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2007.03.24

君が思い出になる前に ~さようなら 鹿島鉄道~

今日は今月31日の運行を持って廃線となる、茨城県の常磐線石岡から鉾田を結ぶ鹿島鉄道を訪れました。

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今月末で廃線となる鹿島鉄道KR-502に取り付けられたヘッドマーク

鹿島鉄道は1924年に鹿島参宮鉄道として石岡~常陸小川が第一期区間として開通し、その後路線を延伸して1929年に鉾田まで全通しました。1965年に常総筑波鉄道と合併して関東鉄道鉾田線となりましたが、1979年に分社化して鹿島鉄道となりました。
その後は鹿島鉄道として営業を続けてきましたが、利用客低迷により今年3月31日で83年の歴史に幕を下ろします。

その歴史にまもなく幕を下ろす鹿島鉄道を訪れましたが、今日は午後から都合があったことから上野6:51発の常磐線に乗車して石岡8:17発の常陸小川行きに乗車し、昼過ぎに退散するという行程になりました。

常磐線で石岡に到着するとすぐの連絡で、常陸小川行きが停車中でした。

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「ありがとうございました」ヘッドマークを付けたKR-502 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

出発前に石岡機関区に停車していた車両を撮影しました。

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キハ431 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

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KR-503 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

これらを撮影後、常陸小川行きのKR-502に乗ってこの列車の終点である常陸小川に向かいました。
まもなく廃止を迎えるということで、車内には別れを惜しむ人が乗っており、沿線でも撮影している人を多く見かけました。

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石岡南台で行き違ったKR-501 2007年3月24日

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常陸小川に到着したKR-502 2007年3月24日 筆者撮影

常陸小川では、この列車はすぐに折り返して出発して行きました。ここで後続の鉾田行きを待ちます。待っている間駅を見渡してみますと、存続を願い活動していた「かしてつ応援団」の看板などが目に付いたほか、この駅構内で展示されていたDD901が居なくなっていて、どこぞかにもって行かれてしまったようでした。

そして、鉾田行きがここまで乗車してきたKR-502で再び到着しましたが、車内はラッシュ並みの混雑で臨時で車掌が乗務している状況でした。
常陸小川から先は、霞ヶ浦の湖畔を行く鹿島鉄道のハイライトと言える区間になります。風光明媚なこの箇所にはさらに多くの人が訪れており、まもなく廃線となる鹿島鉄道の姿を撮影していました。
そして列車は、終点の鉾田に着きました。

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鉾田に到着したKR-502 2007年3月24日 筆者撮影

鉾田では、この地で収穫されたニンジンが配られていたほか、各種グッズが、また関鉄ファンクラブの手による模型運転会が開催されていました。関東の駅百選に選ばれた木造駅舎が特徴の鉾田駅に別れを告げて、KR-502で戻ることになりました。

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2007年3月24日 鉾田で筆者撮影

廃線を目前にして、鹿島鉄道の車両KR-501を除く全車にヘッドマークが付けられました。一見同じデザインですが、石岡方が「みなさま さようなら」、鉾田方が「ありがとうございました」というメッセージが記載されていました。またヘッドマークの色は、取り付けられる車両に合わせたカラーになっていました。

戻りの列車で、まず行き違いがあった玉造町で下車して、鉾田行きで到着した列車を撮影しました。

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キハ602を先頭にした2両編成で到着した鉾田行き 2007年3月24日 玉造町で筆者撮影

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後ろに連結されていたのはキハ714 2007年3月24日 玉造町で筆者撮影

元国鉄キハ07から改造のキハ602と、北海道の夕張鉄道からやってきたキハ714の重連による鉾田行きが到着しました。廃線間近になり多くの人が訪れている鹿島鉄道、2両編成に増結して運転されていました。

さて、玉造町では次の石岡行き到着前に鉾田行きが到着することがわかりましたので、この近くで撮影してみました。

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KR-503・505の重連で運転されていた鉾田行き 2007年3月24日 浜~玉造町で筆者撮影

この列車も2両編成になっていました。この列車を撮影後、再び玉造町駅に戻り石岡行きに乗車します。先に鉾田に向かったキハ714+キハ602が到着しました。

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キハ714を先頭にした2両編成の石岡行きが到着 2007年3月24日 玉造町で筆者撮影

この列車で、玉造町からはキハ602に乗車、桃浦でキハ714に乗り換えて常陸小川まで乗車しました。この間でそれぞれ板張りの床など、鹿島鉄道で今日まで残された貴重な気動車に乗車してきました。

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2枚とも2007年3月24日 常陸小川で筆者撮影

常陸小川で、ここで折り返しとなる石岡行きを待ちます。その間で鉾田行きが到着しました。

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キハ431を先頭に2両編成で到着した鉾田行き 2007年3月24日 常陸小川で筆者撮影

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後ろに連結されていたのはキハ432 2007年3月24日 常陸小川で筆者撮影

朝、石岡で2両連結で停車していたキハ431・432がそのまま出庫しました。この2両は、北陸の加越能鉄道からやってきた気動車です。

このあと、常陸小川で折り返す石岡行きが到着しました。

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キハ601で到着した折り返し石岡行き 2007年3月24日 常陸小川で筆者撮影

