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2017.10.21

1130.【京急】京急蒲田駅付近連続立体交差事業 全線高架化記念乗車券

1980年代以降、京急においては羽田空港アクセスの開設と利便性向上に向けて多くの取り組みが行われ空港線は路線延長とともに改良が行われてきましたが、本線との分岐点である京急蒲田駅周辺が最後まで残っていた隘路でありました。2012年、その隘路が解消し合わせて記念乗車券が発売されました。
 
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 名称   :京急蒲田駅付近連続立体交差事業 全線高架化記念乗車券
 発行社局:京浜急行電鉄
 発売日  :2012年10月21日
 値段   :1,000円
 購入箇所:京急蒲田駅
 シリアルNo.:1936
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京急本線と空港線が分岐する京急蒲田駅は、空港線が羽田へ乗り入れたときにおいても地上駅であり空港線列車は京急蒲田駅周辺は実質単線状態で、ダイヤ構成上のネックになっていました。また京急蒲田駅から本線の横浜方には環八通りが、また空港線においては京急蒲田駅出発直後の単線区間内に第一京浜国道の踏切があり、歩行者や道路交通の妨げとなり交通渋滞の原因になっており、時の東京都知事が視察に訪れたというところになりました。更に空港線の第一京浜国道の踏切においては歩行者や自動車などの道路交通だけではなく、毎年新春に開催される関東大学駅伝、通称「箱根駅伝」の往路1区と最終区である復路10区のコース上に存在していた踏切で、特に復路においては優勝争いや翌年の大会の優先出場となるシード権をかけ、そのタイム争いに母校の名誉をかけ襷を付けた走者が一喜一憂した踏切でもありました。
 
空港線直通列車の充実と地域の交通渋滞解消をかけて京急蒲田駅周辺は高架化が行われることになり、2012年10月21日に京急蒲田駅とその前後にある本線の大森町・梅屋敷・雑色の各駅と空港線の糀谷駅は高架駅になりました。
 
高架化完成を記念して京急蒲田駅で発売されました記念乗車券になります。地域の関心も高く、現地で並んで入手することができました。
記念乗車券は京急蒲田駅と同時に高架駅になった各駅の地上時代の駅舎の写真と、開くと高架になった第一京浜国道との交差地点が立体的にあしらわれました。
 
この高架化完成に合わせて京急ではダイヤ改正が行われ、羽田空港方面直通列車が増発されました。高架になった京急蒲田駅ですが、2層構造でホームが長くなったことから「要塞」と形容されるようになりました。
 
長い年月をかけて羽田空港アクセスの充実を図ってきた京急において、京急蒲田駅付近の高架化により施設面の改良が完成しました。今では多くの方が羽田アクセスとして利用する路線になりました。

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2011年11月 ありがとう!京王井の頭線3000系

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    2011年12月、約49年にもわたり京王井の頭線で活躍してきた3000系、レインボーカラーに彩られ井の頭線のイメージを確立したこの車両も、ついに終焉となりました。最後の編成となったのはライトブルーの3028F、この編成は1987年に入線し活躍してきました。 末期には朝のラッシュ時間帯に運よく富士見ヶ丘~渋谷の1往復の運用にしか就かなくなってしまった3000系、2011年11月には「さよなら運転」として日曜日の昼間に井の頭線全線で運転され、最後の走りを披露しました。また11月20日には富士見ヶ丘車両基地において「ありがとう3000系フェスタ」も開催され、事前申込制であったこのイベントにも参加して、最後の姿を見てきました。井の頭線沿線で生まれ育ち、それこそこの車両の活躍をみて育ったと自負する私にとって、感慨深い月になった2011年11月、3000系最後の姿をぜひ皆様にご覧いただきたいと思います。

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