅の配線の関係から運用増になったことから残されましたが、武蔵小金井駅周辺は今月に入って上下線とも高架化が完成しましたので、いよいよ中央線で親しまれたオレンジバーミリオンの車体のこの車両も、最期の時が近づいてきました。

さて、先の画像は以前吉祥寺駅で撮影しました。今年で開業から120周年を迎えた中央線、各種イベントなどが行われた年でしたが、この当時は吉祥寺には駅はなく、それから10年が過ぎた1899年12月30日になって開業しました。今日は吉祥寺駅開業110周年という日で、駅では記念入場券の発売もありました。
今から110年前に開業した中央線の吉祥寺駅、これから35年が過ぎた1934年、この駅に渋谷から私鉄路線が延伸されてきました。帝都電鉄、今の京王電鉄井の頭線です。この路線でも、長きにわたり親しまれてきた3000系が終焉を迎えようとしています。

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井の頭線で親しまれてきた3000系、残すは「ライトブルー」の3028F(上)と「ブルーグリーン」の3029F(下)の2編成になった 画像は3028Fは2009年11月2日、3029Fは2009年6月11日 いずれも高井戸で筆者撮影

京王3000系は井の頭線用車両として1962年に導入されました。ステンレスの車体にFRPで形成された湘南スタイルの前面、その部分はレインボーカラーで色分けされたカラフルな前面で人気を集め、1984年に全列車が3000系で統一されると、井の頭線の顔として親しまれてきました。この路線でも輸送力増強やバリアフリー化・省エネルギー化・ATC導入により新型車1000系の増備が進み、今では1987年~88年に導入され1996年頃にリニューアルが行われパノラミックウィンドの前面になった3028Fと3029Fの2編成を残すのみとなり、その運用も平日朝のラッシュ時間帯でなければお目にかかれなくなってしまいました。なお、京王3000系については、多くの車両が地方の私鉄の譲渡され、かの地で活躍しています。
私は、東京西部地域でもこの井の頭線沿線で生まれ育ちました。それだけ親しんできた車両でしたが、いよいよこの車両も最期の時が近づいてきてしまったようです。

さて、JR中央線とともに東京西部地域の足として多く利用されているのは京王線になります。この路線でも、終焉を迎えようとしている車両があります。6000系です。

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京王線で親しまれてきた6000系 2009年9月21日 千歳烏山で筆者撮影

京王6000系は、1972年に登場した車両で京王線では初の20m4ドアという車体で登場しました。多摩ニュータウン開発による相模原線開業や都営新宿線との相互直通運転開始という時代に登場し、その後本線の特急・急行から都営新宿線直通列車にまで広範囲に運用され、京王で最大勢力を誇っていた車両でもありました。こちらでもATC導入や省エネルギー化・バリアフリー化などにより急速に姿を消し、今では都営新宿線直通運用からは撤退し地上線用の8両編成が2本と支線用の4両編成が1本、そのほか増結用の2両編成が8本というところまで減少し、昼間にお目にかかるのは困難な状況になっています。
登場時はアイボリーの車体に臙脂の帯という、今も名車の誉れ高い5000系の外装を継承しましたが、2003年頃にアイボリーに今の京王のコーポレートカラーというべき、明るい赤と青の帯という外装になってしまいました。しかし、全廃が近づいてきたのか、2両編成で1編成に登場時の臙脂帯が再現された編成が登場しています。

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臙脂帯にリバイバルされた6416F 2009年11月2日 笹塚で筆者撮影

登場時の外装が再現された6416F、今注目を集めていますが、この編成は平日のラッシュ時間帯の増結あるいは平日ダイヤの競馬場線の折り返しの運用が主で、土休日ダイヤでは運用に入る機会が少ないという状況になっています。
京王6000系もよく乗車した思い出がある車両になります。あれだけ多く在籍していたこの車両も残りわずかになり、引退の日が近づいてきました。

さて、東京西部地域に向かう鉄道路線、まだあります。新宿・高田馬場・池袋から西へ向かう西武鉄道です。この鉄道でも長きにわたり親しまれてきた101系が終焉を迎えつつあり、やはり登場時の塗装が再現された車両が登場しています。

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登場時のツートン色が再現された西武101系 271F 2009年10月4日 横瀬にて開催された「西武トレインフェスティバル2009in横瀬」会場から筆者撮影

池袋線・新宿線とも101系は姿を消しており、お目にかかる機会は減少しています。しかし、これら車両の中には支線系統でワンマン化されるなどでまだ残る車両もあるようです。本線系統では1978年から導入された高運転台タイプの新101系がこのように姿を消しつつあり、中には地方私鉄に譲渡された車両もあります。その一方で、JR中央線の武蔵境から是政に向かう多摩川線では、本線ではとっくに姿を消した低運転台スタイルの101系が今もなお活躍しています。

