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2007.03.30

君がいたから ~さようなら 京成3298F~

3月もいよいよ終わりに近づいてきました。3月は別れの季節とでも申しましょうか、今年も多くの別れがありました。そして、この編成もお別れとなりました。

京成電鉄のオフィシャルサイトに「3200形(8両)廃止」(PDF)というリリースが掲載されました。その文によりますと、現在京成一般車で唯一残っていた片開き扉車で、かつて上野から成田を結んだ座席指定特急「開運号」用に製造され、最近再び登場時の外装になった3298F(3298~3295)が運用を離脱することになりました。

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ついに運用を離脱した京成3200形 3298F 2007年3月25日 千住大橋で筆者撮影

京成3200形は、1964年から導入された通勤型車で同社では初の両開き扉を採用した車両でしたが、このうち3294~3291と3298~3295の4両編成2本は1967年12月に導入され、当時成田山新勝寺へ参拝する方々を乗せて走った座席指定特急「開運号」用として製造され、この2編成だけは片開き扉になり車内はクロスシートでトイレの設備もありました。

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在りし日の3298F 「開運号」 出典:2007年3月発売の「さよなら3298」記念乗車券付属のポストカード 筆者所蔵

登場時は、このような姿で上野から成田を結んだ看板列車として、成田山へ向かう善男善女とご利益を乗せて走っていました。

しかし、3298Fを含む3200形の「開運号」はわずか6年で姿を消すことになります。1973年12月、のちに成田空港アクセス特急「スカイライナー」となるAE1形の登場により「開運号」は廃止となり、この2編成は一般車に格下げとなり車内はトイレは撤去、座席はロングシートに改造されました。その後1980年代に他の一般車と同様にファイアオレンジにクリームのラインの外装になり、1989年には車体更新と冷房改造が実施され片開き扉のまま、前面のデザインが貫通路上部に行き先表示器が付きヘッドライトの位置も変更になりました。その際3294F(3294~3291)はVVVF試験車となりヘッドライトが角型に、そして3298Fについては抵抗制御のまま丸型のヘッドライトに更新され、1993年には現在の3200形・3300形の塗装であるグレーに赤と青のラインの外装になりました。その後も運転を続けてきましたが、2003年に3294Fは運用を離脱して、3298Fが唯一「開運号」車両として残りました。

かつては、看板列車特急「開運号」として活躍した3298Fも、年月が過ぎるうちにその栄光の日々が遠ざかっていくように、ただの古い車両に成り下がってしまったようでした。特に他の3200形が両開きなのにこの編成だけは片開きであったことから、「大勢(なかま)の中に居ても 孤独を感じていた」のかもしれません。


さて、京成3200形3298Fは弊ブログに何度か登場しています。ちょうど、この編成の晩節といえる姿を撮影していました。ここで、弊ブログに登場した3298Fを一部は未公開の画像も使いまして、この編成の活躍の姿を振り返ってみたいと思います。

私が、この編成がまだ存在していることを知ったのは、2005年7月のことです。ちょうどこの日、JR常磐線でダイヤ改正が行われE531系がデビューし、あわせて上野~土浦を「特別快速」が運転を始めた日です。この日は、運転を開始したE531系の「特別快速」に乗車して、その後水戸から大洗鹿島線に乗車して新鉾田で下車、その帰りは鉾田からこの線もまもなく廃線を迎えることになった鹿島鉄道に乗車し、石岡から再びE531系の普通列車に乗車して松戸で下車して、ここで停車していたこれもデビュー間もない新京成のN800形に乗車して京成津田沼に到着しようとしていたとき、この駅から上野方面へ鋼製車が出発していきましたが、この編成が片開きドアという編成でした。「まだ、片開きの一般車が残っていたのか」と驚いたとともに、この編成を追跡することにしました。やってきた快速で青砥に向かい、この編成に乗車して撮影することができました。

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まだ残っていた片開き扉車3298Fに遭遇! 2005年7月9日 京成関屋で筆者撮影

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折り返してきた金町行きを撮影 2005年7月9日 堀切菖蒲園で筆者撮影

それは、京成のごく日常的な普通列車として運行されていた、元特急「開運号」3298Fの成れの果ての姿でした。この列車に乗車している方の中に、この車両がかつての看板列車「開運号」として活躍していたこと知っていた人がどれだけいたのでしょうか?3200形でも2編成しか存在しなかった片開き車、そして唯一残存していた車両ということで、弊ブログのカテゴリーでは「レアモノ」に組み込みましたが、この車両のかつての面影を片開きの扉に見たことから、この記事を「その昔、この電車に乗った人にはご利益があったという」というタイトルとしました。これは「レアモノ」とはしながらも、この編成の栄光の日々を偲んだ最大限の敬意であったのかもしれません。