再び元国鉄キハ07から改造のキハ600形キハ601が到着しました。今となっては貴重になった車両で我が国で現役最古の気動車とされている車両です。この車両で石岡まで乗車することになりました。
車令にして70年を超えたキハ601、全国各地で活躍し鹿島鉄道にやってきたこの車両、路線の廃止とともにその長かった生涯に幕を下ろします。最後に貴重な車両に乗車することができました。
キハ601に揺られながら石岡に到着しました。

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石岡に到着したキハ601 2007年3月24日 筆者撮影

石岡では、鹿島鉄道廃線を記念した各種記念キップやグッズ、オフィシャルDVDが発売されていました。ラストラン記念乗車券とDVD、そして常陸小川から石岡まで乗車してきたキハ600形のペーパーウェイトを記念に購入しました。

もうこれで鹿島鉄道からは退散となりますので、最後に石岡機関区に停車中の車両を撮影しました。

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停車中のKR-502とKR-501 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

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KR-503・505 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

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KR-502 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

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KR-501 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

KR-501は、沿線の中・高校生が主体となって活動を行ってきた「かしてつ応援団」のメッセージが書かれた「ありがとう かしてつ」号になっていました。以前でしたが「ガンバレ かしてつ」号でしたが、廃線を目前になってロゴが書き換えられました。本当は、この車両はこの地でもっと走りたかったハズです。

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KR-505 2007年3月24日 石岡で筆者撮影

こうして石岡を離れました。名残惜しかったのですが、鹿島鉄道最後の姿をしっかりと記憶してきました。

鹿島鉄道は、あと1週間ほどで83年の歴史に幕を下ろします。関東平野に残った田園風景と、筑波山を望みながら霞ヶ浦湖畔を行くローカルムードにあふれた風光明媚な路線でした。また、ブログを通して知り合った皆様方と車両を貸しきってオフ会を行ったなど、大変思い出多い鉄道でした。それだけに、鹿島鉄道の廃線は惜しいとともに残念なことではありますが、残された1週間、どうか最後の日の最後の列車まで無事に走りぬけることを願ってやみません。


<メモ>
あと1週間で廃線を迎える鹿島鉄道、連日多くの人が訪れていますが、石岡などの駅にはこんな掲示がなされています。

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多くの人が集まっている状況ですので、鹿島鉄道からのお願いの文章になっています。

あと1週間で83年の歴史に幕をおろす鹿島鉄道の晩節を汚すことのなきよう、これから訪れる方、業務の支障や他の乗客の迷惑となるようなことを避けると共に、沿線での撮影もあわせまして、ルールを守り良識ある行動をお願いいたします。


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コメント

たしかに、撮影マナーを守るということは重要なことですね。フラッシュ撮影だとか線路内立ち入りだとか私有地への立ち入りは絶対にあってはならないものです。それに、乗務員や駅員の指示に従うことも重要です。私は、電車の撮影中に乗務員に怒られたことがありますがそれ以降は言われたことに対して問題になった行動を改善できるようにしています。あと、電車の運行に関係する機器類には触れないようにしてくださいね・・。鉄道ファンのみなさんがマナーを守って正しく「ヲタ活動(?)」できることを私は心から願っております。

投稿: 横浜電車 | 2007.03.25 16:46

残念ながら、DD901は2月の末に現地で解体されてしまいました。私が訪問した2月上旬にはまだ駅構内に留置されていました。静態保存ということでしたが、実質的にはほとんど放置に近く、「茶坊主」と呼ばれた塗装は色褪せており、キャブの窓ガラスも一部破損しており、いささか哀れな姿ではありましたが、古典機としての風格は感じられました。すでに車籍がないため自走はおろか石岡に牽いていくこともできず、また廃止されると管理ができないための止むを得ない措置だと思いますが、残念なことですね。
訪問時の記事をトラックバックさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: デハ712 | 2007.03.25 19:10

 こんばんは。TBありがとうございます。

 私が乗車した21日、乗客の誰かが走行中にフラッシュをたいたかなんかがあって、乗務員の注意のアナウンスが流れました。普段からある程度鉄道の写真を撮っていれば、走行中の列車にフラッシュをたくことの危険さがわかるものですが、廃止を間近にした時期はいろんな人が訪問しますので、どうしても理解不足と思われる乗客も多く見受けられますね。

 話は変わりますが、常陸小川駅に長らく置かれていたDD901は解体されてしまったんですね。去年の8月に下車したときにはその姿を見ることが出来たんですが、兄弟的存在である関鉄のDD502には末永くがんばって欲しいものです。

投稿: mattoh | 2007.03.25 21:59

コメントいただきまして、ありがとうございます。

横浜電車さん>
もう廃線を迎えることから、多くの人が訪れている鹿島鉄道ですが、やはりマナーの悪さが目立ってきているようです。
私も横浜電車さんと同じ考えですので、ぜひこれからもこのような活動ができるように、皆で守っていかなければならないことだと思います。

デハ712さん>
常陸小川のDD901は2月に現地で解体されてしまったのですか。貴重な機関車なだけに残念ですが、もう廃止に向けて動き始めているのでしょう。
トラックバックを確認しました。これからもよろしくお願いいたします。

mattohさん>
トラックバックもいただきまして、ありがとうございます。廃線が近づくにつれ、多くの人が集まり、フラッシュが乗務員さんや駅係員さんの業務の支障になるということがいまだ理解されていないのが残念です。
DD901の解体は残念です。しかし、この鹿島鉄道の廃止も大変惜しく、何とか残せなかったものかと思います。

投稿: Kaz-T | 2007.03.26 00:45

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