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多摩川線に今も残る低運転台の101系 2009年12月30日 武蔵境で筆者撮影

多摩川線は他の西武鉄道の路線とは直接つながっていないという離れ児島の路線で、甲種輸送で車両の融通をしていたのですが、JR中央線の高架化に合わせて武蔵境駅も高架になるため車両の融通ができなくなってしまったため、この路線では低運転台の101系が残され、今も全列車このスタイルの車両でワンマンで運転されています。今から40年前の1969年、秩父線開業に合わせて導入が開始された101系、このスタイルは長きにわたり親しまれました。武蔵境駅も高架切り替えが完了し、JR線と再び線路が接続されようとしています。線路がつながれば今後は本線系統からおそらく高運転台の101系がワンマン対応に改造され転用されてくると予想され、この地域で親しまれた低運転台の101系も、いよいよ姿を消してしまうのではないかと思います。

東京西部地域で長きにわたり通勤・通学輸送に活躍し、多くの人に親しまれたこれら車両は、来年には姿を消してしまうのではというところまで数を減らしてきました。山手線のターミナル駅から西の延びる路線で活躍してきたこれら車両の功績は十分に称えられると思います。どうか最後の日まで無事に走り抜けてほしいと願わずにはいられません。

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コメント

201は高校のときに登場でした。私にはまだ新車
なんです。その201がいよいよ消えるとは・・
そして京王は3000ですね、3000はそれこそ子どものとき
から見ていますので残念であると同時によくここまで
残ったと思います。

6000系は語りつくせません。振返ってみるとこの車
が自分の足だったような気がします。

名車5000系の影には隠れていましたが、実は使いで
のある良い車だったようですね。2連があるので
もう少しだけ残りそうな気がします。

2010年は203が危なそう。そして209も京浜東北から
撤退かもしれません。

投稿: SATO | 2009.12.31 08:56

東武鉄道の線路上から8000系が消える日が来るなんて想像しづらいですが。
しかし、いずれ消える日が来るのも確かでしょう。
小田急から5200系が引退すると旧小田急顔が無くなる事になります。
古いものを大事にする事こそエコだとは思いますが、古すぎて実情に合わなくなっているものは取り替えねば仕方あるまいとも思います。
その最たるものが西武の3ドア車と井の頭線の18m車ですかね

投稿: クハ1193@球場 | 2009.12.31 17:07

こんばんは。
2009年も本当に残りわずかとなりました。画像に移っている車両たちはみんな僕が物心ついたときから乗車・撮影しているものばかり。来年はこれらの顔が消滅するのですから、すっかり東京西部の車両達の表情が変わる日がやってくることを意味しています。

京王線6000系・井の頭線3000系、中央線201系に関してですが…僕は気づいたら幼小中高大、そして社会人と長い年月を共に過ごした車両です。井の頭線に関しては今年1、2回しか乗車しておらず、3000系も最後の乗車を果たすことができませんでした。一日くらい日中運用で走ってくれたら…なんて思うこともありますね。

来年の鉄道もどうなっていくか、期待したいものです。

投稿: A80&481 | 2009.12.31 20:17

コメントをいただきまして、ありがとうございます。

SATOさん>
世代は異なると思いますが、私を含めまして東京西部地域で生まれ育った者にとって、中央線や京王線などで長きにわたり活躍し親しまれた車両が、終焉間近という状況になって、感慨深い思いがそれぞれにあるのではないかと思います。
来年は、この記事に上がっている車両のほかにも、コメントされております京浜東北線の209系は引退目前であり、また常磐緩行線の203系も置き換えが始まることでしょう。それだけ時代が変わろうとしています。

クハ1193@球場さん>
どんな車両もいつかは引退する時がやってきます。それはただ単に老朽化が進んだことだけではなく、社会的な要請によるものもあります。特に東京西部地域においては、各路線で長きにわたり親しまれてきた車両が続々と終焉を迎えようとしていることに、何か因縁めいたものを感じた次第です。

A80&481さん>
私も同じで、特に中央線の201系や京王6000系、そして井の頭線3000系についてはそれこそ身近であり親しんできた車両になります。もうこれら車両を見かけるのは困難が生じており、特に井の頭線の3000系については平日朝ラッシュ時間帯でなければ、お目にかかれない状況になってきています。一気に時代の転換点が近づきつつある東京西部地域の鉄道事情であるかと思います。

投稿: Kaz-T | 2009.12.31 22:58

この記事へのコメントは終了しました。

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