その後もこの編成は、京成のごく日常的な普通列車として走り続けました。そんな中2006年10月、京成電鉄と相互乗り入れを行っている都営浅草線の西馬込車両基地で、一般公開のイベントが開催されることになりました。都営浅草線では、このイベントの直後にさよなら運転を行い引退することになった5200形の展示が目玉でしたが、都営浅草線と相互乗り入れを行っている京成のほか京急・北総の車両もこのイベントで展示されることになりました。この日、イベント会場の西馬込に向かうため都営浅草線の五反田駅で電車を待っていると回送列車がやってきたのですが、その列車がこの3298Fでした。わざわざこの編成を展示した都営浅草線のイベント、この会場で3298Fは各社の車両と並んで展示されました。

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このイベントの直後にさよなら運転を行い引退した都営浅草線5200形・先日さよなら運転が行われ引退した北総7000形・数を減らしてきている京急旧1000形と並んで展示された京成3298F 2006年10月28日 都営浅草線 西馬込車両基地「都営フェスタ'06in浅草線」会場で筆者撮影

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「特急 成田」の表示で展示された3298F 2006年10月28日 都営浅草線 西馬込車両基地「都営フェスタ'06in浅草線」会場で筆者撮影

都営浅草線の主力車両5300形、西馬込車両基地で検査を受ける都営大江戸線12-000形と大江戸線車両の回送用機関車E5000も展示されたこのイベント、この直後にさよなら運転を行い引退した都営5200形に合わせるかのように京成代表として展示された3298F、この並びは都営5200形や北総7000形も引退した今となっては貴重な並びとなりました。3298Fの表示は「特急 成田」と表示され、この編成のかつての栄光を表しているようにも見えました。

このイベントの直後に、京成電鉄ではダイヤ改正のリリースが出ました。「スカイライナー」の京成船橋停車や新京成電鉄の千葉線乗り入れ、特急の停車駅変更と快特の新設といったエポックメイキングな内容でした。そのダイヤ改正の直前、京成線に乗車して上野に着くとそこに3298Fが停車していました。

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2006年12月8日 京成上野で筆者撮影(携帯電話使用)

ひょっとしたらこのダイヤ改正で運用離脱かと直感したので、手持ちの携帯電話で撮影しましたが、その姿は長きに渡り走り続けた3298Fのどこか哀愁漂う姿でした。

そして迎えたダイヤ改正、この日は千葉線に乗り入れた新京成を撮影し、千葉周辺で撮影後帰りは京成船橋からダイヤ改正により停車することになった「スカイライナー」で戻ることにしました。
船橋でライナー券を購入して待っていると、上野行き普通で3298Fが到着しました。

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ダイヤ改正後も残った3298F 2006年12月10日 京成船橋で筆者撮影

ダイヤ改正を前後して、高架駅になった京成船橋に到着した3298F、かつての特急「開運号」はおそらく上野~成田はノンストップであったであろうと思われ、座席指定特急が途中駅の船橋に停車するという時代の流れを印象付けたのは、まさにこの車両の到着だったのではないかと感じました。

ダイヤ改正後も残った3298F、いつ運用を離脱してもおかしくはない時期になりました。このままひっそりと引退していくのであろうと思われた3298Fに、とてつもないニュースが飛び込んできたのがこの年の暮れのことでした。
それは「懐かしの開運号が34年ぶりに走ります 特急開運号リバイバル運転」という内容で、抽選で500名様が乗車できますということとともに、その当日は開運号として運転していたときの外装に戻し、当時と同じヘッドマークをつけて運転するというものでした。

筆者が生まれて間もないころまで走っていた「開運号」、かつての塗装が再現されるのであるのならば、この姿はぜひ撮影したいと思い年が明けた1月のとある平日、お休みを頂いてリバイバル運転を行う「開運号」の撮影箇所のロケハンで京成線に乗車していました。その途中で3298Fとすれ違いましたが、その時点でもう「開運号」として運転される塗装になっていました。これは大変だ、とばかり折り返してかつての外装が再現された3298Fを撮影しました。

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リバイバル「開運号」運転を前にかつての「赤電」塗装が再現された3298F 2007年1月17日 堀切菖蒲園で筆者撮影

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上記画像の後追い、高砂行き普通の運用に就いていた3298F 2007年1月17日 堀切菖蒲園で筆者撮影

3300形までの鋼製車が登場から1980年代までまとっていた「赤電塗装」、3298Fに限らず更新により前面のスタイルが変わってしまいましたが、この系列にもっとも似合う塗装であるとつくづく感じました。

そして、ついにその日はやってきました。2007年1月28日、この日は朝から京成線沿線には多くの人が訪れました。それは34年の時を経てこの日限り復活したかつての京成電鉄の看板列車、特急「開運号」のリバイバル運転、3298Fの晴れの姿を一目見ようと集まりました。

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34年の年月を経てリバイバル運転を行った京成特急「開運号」 下り成田行き 2007年1月28日 京成八幡で筆者撮影

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2007年1月28日 八千代台で筆者撮影(上り上野行き)

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最新型通勤車3000形と並ぶ 上野行き「開運号」 2007年1月28日 船橋競馬場で筆者撮影

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上野行きを後追い 2007年1月28日 千住大橋で筆者撮影

かつての看板列車も、今のダイヤでは団体臨時列車として運転されたことから途中駅での待避があり、そのため追いかけながら撮影することができたリバイバル「開運号」、多くの人がその姿を堪能しました。ヘッドマークも往路の成田行きで先頭になる3295にかつての「開運号」の行灯式ヘッドマーク、後尾になる側にはレプリカのヘッドマークが、復路の上野行きでは先頭になる3298にかつての「開運号」の行灯式ヘッドマークが後尾になる側にはレプリカのヘッドマークが再現されました。往路で成田到着後一旦宗吾参道車両基地に回送し、折り返しの間で貫通扉ごと付け替えたといいます。その姿は正面のデザインこそは変わってしまいましたが、在りし日の3298Fの栄光の姿を再現したのではないかと感じました。晩節に再び輝きを取り戻しました。

「何度もくじけそうになって ここまで来たんだ」こうしてかつての輝きを取り戻した3298Fでしたが、この編成も最期のときが来ました。3月に入り、京成線主要駅でこの3298Fの引退を記念した記念乗車券が発売されました。

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今年3月に発売された「さよなら3298 記念乗車券」 すでに完売している 筆者所蔵

「開運号」として活躍した3298Fの最後に思い出となるアイテムが発売され、駅によっては即日遅くともその翌日には完売となったこの記念乗車券、それだけこの編成に思い出があった方がいらしたのでしょう。

「輝く季節(とき)の中で」まさに最期の時を迎えようとしていた京成3298F、自分もこの編成をもう一度見てみようと思い3月25日、参加することができた北総7000形のさようならイベントの帰り、印西牧の原から乗車した京急606F「上海EXPO号」を京成高砂で下車しました。金町線を観察してみたところ来たのは3500形でしたが、高砂の車両基地に3298Fが留置していたのを確認しましたので、夕方出庫して運用に就くことを願いその時刻に合わせて千住大橋に行ってみました。そして、金町行きとして到着した3298Fを撮影しました。

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2007年3月25日 千住大橋で筆者撮影

夜の帳がおりた千住大橋駅に到着した3298F、かつての輝きを取り戻しながらも、京成のごく日常的な普通列車の運用に就いていた3298Fです。この撮影後3298Fは、金町に向けて夜の闇の中へ出発して行きました。これが私が最後に見た京成3298Fの姿になります。

こうして特急「開運号」として登場し京成線で活躍してきた3298Fは、運用を離脱し昨日3月29日をもって廃車となりました。約40年にも及んだ生涯でした。
この編成の生涯は栄光の日々はつかの間、その後は普通列車として運用されていた時期が長かったことから、いつしか地味な車両になってしまいました。しかし最後に輝きを取り戻し、多くの人に見送られてその生涯を終えました。

京成電鉄の歴史に輝く栄光の「開運号」、その列車に使用され活躍した3298F(3298~3295)の雄姿をしっかりと記憶に留め、語り継いでいこうではないでしょうか?さようなら3298F、これからも「心の中に 君がいたから」・・・・・・。


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コメント

不思議なものです

京成は不動産失敗があって車両更新がままならずボロ車を
使う会社として趣味的になかなか触手が動きませんでした。
それゆえこんな歴史ある車両が21世紀まで残ったわけですね。

一般車時代にはそれほどファンにも追いかけられなかった
同車も最期は追いかけられる対象となった。波乱万丈な
車生にふさわしい幕引きだったようですね。

京成はまだまだ面白いのが残っていますね。今度の追っかけは
札差が残る未更新の3500でしょうか

投稿: SATO | 2007.03.31 19:50

SATOさんコメントありがとうございます。

おっしゃるとおりで、京成電鉄は不動産事業の失敗や空港アクセス路線の開業の遅れなどで一時期大変な時代がありました。その後も東葉高速線の開業などで、利用客が伸び悩んでいるという実情があるようです。

そういう意味において、車両面ではあまり注目される機会が少なかったと思われます。この3298Fもそれほど注目はされていなかったと思われますが、オリジナル塗装復活と「開運号」リバイバル運転で一気に注目度が高まり、多くの人がこの編成を撮影したのではないかと思います。最期の時に輝きを取り戻して終焉を迎えました。

この編成の引退後の京成ですが、まだ3200・3300形が残っていますがこれも数を減らしているとともに、今でも種別板を使っている3500形の未更新車も存在しており、3600形には1編成妙な6連が存在しています。
あまり注目されなかっただけに、まだまだ追いかけがいのある車両があるのかもしれません。

投稿: Kaz-T | 2007.04.01 01:18

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